セミナー・相談会

戦略コンサルタントのキャリアを考えるセミナー

《1部》第1回「キャリア構築のノウハウ キャリアの理論と実際」

■小杉 俊哉 氏 合同会社THS経営組織研究所 代表社員/慶應義塾大学大学院理工学研究科
特任教授/立命館大学大学院テクノロジー・マネジメント研究科 客員教授
早稲田大学法学部、MITスローン修士。 NEC、マッキンゼー、ユニデン、アップルの人事総務本部長を経て独立。
著書多数 「職業としてのプロ経営者」、「起業家のように企業で働く」、「30代はキャリアの転機」。

小杉俊哉先生

講演者の紹介

【荒井】本日はお忙しい中お集まりいただき誠にありがとうございました。それでは「20代・30代の戦略コンサルタントのキャリアを考えるセミナー」の第一部をはじめます。まずは講演者である小杉先生のプロフィールからご紹介いたします。

小杉俊哉先生は、現在、合同会社THS経営組織研究所代表社員であり、慶應義塾大学大学院理工科学研究科特任教授と、立命館大学大学院テクノロジー・マネジメント研究科客員教授をされています。早稲田大学法学部卒業、 MITスローン修士、 NEC 、マッキンゼー、ユニデン、アップルの人事総務本部長を経て独立されました。著書も多数お持ちです。それでは小杉先生よろしくお願いいたします。

【小杉】皆さんこんばんは。ご紹介いただきました小杉俊哉と申します。よろしくお願いいたします。今ご紹介をいただきました通り、30代の時に妻子を連れてマサチューセッツ工科大学のスローン経営学大学院に私費留学をして、32歳でマッキンゼー、33歳でユニデン、36歳でアップルを経て39歳で独立しましたから、30代は自分のキャリアを一番動かした時期でした。もの凄く大変でしたが、望んでやったことですし、結果的にあの時の苦労が40代以降の自分のキャリアの糧になっていると感じています。
今は、大学や大学院で教鞭を執るほか、講演や研修、企業へのコンサルティングに取り組んでいます。おかげさまで、こうした場に呼んでいただけるのは、一言でいうと「色々なことやってきた」ということに尽きるのではないかと思っています。
当時から「お前には無理」とか「ありえない」といわれるようなことをやり続けてきたので、私自身、常にもがいてきました。それは今も変わりません。しかしそのおかげで、58歳になった今も自分の成長を感じますし、自分のキャリアのピークはまだ先にあると考えられるのだと思います。

元コンサルにとって、起業が一番難しい理由

元コンサルタントのキャリアには、いくつか選択肢があります。中でも多いのが、別のコンサルティングファームにいくという選択肢です。給与水準も高いですし、長くこの業界にいると他の仕事ができなくなってしまうという側面もあるでしょう。
コンサルティングファーム以外だと、プライベートエクイティファンド、事業会社に進まれる方もいれば、起業される方もいます。
コンサルティングファーム、プライベートエクイティファンドは、コンサルタント経験者である皆さんにとっては一番やさしい選択だろうと思います。それに比べると事業会社はちょっと難しく、起業はさらに困難です。

私のかつての同僚に、DeNAの創業者である南場智子さんがいます。彼女はマッキンゼーでパートナーまで登りつめた人ですから、彼女のことをよく知らない人は「南場さんはハーバードのMBAだし、マッキンゼーのパートナーにまでなった人だから、起業して成功した」と思っています。でも実際は全然違います。むしろマッキンゼーでパートナーになったにも関わらず、起業して成功した希有な人なんです。
なぜでしょう? それは起業して成功するには、泥の中に手足を突っ込むことを厭わず、脇目もふらずに取り組まないと実現できないからです。これはコンサルタントがもっとも苦手とする振る舞いでしょうね。戦略を考えるのと、自分が泥まみれになってでも何かを作るというのは、まったく別の才能がいるということなんです。
私が知る限り、元マッキンゼーで起業して成功した人は、この南場智子さんと医療ポータルサイトを運営するエムスリーの谷村 格(いたる)さんの2人ぐらいではないかと思います。もし「起業のススメ」のような本を読んで、勉強してから起業するような人は絶対にうまくいかないので、安易な気持ちで手を出さないほうがいいでしょうね。それぐらい起業家の道は大変だということなんです。

ですから今日は、コンサルティングファーム、プライベートエクイティファンド、起業家へのキャリアについての話を割愛して、事業会社のキャリアを中心に話をしたいと思っています。

コンサルタント経験者に勧める、事業会社でのキャリア

企業の中で出世して社長になるというのは、確率からいって宝くじにあたるよりも難しいものです。かといって自ら会社を興し、ひとかどの社長になるというのも、今申し上げた通り非常に難しい。
これらに比べ比較的実現しやすいのが、事業会社に招かれて、社長業に携わるという選択肢です。

このプロ経営者としてのニーズは主に3つあります。ひとつは外資系企業の日本法人の経営者、もうひとつがプライベートエクイティファンドの支援先企業で事業再生にあたる経営者、最後に後継者不足に悩むオーナー系企業の経営者です。いずれにおいても、日本ではその役割を担える人材が圧倒的に不足しています。コンサルタント経験者はその数少ない候補者なのです。

以前、私がまとめた『職業としてのプロ経営者』という本の中でインタビューした31人のプロ経営者のうち、コンサルティング経験者は26人と大多数を占めていたほどです。
コンサルタント出身の著名経営者でなくても、「億」クラスの収入を得ている人もたくさんいます。ですから、事業会社で経営者を目指すことは、コンサルタント経験者が進むべき道として、非常にいい選択肢なのではないかと思います。

プロ経営者になるために20代、30代でやっておくべきこと

企業の中で出世して社長になるというのは、確率からいって宝くじにあたるよりも難しいものです。かといって自ら会社を興し、ひとかどの社長になるというのも、今申し上げた通り非常に難しい。
特に優秀な人ほど大企業に入り、そこで死蔵されてしまっています。彼らにもっと早くから責任を与え、実力に見合うポジションを任せれば成長できるはずなのに、上が詰まっていてなかなか重責を負うことができないがために、外に出ることもできない。これは日本にとって非常に大きな問題です。

私が先ほど申し上げた著書の中で、インタビューしたプロ経営者の平均年齢は45歳でした。上場企業の課長の平均年齢は40歳前後といわれています。では、プロ経営者と上場企業の課長はどこが違うのでしょうか。紐解いてみると、 20代、30代の過ごし方が全然違っていました。
だいたい同じ仕事を3年やると慣れてしまいますが、プロ経営者の素質を持っている人はここで楽をしません。一度、手綱を緩めれば成長が止まることを知っているからです。そのため、現在プロ経営者として活躍している人の大半が、20代のうちに環境を変えるために留学したり、コンサルティング業界に転職したりして、ここからさらに成長曲線を上に向ける努力をしています。
30代になっても、挑戦する意欲は衰えません。今度は環境を変えるだけでなく、収益責任を負う事業責任者になることを目指して活動するようになります。もし30代後半になっても社内でそのチャンスに恵まれなければ、転職して機会を得ようとする。大事なのは、任せてもらう事業の大小ではなく、収益責任を負う経験そのものなので、まずやることが重要だと考えるからです。

30代を事業責任者として実績を積むことに費やし、遅くとも40代の後半までに、プロ経営者としてスタートを切るというのが、具体的なイメージでした。
ですが、プロ経営者になったらそれでお終いというわけではありません。プロ経営者として活躍されている方が口を揃えておっしゃるのは「苦難、試練の連続であり、それは今も続いている」ということでした。
プロ経営者はなったらゴールではなく、そこから継続して自己を成長させながら、会社を成長させる仕事なんです。

ロジックを振りかざすだけでは、誰もついてこない

コンサルタント経験者が、事業会社に転職する場合、気をつけるべきポイントが幾つかあります。中でも一番重要なのは「ロジックやプロフェッショナリズムを振りかざしても、まったく相手にされない」という現実を知ることです。
皆さんも、日々コンサルティングに携わるにあたって「ロジックは世界共通語」だと考えているのではないでしょうか。それは決して間違いではないのですが、事業会社でロジックを振りかざしてしまうと、いわれたほうは黙り込んでしまい、まったく動いてくれなくなってしまうという危機的な状況を招くことがあります。
価値観もカルチャーも違い、出会う人もまったく違う中で、自分が正しいと思うことを実現しなければならないことが、事業会社の難しさです。私自身もかつて、事業会社で同じような経験をしたことがありました。

先ほどお話しした通り、私はマッキンゼーを辞めた後、当時の会長の要請でユニデンという会社に入り、人事総務部長になりました。それまで人事や総務の経験がないまま、突然15人の部下を抱えることになったわけです。
「会長の下でいい気になっている」。古参の社員にはそう見えたのでしょう。当然反発を食らいました。私自身、人事総務の実務を部下に任せきりで、自分は会長と一緒に制度設計にのめり込んでいましたし、事業会社の人よりも優秀でなければいけないというプレッシャーがありましたから、自然とクールでスマートでロジカルなイメージを醸し出していました。つまり、自分の不安を見せまいと、コンンサルタントの仮面をかぶったまま、部下と接していたわけです。
これでは、うまくいくものも、うまくいきません。そこで私は反発していた部下の前で謝り、コンサルタントの仮面を捨て、部下と本音で向き合うという約束しました。
具体的には、その日から毎日、15人の部下全員と話すようにし、彼らの仕事がやりやすくなるよう、関係各所に働きかけはじめました。
もちろん全部聞き入れるわけにはいきません。でも可能な限り聞き入れて実行したところ、自ずと組織に一体感と信頼関係が生まれ、やりたかったことも徐々に実現できるようになっていったんです。

ありのままの自分をさらけ出さないと、他の人は認めてくれない。ロジックよりも大事なことがあることに気がついたこと、それがコンサルタントから事業会社に入って学んだことのひとつでした。

40代以降は、自己承認ではなく他者支援に回るべき

若いうちは自己承認と自己確立の欲求が非常に強いものです。特にコンサルタント経験者であればなおのことそうかも知れません。
しかしある時点で、自己承認から他者支援に回っていかないと、うまく回っていかなくなってきます。年を重ねても、いつまでも「自分が、自分が」と前に出るタイプには、人がついてきてくれなくなるのです。特に事業会社であればその傾向は強いでしょう。
これがいわゆる「中年の危機」です。皆さんはまだ若いのでピンとこないかも知れませんが、今までのやり方では、何かうまくいかなくなるという時期が必ず来ます。男は40代前半、女は30代前半ぐらいでしょうか。ちょうど厄年と同じタイミングですね。
この時期が、自己承認と自己確立から、一歩引いた立場で周囲を支援したり、チームを率いたりして、組織として何かを成し遂げる方が上手くいくようになる境目の年代なのだと思います。
ですからその時期が来たら、過去に固執せず違うやり方を受け入れることが必要ですし、人間として厚みを持たせる意味でも、40代前半を目処に、生涯をかけて取り組みたいと思えるミッションやビジョンを持つことも大事だと思います。

ちなみに私のミッションは、「組織と個人の両側から刺激とエネルギーを与えることによって、組織が活性化し、個人が元気によりよく生きるよう支援すること」です。
偉そうにいっていますが、これが明確になったのは42歳の時でした。それまではよくわからず「自分が、自分が」でやっていました。でもそれではうまくいかないことに気がついて、こういうことを意識するようになったのです。

『プランド・ハプンスタンス(計画された偶発性)理論』とは?

これは私の持論なのですが、仕事やキャリアを考える上で大事なのは、常にアンテナを張って流れを読むことと、流れに乗ることを躊躇しないこと、そして、いったん流れに乗ったら絶対にものにすることだと思っています。
ご存知の方もいるかも知れませんが、マサチューセッツ工科大学エドガー・シャイン先生が提唱した『キャリア・アンカー理論』のように、もっとも大切な価値観や欲求をもとに、自分の天職を見つけていくというのが、従来のキャリアの基本的な考え方でした。
それに対して、スタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ先生が展開したのが、『プランド・ハプンスタンス理論』です。プランド・ハプンスタンスとは「計画された偶発性」という意味ですが、その意味するところは、予期せぬ出来事をキャリアのチャンスとして活用するという理論です。
具体的には、好奇心、持続性、楽観性、柔軟性、冒険心を大事にし、偶然の出会いやチャンスをキャリアに転換していくというものなのですが、私自身もまさにこの理論に当てはまるような生き方をしてきました。

よく学生たちから「どうして会社を辞め、家族を連れて留学するようなリスクが取れたんですか?」と聞かれます。でも私にしてみれば、留学をしたいからしたのであって、それはリスクではないんです。
生まれた時は好奇心の塊だったはずなのに、年を重ねるうちに「いい年だから」「就職したから」「家族がいるから」と、好奇心に蓋をしてつまらない大人になっていってしまいます。でも一度きりの人生です。抑圧している好奇心を解放し、自分が得意とするやり方や成功体験をベースに新しいことにチャレンジしてみればいい。乱暴ないい方ですが、お金や仕事は後からいくらでも帳尻を合わせられるものだからです。

先ほど例に挙げたプロ経営者の皆さんにインタビューをした時も、大半の方が「たまたま」とか「偶然」という言葉を使ってご自身の半生を振り返っておられました。
私自身を振り返ってみても、コンサルタントになったのも、留学できたのも、事業会社で働いたり学校で教えたりするようになったのも、全部「たまたま」ですし「偶然」の賜でした。
でも、ただ待っているだけではなく、アンテナを高く掲げ、いつチャンスがきてもいいように備えてはいました。そしてそのチャンスが来たら絶対に逃さないということの繰り返しで今日までやってきたんです。

自分のミッションや将来へのビジョンを持ち、偶然を大事にする。これができればきっとあたのキャリアにも明るい未来が開かれるはずです。

ご清聴ありがとうございました。

【荒井】小杉先生、ありがとうございました。それではここから質疑応答に入ります。

質疑応答時間

【参加者・Aさん】先ほど、40代を境に自己承認から他者支援に変わるべきという話がありました。自分の成長だけを求めている段階から、他者支援を通じて自分の成長を感じるように切り替えるには、具体的には何をしたらいいでしょうか?

【小杉】他者を支援すると、その他者が成長することで自分も嬉しくなりますよね。それが結果として自分の評価にもつながってきます。つまりフォーカスを当てるのは自分ではなく、他者に変わったというふうに考えれば、いいのではないでしょうか。部下を育てて目標を達成しても、自分で手を動かして達成しても、最後には自己成長が感じられるわけですから、実はそれほど大きな変化ではないのです。

【参加者・Bさん】お話の中で、好奇心を次のアクションの原動力にするという話をされていたかと思います。好奇心がいくつもあって絞り切れない場合はどうしたらいいでしょうか?

【小杉】全部やったらいいと思いますよ(笑)

【参加者・Bさん】そうですね(笑)。でも、人生には限りがあります。すべてに取り組むのは難しいというのが正直な印象です。

【小杉】もちろん優先順位は必要でしょうね。でも、まずは食わず嫌いをせず、チャンスがあったらやってみるのが一番だと思います。そうやって「つまみ食い」を重ねながら、行けそうだと思ったらもっとやってみる。今は凄くいい時代で、副業や社会貢献活動などを通じて、会社とは違う体験がしやすくなっています。コンサルタントをやられていると忙しいとは思いますが、今の仕事をしながらいろいろチャレンジしてみれば、味もわかるし、優先順位なんかも見えやすくなるんじゃないかと思います。

【参加者・Cさん】私は現在コンサルタントをやりながら、自分の事業にも取り組んでいるんですが、私自身も2 ~3年おきに訪れる偶発的な出来事によってキャリアを作ってきたような気がします。でも一方で自分のミッションや将来へのビジョンの描き方がわかりません。どうしたらいいでしょうか?

【小杉】「ギフト」という考え方があります。つまり天に与えられたその人だけの才能です。自分のミッションやビジョンを描く時、それに気づくことが凄く大事なんです。でもそれは必ずしも大リーガーイチローのギフトのように、誰にも伝わる優秀さではないかもしれません。私の場合もそうでした。私は子どものころ凄く神経質で、人が何を考えているか、どんな感情を抱いているのかが気になる性質で、自分でもそれが嫌で仕方がなかったのですが、実はこれが自分にとってのギフトだったんです。それに気がついたのは、人事の立場で交渉ごとに関わる機会が増えてからのことでした。そこからは、自分のギフトを大事に生かす術を磨くことに時間を費やし、ミッションやビジョンの確立につなげていきました。

【参加者・Cさん】それが40代前半くらいの時の気づきにつながったわけですか?

【小杉】私の場合はそうでした。周囲を見渡しても40代前半に気づいている人が多いように思います。20代、30代にやるべきことをやったら、ちゃんと立ち止まって内省する機会を持つのは非常に重要じゃないかなと思います。

【荒井】小杉先生、質問してくださった皆さん、ありがとうございました。これにて第一部の講演を終了いたします。

※当日の講演内容を一部編集してまとめています。

[an error occurred while processing this directive]