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画像:迫 俊亮 氏

プロ経営者インタビュー

迫 俊亮 氏

1957年のベルギーでの創業以来、成長を重ね、靴の修理や合鍵作成のサービスチェーンとして今や世界最大級の規模と成功を築き上げたミスター・ミニット。
この国際的ブランドによるアジア・パシフィック圏の事業を展開しているのがミニット・アジア・パシフィック。日本を含め600近くの店舗を営み、1000人近い従業員が活動するグローバル・カンパニーだ。
規模も歴史も大きいこの組織は2014年の春、世界をアッと言わせた。当時弱冠28歳の迫俊亮氏が社長に就任したからだ。
すでにTVのニュースや経済番組の数々でも取り上げられている迫氏ではあるが、あらためて「どのような姿勢でビジネスに取り組んできたのか」「プロ経営者として今後どんな変革を起こそうとしているのか」……などについて語ってもらった。

迫 俊亮 氏
ミニット・アジア・パシフィック株式会社 代表取締役社長 CEO
http://www.minit.co.jp/

1985年、福岡県生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校社会学部を卒業後、三菱商事に入社。その後、ベンチャー企業のマザーハウスに転じ、同社の創業期を支えながらアジアにおける事業確立などでも成果を上げた。2013年にミニット・アジア・パシフィック入社。苦戦を強いられていた東南アジア・中国エリアの事業建て直しを担い、これを成功へと導くと、経営企画部長 兼 海外事業統括部長として、同社の営業およびマーケティング分野の再構築に着手。2014年1月には常務執行役員営業本部長に就任し、3ヵ月後の4月に代表取締役社長 兼 営業本部長に就任した。世界経済フォーラム(ダヴォス会議)Global Shapersにおいて「日本の若手を代表するリーダー」として選出もされている。

[1]自己紹介をお願いします。

私は高校を卒業後に渡米留学し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(以下、UCLA)で社会学を学んでいました。在学中は企業への就職に興味はなく、社会学者となって世の中に貢献したいと考えていました。

そういう夢を抱えながらインドに向かい、バックパッカーとなって長期に渡り放浪する経験などもしました。貧困や教育など、世界各地が抱える様々な問題をどうすれば解決できるのか考える日々が続く中、あるときふと思ったんです。

「世の中を変えているのは誰なんだ?」と。もちろん多様な人々が関わり、それぞれが重要な役割を果たしています。しかし、実際に足を運び、手を動かし、社会の仕組みを現実的に変えているのは「学者ではなく、企業なのではないか」と気づき始めてからは急激にビジネスの世界への関心が高まっていきました。そして「世界各地を飛び回り、主体となって動ける仕事に就こう」と思うようになったんです。

最終的に入社を決めたのは日本の三菱商事。私なりに考えがあっての選択でした。UCLAを出てそのままアメリカのグローバル企業に就職する選択肢もありましたが、2000年代のアメリカでは外国人が就職するのはかなり難しい状況でした。

日本に帰国して外資系企業に就職することも可能だったかもしれませんが、「外資系企業の日本拠点の社員」になった場合、期待されるのは日本国内市場での成果になるだろうと思いました。やはりグローバル市場で成果を上げている総合商社に入社するのが、自分にとってベストな選択だと考えた結果、三菱商事を受け、入社することを決めたのです。

アメリカの大学を秋に卒業し、日本の企業に春から就職する私には、自由になる時間が半年ありました。「この期間を無駄にしたくない」と思っていたところ、縁あってマザーハウスというベンチャー企業のお手伝いをさせていただくことになりました。これが、私の将来にとって非常に重要な出会いになったのです。

社長の山口絵理子さんや副社長の山崎大祐さんは、バッグなどのファッション製品の製造を発展途上国で行い、それを先進国のカスタマーに提供していくことで事業を成功させ、世界の仕組みを変えようとしているかたたちでした。

その熱い志は今では明確な成果となって現れ、お二人もすっかり有名になっていますが、当時のマザーハウスは起業から1年ほどのタイミング。創業間もないベンチャーゆえの多忙極まる時期でした。しかし、私のように「世界を舞台にして世の中を変えていきたい」と願う者にとっては、1つひとつの苦難がすべて勉強につながる毎日だったのです。

その後、2008年の春が来て、私は予定通り三菱商事に入社し、今度は小規模なベンチャーとは異なるビジネス環境に身を置きました。マザーハウスとの違いを様々な局面で見聞することができましたし、三菱商事には素晴らしいかたがたが揃っていましたから、そのままここで経験を積んでいくことにも十分に価値はあると思いました。

しかし、理屈を超えて、マザーハウスへの想いが募り、私はわずか半年で三菱商事を退職し、マザーハウスの正式なメンバーとなったのです。常にばたばたと忙しく動き回り、越えなければいけない課題も次々に現れる創業期のベンチャーには反面、固有の「面白さ」や「充実感」がありました。それに山口さんや山崎さんが放つ圧倒的なパッションやオーラを身近に感じることもでき、わくわくする気持ちになれたのです。

ろくにビジネスの経験もなかった私でしたが、日本での事業を軌道に乗せていく動きに約3年間参加することで、それなりの自信は持てるようになりました。そこで、かねてから望んでいた海外での活動を申し出て、台湾に行かせてもらえることになりました。

当時のマザーハウスは、ようやく国内でのビジネスの先行きが見えてきた段階でしかありませんでしたから、台湾には何も下地はありません。すべてがゼロの状態。そこへ単身乗り込んで、ビジネスを立ち上げ、確立していく仕事に2年間のめりこむことになりました。成果は上がりました。ゼロからスタートして、2年弱で4つの店舗を設けました。この成果を得て、アジア全域に成功を波及させていくことにも現実味が見えてきました。

マザーハウスはたしかに成長を実現していたし、世間でも「成功しているベンチャー」として注目をされ始めていました。しかし、私の本音はちょっと違いました。「もっとできたはず」というのが正直な気持ち。「山口さんと山崎さんが打ち立てたビジネスモデルに間違いはないはず。ならば、もっとスピードを持って大きな成功ができていたはずなのにできていない。それは自分のやり方が間違っていたからではないか」というのが率直な気持ちだったのです。

マザーハウスに在籍した5年ほどの期間で「台湾を起点にアジアで成功」だけでなく、もっと広く世界全体に踏み出していけるよう私は動き回っていたつもりだったのです。高望みのしすぎだと思われてしまうかもしれませんが、これが私の偽らざる心情でした。

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そんな時、友人である慎泰俊(しん・てじゅん)と話をする機会がありました。私同様に世の中を変えていくことへの夢を持っていた彼は、私とは異なる道筋から夢を実現する可能性を追求していました。モルガン・スタンレー・キャピタルへの入社を皮切りに投資の世界に身を投じ、その一方でNPO法人「Living in Peace」を立ち上げ、アジア域で日本発のマイクロファイナンス投資ファンドを企画したりしていたのです。

その後、ユニゾン・キャピタルへ移り、投資プロフェッショナルとして活動していた慎さんに私は自分の気持ちを正直に話しました。すると彼は「だったらユニゾン・キャピタルのような場所で、プロの経営者としてのキャリアを積むのもいいのではないか」というような言葉をくれたのです。

マザーハウスを離れることについては大いに後ろ髪をひかれる思いもありましたし、「ファンド会社に入る」ことについては100%得心していたわけでもなかったのですが、私はアクションを起こしてみることにしました。

そうして面接が進むうち、ユニゾン・キャピタルの幹部から1つの素朴な質問をもらいました。「迫さんは投資に興味があるんですか? それとも会社経営に興味があるんですか?」と。投資活動というものに強い情熱を持てないでいる私の気持ちが見透かされていたのかもしれません。でも、とにかく質問に対する答えはハッキリしていましたから「経営です」と返事をしたところ、紹介されたのがミスター・ミニット、つまりミニット・アジア・パシフィックだったんです。

「一目ぼれ」と言ったら大げさかもしれませんが、ミニット・アジア・パシフィックが展開してきたビジネスモデルを私はすぐに好きになりました。「面白い」と心から感じ、すぐに「やらせてください」と答え、私はユニゾン・キャピタルの投資傘下にいたこの会社への入社を決めました。

ミニット・アジア・パシフィックという会社は、MBOを実行することで2006年以降、ミスター・ミニット・グループのアジア・パシフィック圏内のビジネスを独立して営むようになった企業です。この会社で私は海外事業の立て直しを任されることになりました。

UCLA在学中から願っていたグローバルなビジネスができる。しかもミスター・ミニットという老舗ブランドを背負い、数百名に及ぶ従業員とともに目標を追いかけることができる。前職では経験できなかったスケールの大きなチャレンジに燃える思いを感じていました。オセアニアでもアジアでも問題は山積していましたが、前向きにトライしていくことができたのです。

最初に担当したオーストラリアでは、独自の商慣習やサービス内容に基づいたビジネスモデルを見える化し、経営ガバナンスやモニタリングをより効果的に機能できるようにしました。一方、東南アジアの拠点はビジネスがまったくうまく動いておらず、閉鎖することがほぼ決まっているような状況だったのですが、私のほうから強く願い出て「1度だけでいいから現地に行かせてくれ」という希望をのんでもらいました。

当時の海外事業の多くは、「ローカルに任せている」と言えば聞こえはいいのですが、実際のところはヘッドクオーター側の管理が行き届いていないという大きな問題を抱えていたんです。東南アジアの場合もそうでした。現場は現場で独自に動き、管理すべき本社サイドはそれをしっかり認識していない。双方の連携がないまま進んでいた事業展開を、あるべき姿に変えることで実績はすぐに上がり始めました。

こうして短期間のうちに成果が上がったことにより、「今度は日本国内の事業も含め、営業面やマーケティング面などを総合的に見て欲しい」と言っていただき、気がついたら社長に指名されていた、というわけです。

老舗ブランドを擁するグローバル企業のトップに20代の私のような者が選ばれたことで、世間からは注目していただくようになりましたが、本音を言えば、当初は「ゆくゆく執行役員くらいにはなりたいな」程度の気持ちで入社をしていたんです。数年で目に見える成果を上げたい。そのためには、ある程度の意思決定を任されるポジションにいたい、と考えていたわけです。

しかし、先にも申し上げたように、私はこの会社がすぐに大好きになりました。高い専門性の問われる技術職の多くが正社員=職人によって行われているという組織としての魅力と、6ヵ国でビジネスが実行されているという市場性の面での魅力とが重なって「この魅力ある組織に貢献していくことができたら」という気持ちがどんどん募っていったのです。

そうして「どうすればこの会社をもっと良くすることができるか」というのを考えていくうち、「自分が社長をするべきなのではないか」と思うようになったんです。いわゆる出世願望の類いではなく、純粋に「自分がもしトップに立つことができれば、もっとこの会社を良くすることができる」という自信が2013年ごろからは確信に変わり、遠慮なくこのことを主張するようにもなりました。ですから、社長就任が決まった時には「よし、やるぞ」という強気な思いでスタートすることができたんです。

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