[1]自己紹介をお願いします。
私は大学、大学院を通じてマーケティングの勉強に夢中でした。そして、早く社会に出たくてしょうがない気持ちでもいたんです。最初の就職先は外資系のコンサルティング会社でした。アメリカで急速に業績を伸ばしていたこの会社が、世界に事業を拡大していく時期を迎えている、ということで魅力を感じ、入社したわけです。
結果的に本社サイド等の様々な事情もあって、経営が揺れ動く中で2年間を過ごすことになりましたが、この時期にサンフランシスコ・オフィスでの勤務を経験するなどして、英語力を高めることが出来たこと、グローバルなビジネススタイルに関われたことは、後の私にとって財産となりました。
その後、入社したのが日本コカ・コーラだったのですが、全世界のコカ・コーラでも前例のない部門だったため、いろいろと注目をしてもらうことができたんです。このチームの活動内容を大まかに言えば、飲料とは直接関連のない、消費者の価値観やライフスタイルについて調査し、それを新しいビジネスチャンスへと結びつけていくことです。
例えば「日本で『カッコイイ』という価値観はどう構造化されているか」を調査分析し、その結果をスプライトのキャンペーンに活用されたりしました。日本ではこのような調査を行う企業はあったのですが、欧米ではもっと即物的でダイレクトなマーケティングが主流でしたから、このような活動は新鮮に映ったのではないかと考えています。
ともあれ、入社からいろいろユニークなプロジェクトを任され、約5年間の担当期間中には成果も上がっていきました。価値観やライフスタイルなど我々の調査結果が、ブランドのコンセプトやキャンペーンに活用され、実際の業績につながる事例も増えていったのです。
ある意味、順風満帆な5年間だったわけですが、そこから波瀾万丈な日々が始まりました。「そろそろブランドを担当して、マーケティングを」というような声に後押しされ、新製品開発の担当になったものの、たいした成功は出来ず、2000年の組織変革の波もあって、担当ブランドや所属部署が二転三転したんです。そうこうしているうちに、社内での私の立場も変化しました。
2002年には、肩書きこそシニア・マネージャーでしたが、実質的には炭酸飲料の低予算ブランド担当となりました。コストをかけた大規模キャンペーンを打つこともできず、最低限のマーケティング活動をした後に引き継いだときには、せいぜい自販機に貼るステッカーを作成するくらいの予算しか残されていませんでした。
正直、心が折れそうな状態にもなりましたが、退職という選択肢を選ぶことなく、「もう少しがんばってみよう」と粘ったんです。今、振り返ると「本当にあの時辞めなくてよかった」と思っています。「好きなブランドマーケティングの仕事で、もう何も出来ないというほどほど完全燃焼したわけではないのだから、周りをいろいろ気にするのはやめて自分が納得のいくところまでとことんやってみよう」と決めて、ある意味、開き直って仕事に取り組んだんです。
業績がなかなか伸びず、それゆえにマーケティング予算が少なくなってしまったブランドですから、「やることがたくさんあって大忙し」という状態ではありません。時間ならある。「だったら、山のように積まれた調査データやマーケット情報などの資料を穴の開くほど読み込んでやろう」と考え、実行していきました。そうして生まれたのがカナダドライの新しいブランド・ポジショニングでした。
本来、カナダドライ・ジンジャーエールはどんなお店にもある、お年寄から若者まで飲まれる大変メジャーな飲み物です。しかし王道感・本格感があり誰からも好かれる炭酸飲料なら、大黒柱であるコカ・コーラがある。だからこそ、カナダドライのブランド・ポジショニングは長年決められない状態にあったのです。
そこで「では、カナダドライは何を消費者に呼びかければいいのか」について考えたんです。そうして誕生したのが「ドライな味の大人向け炭酸飲料」というポジショニングです。若者向けに照準を合わせることの多い炭酸飲料でこのユニークなポジショニングが市場で受け、大きな成果につながったんです。
その後、ファンタを任された時には、おそらく清涼飲料では業界初の「復刻版パッケージ」でヒットをつかむことに成功しました。あるコンビニエンスストアからアカウント専用商材を依頼され、そのコンビニのユーザーの中心が30代以上の男性と知ったのです。そこで、「子供時代に飲んでいた、あのころのファンタ」を思い出させる懐かしい復刻デザイン・復刻フレーバー(味)のボトル缶を発売しました。これが狙い通り30代以上の男性に受けたんです。
こうして結果的に成功した事例ばかりを続けてお話していくと、マーケティングの王道を歩んできたかのように思われるかもしれませんが、先に申し上げたように、私はどちらかといえば時代に取り残され、その先の成長が見えにくいブランドばかりを担当していたように感じています。
インタビューをされる時には、たとえば「アクエリアスを8年ぶりにスポーツ飲料No.1ブランドにした」などという華々しい紹介をしていただいたりしますが、本当を言えば私がこのブランドを任された時には撤退寸前ともいえる状況だったんです。
この時も「ここまで生き残っているブランドなのだから、何か鍵になることがあるはず」というような踏ん張りが気持ちの中に生まれ、徹底的な分析の果てに「水分補給」というキーポイントを発見し、その優位性をうたった年の夏がちょうど猛暑だったことも追い風になって、実績に結びつけることができたんです。
もちろん失敗も経験しました。売れなければ責任を人一倍追及されるのもマーケティング担当者です。それでもなんとか、マーケターとしての勝率を7割〜8割で維持できた。逃げ出したくなるような状況でも、粘り抜くことができた。おかげで日本コカ・コーラに長年在籍し、有意義な経験を重ねることができたのだと考えています。
その後、お茶カテゴリーの責任者となって日本茶の「綾鷹」をゼロから開発し、ヒットさせたりするようになると、私にも少しずつ魅力的な「次のキャリア」を薦めてくれるお話が外部から届くようになりました。
マーケティングの世界で活躍したいと思っている者にとって、日本コカ・コーラは最高のステージだと今でも思っていますが、なんといっても巨大な会社です。マーケターとしての次の段階、つまり会社全体のマーケティングを任され、経営にも関わる意思決定もしていく存在であるCMOへと駆け上がるには、越えなければいけない多様な課題も存在していました。
心が揺れ始めた時期に、最初にありがたいお話をくれたのが20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン(以下、20世紀フォックス)でした。エンターテインメント業界だけに限らず、その経営手腕が広く知られていた内藤友樹社長のすぐ下で、マーケティング本部長となって全事業に関わっていける。この魅力的なお誘いに乗ることにしたんです。
よくインタビューなどで質問される事柄に「飲料メーカーから映像分野、エンターテインメント分野に転向した理由」というのがあります。しかし、私にとってこの転職は驚くようなリスクのあるものには思えませんでした。扱うのは映像作品ですが、売っていく商材はDVD やブルーレイ、つまりパッケージ商品です。そこは飲料と同じ。しかも日本コカ・コーラで扱ってきた飲料はいずれも「人を楽しませる、ドキドキワクワクさせる」マーケティングでした。
つまり「人を楽しませるパッケージ商品」を扱い、その魅力を多くの人に知っていただく、というミッションはまったく同じなんです。しかも、社長である内藤は話せば話すほど「この人と一緒に仕事がしたい」と思わせてくれる魅力の持ち主でしたから、迷うことなく転職を決めたんです。
その後、内藤が事故で急逝してしまい、20世紀フォックスは米国本社も入って、次の体制作りに動きました。その中で、私と営業本部長である川合史郎の2人が「代行」という形でジャパン・オフィスの経営を見ていくことになったのです。
この時期には、北欧・アジア担当のシニアバイスプレジデントも経営上の意思決定に加わってサポートしてくれましたから、私も川合もそれまでの職務であるマーケティングや営業の仕事を、以前とあまり変わることなく継続しながら、少しずつ経営者としての仕事に順応していけたと思っています。
そうして2013年に正式に代表取締役のポジションに就きました。川合も同じです。つまり2人の社長、ツートップによる経営が本格スタートしたわけです。この共同社長という体制は日本のビジネス界では珍しかったため、当時は話題にもなりましたが、20世紀フォックスでは決して珍しくありません。そもそも、米国本社でもつい1年半前までは2人社長体制がとられてきた経緯があります。ですから、世間で話題になったほどの違和感を私も川合も感じないまま今に至っています。
むしろ、「2人でよかった」と心から思っているんです。社長2人体制が必ず良い、という意味ではありません。川合というリスペクトできる人間が自分の相方としてついていてくれることが、非常にありがたいことだと感じているんです。おそらく、川合も心底同じ気持ちでいてくれていると思います。
社長というのは、端的に言えば「決断する」のが仕事。それを互いに尊敬し合え、なおかつそれぞれが違う強みを持っている2人で考え、話し合って決めていける。これはワントップの社長には決して得られない良さです。互いにリスペクトし合っているからこそ、言いたいことが言えます。
時には片方が熱くなることもある。けれども、そういう場合、もう1人は冷静になれるんです。状況に応じてアクセルになったり、ブレーキ役になったり。そうして重要な決断を納得しながら下していける。信頼関係のない2人の人間がトップを務めたら最悪のことにもなるでしょうが、私たち2人は最高の組み合わせだと自負しているんです。