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画像:岡本 浩一郎 氏

プロ経営者インタビュー

岡本 浩一郎 氏

「弥生会計」を筆頭に、主に中小規模企業向けソフトウエアの領域で圧倒的実績とブランド価値を築き上げてきた「弥生シリーズ」。だが企業としての「弥生」は近年、その経営権が幾度も変転してきた。
高いバリューを持ちながら経営面で揺れる状況を、コンサルタントの立場で向き合った岡本氏は、やがて自ら動き、2008年に弥生の経営者となった人物だ。
はたして、弥生の経営に名乗りを上げた真意とは?いかなる信念をもって経営者の立場に就いているのか?……
20の質問への回答を通じて、誠実な言葉で思いを伝えてくれた。

岡本 浩一郎 氏
弥生株式会社 代表取締役社長
http://www.yayoi-kk.co.jp

1969年、神奈川県生まれ。東京大学工学部を卒業後、野村総合研究所に入社。約7年に渡りエンジニアとして大企業向けシステムの開発・構築に携わった。その間、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のアンダーソンスクールに留学、MBAを取得。1998年、ボストン コンサルティング グループへ転職し、多様な企業のコンサルティングに携わった後、2000年に起業。設立したリアルソリューションズを通じてコンサルティング事業を展開。一連の事業の中で出会った弥生に魅力を感じ、自ら同社の経営者となる道を選択。2008年4月より現職。弥生ブランドの強化と実績の再成長とを実現している。

[1]自己紹介をお願いします。

私が新卒時に野村総合研究所(以下、NRI)への入社を決めた理由は、さほど複雑なものではありません。中学生の頃から趣味でコンピュータのプログラミングに親しんでいたこともあり、いずれはシステムに関わる仕事をしたい、という漠然とした気持ちがあったこと。そして、海外留学に興味を抱いていたため、それを後押ししてくれるような企業に入れたらいいな、と考えていたこと。この双方の思いがNRIならば叶うとわかったことから、入社を決めました。

NRI入社前は「コンサルタントとは何か」がよく理解できていないまま、「いずれはシステムコンサルタントになれたらいいな」などと思っていたのですが、配属された部門はコンサルティングを行うところではなく、システムを実際に作る側、つまりエンジニアとしての仕事を行うところでした。それでも、結果としてこの配属は私にとってありがたいものになりました。システムの実体を理解できないまま、いきなり上流フェイズのコンサルティングを任されるのではなく、システムやプログラムそのものと向き合う立場を得たことで、エンタープライズ・システムをしっかり理解、習得できたからです。

留学については、入社4年目の1995年に願いが叶い、UCLAへ行くことができました。まさにIT技術が世の中を変えようとしていた時代です。そのタイミングでシリコンバレーもある西海岸で2年間をすごした私は、ビジネススクールでの学びや、当時まだ無名だったクアルコムでのインターン経験などなど、様々な刺激的経験を楽しみました。正直なところ、「もう日本に戻りたくない」と思っていたほどです(笑)。

帰国後は、新規ビジネスやグローバルな事業に積極的に携わりたい気持ちが高まり、中国での新規事業への参加を希望し、会社に認めてもらいました。NRIは日本の大企業でありながら、私のような若手社員の希望についても、前向きに考えてくれる素晴らしい企業だったのですが、会社の経営状況が当時難しい時期を迎えていたこともあり、結局、中国のプロジェクト自体が消滅してしまいました。

それでも留学帰りの私を成長させようと考えてくれた会社からは、中央官公庁の外郭団体への出向話を提示してくれました。会社としてはエリートコースの1つとしてオファーしてくれた訳で、とてもありがたい話ではあったのですが、出向をした当の私が「仕事が面白くない」と言い、結局戻ってくることになりました(苦笑)。それでもNRIは次なるチャンスを用意してくれました。ちょうど90年代の終わり頃から、欧米系金融機関による日本進出が加速していたのですが、それらへの対応を担う仕事を与えてもらったのです。

外資系金融機関がこの当時の日本に関心を示していた理由は明快です。「貯蓄率の高い日本人。彼らに積極的な投資行動をとらせることができれば、ここは宝の山になる」という発想です。NRIにいた私の使命は、こうした外資系金融機関に対し、システムに軸足を置いたサポートを行っていくことでした。そして、このシステム分野に関しては、大きな問題点もなく進めていけるケースがほとんどでした。

しかし、問題はシステムではなく、彼らクライアント企業のビジネスに対する見込みの甘さにありました。経営戦略や事業開発についてビジネススクールで学んだとはいえ、当時は実務経験もない私です。しかしそんな私でも、外資系金融機関が日本市場での成功を目指して行おうとしている戦略が往々にして的外れであることは、すぐにわかりました。「システムの立場からではなく、経営戦略の立場からコンサルティングができる存在になりたい」という気持ちが、とても具体的に私の胸で大きくなりました。そしてこれがきっかけとなって、転職を考え始めるようになったんです。

UCLA時代にコンタクトを持ったいくつかのファームを訪ねていった結果、ボストン コンサルティング グループ(以下、BCG)がひときわ魅力的だと感じ、1998年からコンサルタントとして仕事をするようになりました。さまざまな業種の企業を担当し、経営上の問題点解決に関わる体験は新鮮でした。時代的にはインターネットの浸透が進み、ITがらみの新規事業案件にも数多く携わりました。中でもeコマース・ビジネスなどは大いに注目されていました。コンサルティングの一環で事業担当者へのインタビューを重ねているうち、「インタビューしている場合じゃないかもしれないぞ。自分でも何かできるんじゃないか」という気持ちが膨らんでいきました。

そうして転職の可能性も頭のどこかで考えつつ、いくつかのeコマース関連企業のかたと会うようになったのですが、なかなか納得できる経営姿勢や事業内容と出会えない日々が続きました。するとあるとき、BCGのコンサルタントとして出会ったお客様から「独立はしないんですか?」と尋ねられる機会があり、「そういう選択肢もあったのか」と考えるようにもなりました。結局、いろいろなきっかけが重なった後、「独立〜起業」という方向で本格的に気持ちが動くことになったのです。

決意をして立ち上げたリアルソリューションズでは、NRIやBCGで得た経験やノウハウを活用したコンサルティング事業をメインにしていきました。2000年代に入り、日本では企業再生案件やポストM&Aの成長支援案件などが多発していた時期でしたので、そうした案件を主体にリアルソリューションズはまずまずの成果を上げていきました。

実は、私と弥生との最初の出会いは、リアルソリューションズの会計業務に「弥生会計」を導入した時でした。つまり、私は1ユーザーとして弥生の存在を知ったわけですが、その後、縁あってあるファンド企業から弥生の成長支援プロジェクトを持ちかけられることになりました。いつも通りに、投資関連の関係者や弥生の社内の皆さんへのインタビューを進めていったわけですけれども、そうして見えてきたのが「会社としては非常にバリューが高く、将来性もある」ということ、一方で「現状はアンダー・マネージメント。これを解決できる存在が必要」という課題でした。

しかし気づいたのはそれだけではありません。インタビューを重ねるうちに、私の気持ちにいつもとは違う変化が起きていたのです。要するに、弥生という会社やプロダクト、そしてそこで懸命に働く社員の人たちに対して愛着を感じ、その気持ちがどんどん大きくなっていたんです。本来は、弥生の経営再建を任せられる存在を検討する立場にあったはずなのに、気がつけば「俺がやらなきゃ誰がやるんだ」とまで思うようになっていました。その後間もなく、ファンドから社長のポジションをオファーされたのですが、引き受けることに全く迷いはありませんでした。

[2]現在のご自身の役割について教えてください

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一番重要なのは向かうべき方向性をキチンと指し示すことだと考えています。「弥生はいい会社だ」と先ほど言いましたが、つまりそれは市場で長年支持されているプロダクトを持ち、それを生み出す現場にしっかりと力を持った人員が揃っていたという意味です。たしかにそれまで海外資本の傘下に入ったり、国内大手企業にM&Aをされて経営の実権が移り変わってきましたので、経営の仕組みから何から大きく変え、もう一度建て直す必要がありました。システム開発の面でも改善すべき点は多数ありました。しかし、現場の力がしっかりしているこの会社ならば、経営面、システム開発面の再建を進め、経営者である私が将来戦略をしっかりと指し示していくことができれば「必ずうまくいく」と確信していました。

社長就任当初は、「口で指示する」のではなく、自分から現場に入っていって「身体で示す」ようなやり方を多用しました。納得のいく結果さえ見えれば、改革にも積極的に取り組んでくれる人材が多数いることを信じていたからです。そして実際、一定の時間は必要でしたが、その成果は数字となって現れました。おかげさまで「弥生」ブランドに対する市場の評価は、従前以上に高まっていますし、平仮名の「やよいシリーズ」を通じて、まだまだ未開拓だった個人事業主や小規模企業にもブランドを浸透することができました。それもこれも、この会社がそもそも持っていた現場の力が生み出した成果だと考えています。

私が今、あらためて経営者として力を入れようとしているのは、企業カルチャーの確立です。先ほどもお話したように、この会社は過去に、幾度か大きな変化を体験してきました。経営陣が変わるたびに提唱する思想や理念も変わりましたし、採用や育成の方針も変化してきました。入社したタイミングなどによって、異なるタイプの人材が集まって今に至っているわけですが、今こうして一定の成果を皆で上げた状況だからこそ、共有できる価値観や発想、カルチャーというものを皆で確立し、共有する必要がある。それを後押しするのが今の私の大きな役割だと考えています。

[3]小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう?

普通の子どもだったと思います。勉強はできるけれども、かといって皆から注目されるわけでもない(笑)。といいますか、小さい頃から私は周りに染まらない方だったので、自分からそういう風に振る舞っていたのかもしれません。

中学に入って夢中になったのがコンピュータの世界でした。1980年代初頭にポケットコンピュータと呼ばれる携帯型端末がカシオやシャープから発売されていたのですが、これをお年玉を貯めて買い、それ以来、プログラミングに没頭しました。

[4]高校、大学時代はいかがですか?
リーダーシップの芽生えのようなものはあったのでしょうか?

高校に入ると、それまでに溜めていたお年玉を全てはたいて、パソコンを手に入れました。買ったのは、当時マイナーな存在だったシャープ製のX1シリーズのパソコンです。当時のパソコンはできることが限られていましたから、それを自分の工夫でできるようにしていくことにハマっていました(笑)。楽しくてしょうがなかったんです。人とちょっと違っていたいという性分は変わっていませんでしたが、好きになったものにはとことん打ち込む人間でもあるので、予備校に通う頃には何のアポも取らずにパソコン専門誌の編集部に押しかけ、「大学生になったらバイトで使ってやる」と言ってもらったりもしました。実際、大学生になってからはこの雑誌でアルバイトのライターをしていたんです。

高校時代には文化祭で、自作ロボットの展示などもしました。要するに、「やりたい」と思えたこと限定でアクティブになる(笑)。そういう学生時代でした。ですから、いわゆるリーダー体験のようなものは特に経験していません。

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