プロフィール
田口恭子

上智大学卒。1990年カナダに本社を持つテレコムメーカーに入社。マーケティング本部スペシャリスト、社長室 事業開発担当上級副社長補佐、人事部シニアスペシャリストを経て1997年MBA留学(ヴァンダービルド大学オーウェン経営大学院)のため退社。1999年同社の米国オフィスに現地採用で入社。日本サポートオフィス、オプティカルビジネスカスタマーケア担当副社長補佐、パフォーマンスセンターアナリストを経て2001年退社。現在は世界最大のソフトウエア企業のアジア・ブランチのメンバーとして日本向け新サービス開発・導入に携わる。
 
バックナンバー
01
グローバル人材への道
田口 恭子さん
 
02 グローバル人材への道
小島 由美香
   
02 グローバル人材への道
中川 善之さん
 
タイトル
From and to the World
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'90年、新卒の田口さんはカナダに本拠地を持つ国際的な通信会社の日本ブランチに就職。マーケティング担当のスペシャリストとして働いた。 「約4年間ですね。非常に面白味のある仕事でしたが、4年もすると『他のこともやってみたい』という欲が出てきたんです。そんな時、『1つポストがあるんだけど、やってみないか』という話が来て……」

 それは上級副社長のアシスタントという仕事。経営に直結した意志決定に携われる内容に「喜んで引き受けました」とのこと。

「それが約2年間。すると、また前回同様に声がかかったんです。今度はグローバルな人事戦略チームで成果 主義の導入に関わるプロジェクトのメンバーでした」 こうして入社から約7年半の間に、田口さんは自らの経験値を広げ、そして深めてきた。 「きっと欲張りなんですね、私は(笑)」

 このセリフが意味するのは、退職までの7年半だけを指しているのではなかった。 「グローバル企業にいたおかげで、当時の日本には根付いていなかった欧米流のバリューチェーンに触れることができましたし、次の職務では経営陣を通 じて本社との関わりを経験しました。そしてグローバル人事のプロジェクトにも参加できた。こうなると、私の目にはアメリカ流コーポレートガヴァナンスの経営というのが、とってもまぶしくて。当時読んだ本、『ビジョナリーカンパニー』にも感激して、MBA取得を本気で目指そうと思ったんです」

 退職をして臨んだ私費留学。入学したビジネススクールは、テネシー州ナッシュビルに位 置するバンダービルト大学の「Owen」だった。ここでは1年目 前半の必修科目をクリアすれば、それ以降はすべて選択科目。マーケティング、ファイナンス、アカウンティング、オペレーションなどに特化して学ぶことも可能だし、2つを同時に専攻するデュアル・コンセントレーションも可能というわけだ。では、田口さんはどうだったのか。

「全部を専攻するジェネラル・マネジメントという選択肢をとりました(笑)」

 やっぱり欲張りなのである。当初は「どうしてもこれを勉強したい」というものを持たず、フレキシブルに考えていたという田口さんだが、いざ勉強をし始めると、どれもが自分にとって捨てがたい価値を持っていた。ジェネラルを選ぶということは、普通 より倍も3倍も学ばねばならないが、あえて選んだ方向だった。

「限られた時間で、広さも深さも同時に追いかけて吸収したかったんです」
 
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さて、インターンについて、田口さんは在米の投資銀行あたりをイメージしていたという。「マーケティングやオペレーションは前職である程度経験した。だから、むしろ専門性が高く、未体験の業務ができる場所に」という思いがあった。しかし、「きっと縁があるんですね。たまたま前職のUSオフィスが日本オフィスとのハブ的な役割ができる人を求めていたんです。古巣ならば、ビジネススクールで学んだことをすぐに活かせるかもしれない、という考え方に切り替えて、ここでインターンを経験しました」

 縁はまだまだ続いた。いよいよ就職という時のことだ。

「当時Owenに前職のチェアマンが来て教えていたんです。それで声をかけて頂いて、『日本とは関わりのない仕事ができるなら』とUS本社に就職をしました」

 インターンならば、日本と関わる仕事のほうが、むしろ自分のバリューを短期的に活用してみる機会になる。けれども、本格的にアメリカで生きていこうと思うならば、USにフォーカスした業務につきたい。田口さんはそう思ったのだという。 では、どうして日本へ帰ってくることを決めたのだろうか?

「個人的な理由から言いますと、むこうで子供を生んで育児休暇をとっている最中に、ITバブルがはじけ、人員削減がニュースを賑わせるようになりました。私のいた会社ももちろん影響を受けましたし、業界自体に元気がなくなってしまいました。これが退職を考える1つのきっかけになったのは事実です。もう1つは9月11日のテロを境に、アメリカ社会の空気が変わってしまったこと。外国人である私たちには、ちょっと息苦しい感じになり始めたんです」

 でも、最大の理由は他にある。
「エンロン問題をはじめとして、アメリカの大企業に失望する事件が続きました。アメリカ流の経営をまぶしく思って渡米した私としては、ショックだったんです」 ご主人のほうが先に日本での仕事が決まった。「だから、専業主婦という選択肢も多いにアリだったんですけど」と田口さん。是非とも就職先を見つけなければいけない、というような状況ではなかった。もちろん、最終的には就職をするつもりだったし、人脈を通 じて日本のベンチャー企業での就職の話も来ていた。だから焦りはなかった。ところが……
 
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田口さんは今、世界最大のソフトウエア企業のアジア・ブランチのメンバーとして日本で働いている。しかし、これが決まるまでの間に日本という国の実情を思い知る経験をしていた。

「日本の有名なジョブサーチのサイトで仕事を探してみたんです。すると、私のキャリアや属性とマッチングする求人がほとんどない。おかしいなあ、と思って年齢を20代にしてみたら、いくつか出てきた。最後に性別 を男に変えたらビックリするくらい多くの企業の求人情報が出てきたんです」

 田口さんは、自分がMBAを持っていることや、アメリカで働いた経験を持っていることなどが、今の日本の転職市場で即座に高い評価を受けるとは思っていなかったという。年齢的なことも少しは気になっていた。でも、性別 の違いでこんなにもチャンスの大きさに違いが出るとは思っていなかった。

「ああ、これが現実なんだな、と思いました(笑)」

 最終的には帰国直前になってキャリア・インキュベーションと出会い、帰国後の就職活動を経て現職に決まった。今いる会社もまたグローバル企業だけにアメリカでの経験、MBA取得のための勉強、日本にいた時の会社での経験などなどが生かされているはずだ。

「外資とはいっても、とても日本的な企業文化もあったりします。だからアメリカにいたときと変わらない働き方を自然にしているかといえば、そうとは言えないと思います。ただ、むこうで働いて初めてわかったこともたくさんありましたから、それは今の仕事にも十分に活用していきたいと考えています」

 特にアメリカで日本との違いを感じたのが、まわりの動きに対する感覚だという。 人と人との関係次第で、社内で任されるポジションがどんどん変わっていくのがアメリカ流儀。周囲で起きていることに対して敏感であることが求められるのだそうだ。

「『私は__ができる』という明確なバリューを見せていくことができなければ、置いていかれます。だから『MBAを持っています』ではダメ。具体的にどんな仕事で何をもって貢献できるか。それをきちんと手に入れて、しっかりと表現していくことが必要だと思います。私の今のポジションも、グローバルな環境と日本の環境の両方を常に考え、両者のバランスを要求される仕事です。タフな環境で自分のバリューを示していく経験をビジネススクールの時から積んできたことが生きていると思っています」

 純然たる日本企業とは比べものにならないほど「人と人とのつながり」がものをいうアメリカ。その重要性を田口さんは強調する。

「自分の努力もさることながら、人同士のつながりがあったからこそ与えられたチャンスが多かった。MBAの価値とか、アメリカで仕事をしたことの価値だけでなく、スクールや企業でどれだけ素晴らしいネットワークを手にし、それを今後も広げ続けてゆけるかどうか。Jターン就職にもしも秘訣があるのだとしたら、そこじゃないかと私は思います」

 現状の日本の転職市場は「MBA=ウェルカム」とは言えない。アメリカで働いた経験についても、それが直接生きてくるポジションを持つ会社も限られているかもしれない。難関は多いわけだが忘れてはならないことがある。それは、目的をしっかりと持って渡米したMBA取得者や就職経験者には、日本の社会から飛び出してタフな環境を乗り越えた実績と経験値と人脈があるということだ。