▼ 最新のプロ経営者インタビューはこちら(2021年10月掲載)
ジャパンシステム株式会社 取締役 代表執行役社長 斎藤 英明 氏
[1]自己紹介をお願いします。
大学を卒業した私が農林中央金庫(以下、農林中金)に入庫して金融の仕事に就いた理由は、「農業という国の基礎を支える産業を通じて、貢献していきたい」という気持ちからだったと思います。一方で、学生時代から「海外へ留学して学びたい」という気持ちを抱き続けてもいましたので、入庫して数年後に留学制度を利用して、スタンフォードへの留学を果たしました。そして、この留学が私の人生を大きく左右することになりました。
多くのビジネススクール経験者同様、経営という役割の魅力に目覚め、ともに学ぶ仲間から刺激を受けたりもしたのですが、私にとって大きかったのは、もっと広い意味での「環境要因」。シリコンバレーという土地や風土が持つ豊かさもその1つ。そして、時代が大きく変わろうとしていた時期に、その変化の中心地であるシリコンバレーにいたことがとても刺激的に感じられたのです。私が在学した1994〜1996年は、Windows95が登場したばかりでなく、インターネット・ブラウザに革命をもたらしたMosaicや、検索事業という前代未聞のインターネット・ビジネスを確立したYahoo!などなども巣立っていった変革期でした。世界が変わろうとしている時期を、その最前線であるシリコンバレーで過ごし、その風をダイレクトに浴びたことで、人生観が変わったのです。
帰国後は農林中金に戻って数年間在籍したものの、シリコンバレーでビジネスに対する気持ちが大きく変わった私は、違う場所で違う向き合い方をしていきたいと考えるようになり、ボストン・コンサルティング・グループ(以下、BCG)への転職を決めました。
私にとってのBCGでの日々が、得難い高度な学びの日々だったことは間違いありません。コンサルティングを通じて、多くの企業の経営に関わっていくことは喜びでもありました。しかし、当時の私の率直な気持ちを言えば「生き残るのに必死」でした(笑)。当時のBCGジャパンオフィスはコンサルタントがまだ70人程度の小さな組織。そこにとんでもない実力の持ち主が結集し、次々と成果を上げて成長していましたから、「振り落とされずに結果を出す」ことに集中するほかなかったわけです。
結局、10年以上あそこで生き残り続けたのですから、我ながらよく頑張ったな、と思ったりもします(笑)。最終的にパートナーにもなり、キャリアの選択肢も開けてきました。もちろんこのままBCGにいるという選択肢もありましたし、別のファームなりファンド会社なりに移ってアドバイザリーのプロフェッショナルとしての道を歩み続ける選択肢もありました。この選択肢をチョイスする仲間も当時は少なくありませんでした。
しかしもう1つ、選択肢はあります。それはプライマリーのフィールドに進み、事業会社の中でコンサルティングで培ったものを活かしていく道です。「今、この時点でアドバイザリーとしての道を選んだら、年齢的に考えても、二度とプライマリーへの道を歩むことはできないだろう」と私は考えました。コンサルタント経験者ならば誰もが抱くであろう「直接の実行者としてビジネスと向き合いたい」という気持ちを、私は優先したのです。
そうして選んだ次なる場所がシスコシステムズ(以下、シスコ)でした。BCG時代からIT関連案件には多数携わってきましたし、なんといってもシスコはシリコンバレーの会社です。かの地で人生観を変えた私としては、理想的なネクストキャリアの場になりました。シスコが持つ技術力を、いかにクライアント企業のビジネスに活かしていけるか。それを追求するのが私の役目となりました。同時に、常務や専務に就任したことで、経営陣としての仕事も体験することができたわけです。
そうして満足をしていた私が、それでもネクスティア生命の社長就任という道を選んだ理由はシンプルです。インターネットを存分に活用した生命保険事業というものに大きな可能性を感じたから、です。損害保険領域などではすでに浸透してきていたネット活用ですが、これが生命保険においてもニーズを高めていました。これからの社会や人々の生活を考えてみても「ネット生保は確実に伸びる」と思えた。ネクスティア生命は日本で最初のネット専業の生保企業でしたから、そこで経営のイニシアチブを執れるという点に大いに魅力を感じたわけです。AXAというグローバル企業のグループ会社であることも魅力でした。社名変更を機に、私はこの会社の「成長を加速する立ち上げ」とも言える局面を担うことになり、今日に至っています。
[2]現在のご自身の役割について教えてください
世界のAXAグループの一員であることは当社の強みですが、アクサダイレクト生命は日本で地歩を固める途上にある中規模企業でもあります。しかも今は、社名変更を経て創業時同様のイノベーションを加速する局面にいますから、「やらなければいけないこと」は山のようにある。私の役割は「忙しい中規模企業の社長さん」。ですから「なんでもやっていますよ」が、この質問への答えになります。
例えば、これまではネット生保の先駆けとして、ピュア・オンラインによる市場開拓に力を注いできましたが、ここへきてようやくネット生保の市場が大きく開かれ、多くの人々に浸透しようとしています。そこで、ピュア・オンラインのみでなく、より多様なチャネルをお客様に提示して、誰もが様々なチャネルから当社の保険の魅力に気づいていただけるような取り組みを開始しています。
今まで通りインターネットの利点であるコストパフォーマンスや利便性を活かして個々の商品に磨きをかけるだけでなく、乗合代理店や保険比較サイトやアフィリエイト等との連携を強化して「異なる情報源にもすぐにアクセスできる」というネットの利点も積極的に活用し始めているのです。コールセンターでのお客様とのコミュニケーションの強化にも力を入れ、「インターネットの生命保険は手軽なだけでなく、安心して入れる」という部分も多くのかたに認識していただこうと努力しているところです。