[1]自己紹介をお願いします
学生時代の私は、金融業界大手に多数の人材を輩出してきた有名なゼミに入っていました。先輩や同僚の多くは、当たり前のように日銀や興銀へ巣立っていったのですが、当時の私には、すんなり銀行員になることへの抵抗感があり「金融の世界へ行くにしても、ありきたりではない、何か面白いことができそうなところが良いなぁ」という気持ちでいました。
そんな私にとって魅力的に映ったのが1980年代末の北海道拓殖銀行でした。ローカルをベースにした金融機関でありながら、ビジネスの矛先をグローバルへも発展させようとしているユニークさに興味が湧きました。私が札幌出身だったこともあって、迷うことなく入行を決めました。
入行してから4年ほどは東京の日本橋で法人営業等の仕事をしていましたが、ビジネススクールへの派遣留学試験にパスしたことで、シカゴへ留学するチャンスを得ました。MBA取得後はそのまま米国に残り、ニューヨーク支店などで日本企業向けの案件や、現地企業への融資ディール、シンジケーションのアナリスト業務などを経験することができたのですが、銀行本体の経営が急速に悪化したことで帰国。結局は1998年に経営破綻となりました。
その後、私はボストン コンサルティング グループ(以下、BCG)に入社したのですが、きっかけをくれたのはシカゴのビジネススクールで先輩だった重竹尚基さん(現BCGシニア・パートナー&マネージング・ディレクター)です。拓銀が破綻した旨を伝えると、「うちを受けてみればいい」と言ってくださいました。
そうしてコンサルタントとなってからは、多様な業界の経営戦略に関わる案件に多数携わっていきました。1990〜2000年代当時のBCGは、重竹さんだけでなく今村英明さん(BCG元日本代表。現信州大学大学院教授)や御立尚資さん(BCG元日本代表。現楽天取締役)、杉田浩章さん(現BCG日本代表)など、そうそうたるメンバーが第一線で活躍していて、厳しい中にも大いに成長できる環境のもとで経営についての研鑽を積んでいくことができました。
その過程において、心のどこかに「いつかはコンサルタントを辞めて、自ら実業を」という思いが芽生えてはいましたが、気がつけばパートナーに就任し、3年ほどが経過していました。そんなときにお声をかけてくださったのがファーストリテイリングです。2000年代後半に入って業務全般の再編成を急いでいた同社で、柳井正さんのもとで変革メンバーの一員として動いてくれないか、という打診です。私はすでに45歳になろうとしていましたが、非常に魅力的なこのオファーを受ける格好で転職を決めました。
入社して間もなく、柳井さんから直々に「ヒトと組織を見てくれないか」と言われ、以後、HR分野に軸足を置いてグループ内の再構築を担っていく立場となりました。北海道拓殖銀行時代の終わり頃には組合の役員を務めましたし、BCGでも採用には関わっていたものの、人材・組織マネジメント領域全般に精通していたわけではありません。ですから勉強すべき事柄は山積でしたが、その甲斐もあって経営をヒトや組織の視点で捉えていく力を養うことができました。
グループ内にはグローバルな拠点や子会社もあります。それらの経営および人事にも携わりました。特にフランスについては私自身が向こうに2年以上駐在して、現地の2つの系列企業の経営を土台作りから手がけていきました。武州製薬からお話をもらったのは、ファーストリテイリングでこれら一連の取り組みがひと段落して帰国し、1年ほどが経過した頃でした。
柳井さんという力強く公正無比なリーダーのもとで、5年以上に渡り本物の経営というものを学んできた私にとって、卒業するのであれば今、というタイミングでもありました。製薬業界は、BCG時代にもほとんど触れたことのない領域でしたが、むしろ「だからこそチャレンジする意味がある」と感じました。
ファーストリテイリングと同じアパレルや製造小売の企業からのお話ならば、転職はしなかったと思います。同じフィールドで戦うならば、尊敬する柳井さんのもとで働く方がいい。そうではなく、未知のフィールドで戦えるのならば、自らが経営者となる道を選んでみようと考えたのです。
これから大きな変化が訪れるインダストリーに行って、そこでグローバル化も伴うサプライチェーンの変革に携わっていくのは非常に面白そうでしたし、武州製薬には急成長のベンチャー企業的側面もありますが、しっかりと地道に実績を積み上げてきた企業。その経営の再構築を任せてもらえるという点でも強烈に魅力を覚え、転職を決めました。2015年の暮れに顧問という立場で入社して経営のサポートを行い、2016年に入ってから現職に就任しました。