[1]自己紹介をお願いします。
まずは職歴です。私は大学卒業時に住友金属鉱山に入社しました。「住友」というと、「財閥・堅実」というようなイメージを持つ人も多いと思いますが、住友の長い歴史をひもとくと、全く違う側面を知ることができます。
鉱山開発を進める中で煙害が発生、荒廃した林野を復活させる事業が、住友林業の原点となったように、住友グループは事業運営の中から、大きな飛躍を伴う新産業の創成を実現してきた企業集団です。後程述べますが、私は「新規事業を通し経営者になりたい」と大学時代から考えていました。そんな私は、この会社は新しい価値を生む事に積極的だと感じた事もあり、入社しました。
さらに、職種についてもこだわっていたのを覚えています。文系出身の学生が社会に出て、手に職をつけるとしたら営業か経理か人事だろうと当時から思っていました。つまり、「プロフェッショナル」にまずなろうとしたのです。
その中で、「会社の状況が最も把握できるのは経理」と考え、入社の際「経理でプロフェッショナルになろう」と思い、経理を希望しました。そして入社後の5年間、半導体部品などを扱う電子金属事業部門の経理担当として管理会計業務に従事しました。
その後、かねてから希望していた米国留学が実現しました。小学生時代の数年間をニューヨークで過ごした私は英語好きの上、アメリカへの親しみも強かった。こうして米国へ渡り、ミシガン大学のMBAプログラムに入学しました。そこで出会った同級生は優秀で刺激的。良き仲間に囲まれながら勉強にいそしみました。
そんな中、アントレプレナー・マネジメントという授業で、キンコーズを日本に持ってきたらどうか、というレポートを書き、大学に提出する傍ら、キンコーズと住友金属鉱山にレポートを送りました。キンコーズは「ビジネス・コンビニ」の先駆けとなったサービス企業で、コピー・サービスを軸に急成長していましたが、日本には似た存在はありませんでした。
このレポート、学校からの評価は大した事はなかったのですが、驚いた事に住友金属鉱山もキンコーズも、「やりましょう」と意気投合。大学院卒業後、何とキンコーズ・ジャパンの創業を任される事になりました。ですから、この「プロ経営者になる」というシリーズ記事の中に、現在のキンコーズ・ジャパンの社長である須原清貴さんのインタビューを見つけた時には、感慨深いものがありました。
日本でのキンコーズの事業が順調に軌道に乗った時点で、私は住友金属鉱山の本流部門である非鉄金属の事業部門に戻り、そこで4年ほど過ごしましたが、キンコーズ立ち上げの経験が私に変化をもたらしていました。
「自分にとって心地好いのは、ベンチャー系の事業が持っているスピード感だ」と思うようになりました。そんなタイミングで映像関係のベンチャー企業の経営者からお誘いを受け、事業企画・管理の責任者として初めての転職を、36歳の時に経験しました。
私はここで挫折を経験しました。1997年の入社後間もなく訪れたアジア通貨危機の影響を受け、キャッシュ不足に苦しみました。「現金がない」事がどれほど辛いかを思い知りました。
そんな中で転職を決めたのが日本コカ・コーラでした。5年間の在職期間中、コカ・コーラボトラーズとして莫大な金額をどんなプロモーション活動に投資するかを把握・管理する責任者である、マーケティング・ファイナンス部長を務めさせて頂きました。
世界的に有名な企業で、大きなお金を管理する業務は、とても素晴らしかったのですが、経理マンとしてキャリア・アップを図っていた私には不満もありました。それはこのポジションでいる間は、会社のバランスシートや損益計算書を見て経営に直結する仕事はできません。日本法人CFOに就任できれば可能ですが、これほど成功している巨大なグローバル企業でその地位に就くことは至難。そう気づいた頃から、次の職を求めることにしました。
そして決めたのがミスミグループでした。 ミスミグループCEO・三枝匡様にはCFOとして迎えて頂き、実に多くを学ばせて頂きました。そして、どの会社にいた時よりも猛烈に働きました。すでに私は40歳を超えていましたが、非常に濃密な4年間で、自分の成長を感じることができました。
CFOの立場から会社経営に貢献していく事にも、自信を持つことができました。だからこそ、そうして得た力や自信をぶつけていける環境を求めるようになり、現在のマンパワーグループへと到達するわけです。
振り返れば、多様な企業でキャリアを歩んできましたが、共通していたのは「モノを売る」会社で「経理・管理中心に」仕事をしてきた事。マンパワーグループへのお話をいただいた時には、「人材ビジネスの世界を何も知らない」事を多少気にはしました。
しかし、あちこちに転職をしてきたおかげで成長できたのが私。その背中をいつも押してくれたのが他ならぬ人材ビジネス。今ある自分を育てて頂いた人材ビジネスへのご恩返し、と思ったこともあり、転職を決意し、今に至っていますし、そんな思いが、今の仕事に対してのやりがいにもなっています。