[1]自己紹介をお願いします
1987年に三和銀行に入行しました。就職活動していた当時はバブル期前夜だったこともあり、私が銀行を志望したのも「ニューヨークやロンドンで為替のディーラーとかやったら、カッコイイんじゃないか」「大手の金融機関ならば海外留学にも送り出してくれるだろう」というような、軽い気持ちだったように思います。
けれども今振り返ってみれば、自由闊達な雰囲気のなかで、尊敬できる先輩方に多くの事を教えて頂き、ためになる経験をたくさん得て、よい選択であったと思っています。
銀行では、支店での貸付業務を皮切りに、様々な仕事に就きました。希望通り、為替トレーダーの仕事もできましたし、留学してMBAを取ることもできました。新卒採用を経験して、後々につながる人事の仕事の一端を見ることもできました。
頭取秘書や経営企画の仕事をした頃には、日本の金融界は危機的な状況にあって、三和銀行も非常に厳しい経営環境に置かれていましたが、見方を変えれば、得難い経験を手に入れることができたわけです。経営者はどのように考えてどんな行動をするのか、そのリアルな姿を間近に見ることができたのは貴重な経験だったと思います。
2001年になってGEに転職しましたが、それは金融業界や自分のいた銀行が危機に瀕していたからではありません。銀行では次々と異なる仕事を経験させてもらいその都度、タフな思いもしましたが、同時に成長できている実感も味わっていました。しかし段々とその実感が薄くなってきたというか、自分の成長カーブが寝てきたように思っていました。
おりしも、企画部では外資系のインベストメントバンカー、法律家の人たちとの接点が多い仕事をしていて、たくさんの刺激を受けました。「自分をもっと成長させるには外に出るしかない」という思いが募っていき、転職に踏み切ったわけです。
とはいっても、私には何か1つの分野でスペシャリストになるようなスキルも覚悟もなかったのですが、銀行を先に出た先輩たちがヘッドハンティングや外資系企業の人事で活躍されていて、「人事の仕事をしてみないか」というお話を偶然にも同時に複数頂きました。
新卒採用の仕事はしたことがあったものの、それが幅広い人事の仕事の一部にしか過ぎないことは理解していましたから、当初は「自分なんかには無理だ」と思っていましたが、「太田なら要領がいいから大丈夫」などと乗せられ(笑)、転職することを決めました。
GEでは中途採用の担当から始まり、人事領域の仕事をいろいろと経験させてもらいました。銀行時代に「次々と成長機会につながる新しい仕事に挑戦する喜び」を経験したこともあり、私にはいつも新しい刺激や挑戦を求める傾向が身についていましたが、GEはそんな私にぴったりな職場でした。
人材輩出企業だけに、常に人が出入りしています。どこかの分野で欠員が発生するたびに自分から手を挙げて、「後任が見つかるまでで構わないし、今の仕事と兼任でいいから、私にやらせてください」とお願いして、人事の仕事を端からどんどんやらせてもらいました。銀行時代のような成長する喜びをまた味わうことができたわけです。
銀行でもGEでも、今までやったことのない業務を経験することで、最初のうちは失敗も多いのですが、これは言い換えると体を鍛える上での筋肉痛のようなもので、私はむしろいつもそうした筋肉痛、成長実感を求めているんだと思います。三和銀行とGEという、常にチャレンジを与えてくれる素晴らしい環境に身をおけたおかげで成長していくことができたと思っています。
人事分野の中でいくつものファンクションのマネジャーを体験するうち、だんだんと「ひとつの企業の全体に責任を持つ仕事をしたい」という気持ちも膨らんでいきました。
人事の仕事に就く人間にはいくつかのタイプがあると思うのですが、1つは人事の専門性を深掘りしていくタイプ、もう1つはあくまで事業や経営への興味が第一で、人事はそのための手段のひとつとして考えるタイプだと思います。私は後者のタイプですね。ですから、まず大切なのはその企業が魅力的なビジネスを展開しているかどうかということです。
GEは世界最大のコングロマリットで、多種多様なビジネスを手掛けている企業でしたが、どうしても自分が強い魅力を感じるものは見つかりませんでした。そんなときにヘッドハンターの方からいただくお話の中で、特に興味をそそられたのがアイエヌジー生命保険の話でした。
実際、入社をしてみて、人事のプロというよりはひとりのビジネスパーソンでありたい私にとって、非常に魅力的な環境でした。会社も成長期にあって次々と新しい制度作りや組織構築のチャレンジを任せてもらえました。アイエヌジー生命の入社に際しては当時の社長から「GEのような人事制度」を作ってくれと言われましたが、それについてははっきりと断りました。
「人事戦略はビジネス戦略だから、ビジネスが違って企業が違えば、最適な人事制度も当然変わってくる。この会社に相応しい人事を私はやっていきます」という姿勢を貫きました。人事部門の一員という立場から、今度は会社の経営の一員としての責任を任されて、ここでも大きな成長ができたと思います。
ただ残念なことにリーマンショック以降は会社も業容を縮小せざるを得なくなり、経営としても人事としても新しい挑戦ができる余地は少なくなってきました。ちょうどそんな時に万有製薬の話があり、さらに大きいフィールドで仕事ができることになりました。製薬業界というのは全くの新しい分野でしたが、それも含めて素晴らしい学びにあふれた機会だと思いました。
万有製薬は2005年から米国メルクの100%子会社になっていました。私が入社した翌年の2010年には名前も新たにMSDとして、日本の医療、社会のために革新的な製品とサービスを提供しています。その中で、私は人事担当役員として、強い組織、強いリーダーを作ることを使命として働いています。
[2]現在の社内での役割について教えてください
やるべきことは数々ありますが、さきほども申し上げたように最大のミッションは「強いリーダーを育てる」ことだと考えています。全社員を同時に強いリーダーに育てることができれば素晴らしいことでしょうが、限られた資源と激しく変化していく環境の中で、効果的に効率的に人財育成を考えるなら、私は、厳しく選別された優秀層に差別化された集中的な投資を徹底的にすることを選びます。
そもそも人財育成、組織作りは人事の仕事ではなく、経営そしてリーダーの仕事です。経営が明確にオーナーシップを持って10人の強いリーダーを育てることができれば、今度はその10人のリーダーがそれぞれに強いリーダーを育成し、組織を強くする。そんな体制を定着させることができれば、企業は強固な組織を継続的に形作っていくことが可能になると考えているからです。
この方針の一環で2011年にはJapan Leadership Program(以下、JLP)という人材育成プログラムをスタートさせました。アセスメントや役員へのプレゼンなどによって厳しく選び抜いたハイポテンシャルな若手人材に難易度の高い業務を経験させ、そこでの切磋琢磨を通じて鍛え上げていこう、という主旨でスタートしたJLPは、当初期待していた以上の成果を上げています。
卒業生の中には一足飛びに部長職についたものもおり、標榜している「Unlocking the Potential」つまり潜在能力をフルに引き出すことが出来ていると思います。プログラムスタートの3年後からは外部からの人財を直接JLPに採用することも始めており、今やプログラム生の半数は社外からの採用です。
そうそうたるキャリアの持ち主がJLPが提供する成長機会に惹かれて次々にMSDを志望してきてくれるという嬉しい現象が起きています。
では、「強いリーダー」とはどんなリーダーだ、と言われれば、私なりの考えとして、3つのキーワードがあると思っています。まずはIntelligence(優れた知性と情報力)、Influence(人に影響を与え、動かしていく能力)、Idea(高い志)の3つです。これからもいろいろと試行錯誤もあると思いますが、単なる人事の専門家ではなく、あくまでもビジネスパーソンとしての立場からリーダーの育成に携わっていくことが私の最大の役割だと考えています。