「プロ経営者」になる。〜経営者インタビュー〜

画像:星﨑 尚彦 氏

星﨑 尚彦 氏

1970年代に誕生したメガネスーパーは、1980年代以降、低価格路線を軸にした店舗拡大によって急成長を果たし、日本を代表する眼鏡販売企業としての地位を確立した。しかしその後、競合との価格競争長期化により、徐々にシェアを失い債務超過に。
経営再建に乗り出したアドバンテッジパートナーズから派遣されたのが星﨑尚彦氏だった。 数々のブランド、メーカーで実績を築いてきた経営手腕によって着実に同社の赤字解消に成功している星﨑氏だが、はたしてどのような考え方や姿勢が根底にあるのだろうか?
いつもの20の質問を通じて、語ってもらった。

星﨑 尚彦 氏
株式会社 メガネスーパー
代表取締役社長 CEO
http://www.meganesuper.co.jp/

1966年、東京都生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、三井物産に入社。主に繊維関連事業、ファッション関連事業に携わった後、スイスIMDビジネススクールへ留学。在学中スイスの宝飾メーカー「フラー・ジャコー」と出会い、MBA取得後は同社日本法人の経営者に就任。短期間で業績の飛躍的向上に成功した後、婦人靴で名高いイタリアの皮革製品メーカー「ブルーノマリ」や、米国のスノーボード用品ブランド「バートン」でも日本法人の経営者を務め、いずれにおいても劇的な業績アップを実現。2012年、アドバンテッジパートナーズからの要請により、アパレルメーカー「クレッジ」の経営再建を担い、1年半でV字回復を達成。2013年6月、メガネスーパーの再建を任され、同年7月に社長に就任し、現在に至っている。

[1]自己紹介をお願いします

私は大学卒業後、三井物産に就職し、約10年の間に繊維関連およびアパレル関連の事業に携わっていました。父が取締役(当時は部長職です)を務めていた三井物産に新卒入社した、という話をすると周囲はたいてい「気楽でいいね」というような反応をするのですが、決して安直に就職先を決めたわけではありません。

時代はバブルでしたから、大手企業に入ろうと思えばチャンスは開かれていました。「同じ仕事をするならば業界トップでやりたい」という気持ちで、各業種のトップ企業から内定をいただくことはできていたのですが、「どうしてもやりたいこと」というのが定まっていなかった当時の私にとって、総合商社という存在が「いろいろなことにチャレンジできる環境」として魅力的に思えてきたことから、三井物産への入社を決意したわけです。

入社後、繊維やアパレルの事業に携わり、成果を上げていくうちに、私は1つの自信を掴みました。それは「無から有を生み出すような専門性はないけれども、自分には泥臭い営業を通して有をさらに大きくしていくことはできる」というもの。

ところが、成果を上げ、自信も深まっているというのに、「親の七光り」的な視線はいまだに残っていましたし、履歴書に胸を張って書き込めるような具体的スキルを持っていないことも気にかかり始めた私は、MBAの取得を目指すようになりました。たまたまハーバードやスタンフォードのような有名ビジネススクールの応募受付が終わったばかりの時期だったこともあり、私はスイスにあるIMDへの留学を決めました。

「修了後は物産に戻る」つもりで、休職届をだしてスイスに渡った私でしたが、ビジネススクールで出会った仲間たちからは「何を言っているんだ。今こそチャンスじゃないか」と言われました。要するに、経営を学んだ後は、自ら経営者になればいいじゃないか、というのが彼らの発想。その考え方に大いに影響を受けている最中、授業の一貫で出会ったのがフラー・ジャコーでした。

世界的にも実績のあるスイスの宝飾企業であるフラー・ジャコーの経営課題を皆で解決していこう、という授業だったのですが、当のフラー・ジャコー幹部もこのカリキュラムに参画。日本市場での問題点として「日本法人の経営者は日本人に任せるべき」という提案をした私に、経営陣から「じゃあ君がやってくれないか」という打診をもらったのです。

考えてみれば、学生時代から「自分はお山の大将になるのが好きだし、向いている」と思い続けていましたし、ビジネススクールの仲間たちからの影響もありました。祖父や父が経営の仕事をしてきた影響も受けていたと思います。そうして私は決断し、フラー・ジャコーの日本支社で経営者となることにしたんです。

正直なところ苦労はしました。アパレル業界とは違う様々なしがらみもありましたし、人員上の問題点もありました。しかし、思い切って組織改革をしていき、ブランディングに注力していった結果、日本での業績を一気に上げることができたのです。

こうして一定の成果を経営者として上げると、諸方面から声がかかるようになります。次の転機はブルガリが起ち上げたファンド会社が絡んだイタリアの靴ブランド、ブルーノマリの日本でのスタートアップでした。

「やってみないか」というお声がけに、私は「ひとさまのお金を使ってアントレプレナーシップを伸ばしていくチャンスだ」と感じ、引き受けることにしたんです。ここでも成果を上げることはできましたし、非常に有意義な経験ができたものの、ファンド側がイグジットした後に経営方針が大きく変わり、私は次の成長の場を求めることにしました。

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「経営の仕事に自分は向いているし、なにより面白い」という確信はできてきたものの、相変わらず「この事業がしたい」という面でははっきりしていなかったのですが、もともと大学時代に親しんだスキーや雪山の領域には愛着がありました。ちょうど老舗スキー用品ブランドのフェニックスが経営再建を始めようとしていたことから、私は名乗りをあげました。

再建責任者の座をめぐる競争を経て、最後の2人にまでは選ばれた私でしたが、最後は選んでもらえませんでした。理由は「たしかに2つの企業で高い実績は上げているけれども、年商100億円を超えるクラスの経営にタッチしたことはない」という内容。むしろ、断られたことで負けず嫌いな私の気持ちに火がつきました。

「見返してやる」と決めた時、運良くいただいたお話がスノーボード関連で100億円クラスのビジネスに成功していたバートンというブランドの経営でした。もちろん、これを引き受け、業績も130億円規模にまで伸ばし、利益においては飛躍的な向上も実現しました。ところが今度はリーマンショックの影響もあり、辞めることになったのです。

そうして次に選んだのがアドバンテッジパートナーズと組んでのアパレルの再建でした。このアパレルブランド「クレッジ」の経営再建を達成した後、次のチャレンジとして打診されたのがメガネスーパーだったのです。

実を言えば、クレッジの時もそうだったのですが、アドバンテッジパートナーズのような会社が経営再建を担うわけですから、その企業の状況は決して良くはありません。良い人材がいて、良い商品や事業があっても、何らかの問題があって数字に結びついていない。私の使命は、そうしたところに変革を起こして、理想論だけでなく、泥臭い努力を実行しながら数字につなげていくことにあります。

メガネスーパーもまた、かつて安売りで大成功した会社であるがゆえの問題点をたくさん抱えていましたが、「今度こそここで骨を埋める」くらいの覚悟で引き受けました。ここまでお話をしたように、それまでの私はいつも何か外的な要因が発生することで身を引いてきたのですが、「今回は違う」と強く思い、赤字解消に挑み続けているところです。

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