#INSEAD(いんしあっど)
1991年の夏から92年の年末までの1年半、私はフランスで暮らした。パリ郊外、南へ約60kmのFontainebleau(フォンテーヌブロー:長いのでここではFTBと略そう)という小さな町にあるMBAスクールに留学したためだ。
FTBは、広大な国有林「FTBの森」(なんと250平方km!)に囲まれた自然豊かな町だが、なんと言っても有名なのは世界遺産「FTB城」だ。もともと狩猟場だったFTBに16世紀、宮殿が建てられ、以降フランス歴代の王様が増改築を続けた。最後の主がナポレオンであったことから、町には今も彼の象徴Egle(イーグル、鷲)にあふれている。お金持ちの別 荘地であると共に、フランス全土でも五指に入る観光地でもある。
その北の外れに、欧州経営大学院 INSEADはある。
1年制のMBAコースはその授業やテストの過密ぶりにおいて列ぶものはなく、卒業条件としての第三外国語はアジア系学生をとことん苦しめる。
しかしながら、国際人材の輩出というそのビジョンは出色であり、50ヶ国から学生を集め、仲間とし、また世界中にばらまき、グローバルネットワークを創り上げている。
INSEADという場で、そしてFTBを中心とした生活(と旅行)で、私が学んだもの、得たものは非常に大きい。おそらく、その後20年間をその思い出で満たせる程の重みを持ったものであった。
その中でもほんの幾つかを、紹介しよう。前編では、INSEADとそこでの友人から学んだこと、後編では延べ8ヶ国に及んだ欧州旅行の数々から学んだことを書いてみよう。
#MBAコースって・・・
講義の内容自体で目新しいものは殆ど無かった。そりゃそうだ。私は既に経営コンサルタントとして4年を過ごしていた。お客様にMBAが一杯居るのに、その内容を知らないなんてあり得ない。自学自習、同僚との勉強会等々で経営学の基本的な内容はだいたい身につけていた。アカウンティング、マーケティング、組織論、企業戦略論等々。
ただ、INSEADならではの内容が随所に見られて大変為になった。例えば会計1つとっても大陸の会計基準をベースに、アメリカがどう違うか(実は株主向けは結構いい加減)とか、イギリスがどうヘンかとか、更に日本はもっと不思議、とかを教えてくれる。
また、ヨーロッパの企業は日本と同じく歴史があり、労組が強く、組織が硬直していたりする。それをどう変革していくのか、使われる様々なケースはかなり役立つモノだった。
それでも、知識面だけで言えばMBAコースに2年1000万円以上をかけて行く価値は、おそらく、ない。知識だけなら今の時代、自学自習、もしくはGlobisにでも行けば十分だ。
もちろん「激務ご苦労様。2年間休養と英語研修に行ってらっしゃい」という(今時少ないが)大企業派遣であれば、何であろうと文句はない。
一体、MBAの価値とは何だろうか。
今振り返ってみれば私にとってそれは、人生の幅の拡大だった。
#絶望的状況からの生還
入学前、INSEADで4ヶ月間のフランス語特訓コースを受けた。当時、フランス語が入学条件(今は違う)で、かつ私はフランス語が全く出来なかったからだ。アン・ドゥー・トロワくらいしか分からない。
入学条件として求められたのは「Working Level」のフランス語。実際の最終テストはこんな感じだ。
控え室にいるとLiberation(リベラシオン)という新聞(軽めの経済紙)の記事の切り抜きを渡される。「Koji、30分後にその記事についてのdiscussionをしましょう」。もちろん辞書の持ち込みは、不可だ。
必死に読み、自分の話しやすいテーマに結びつけたお話しを組み立てる。フランス人との口頭試験の30分間を凌げれば、勝ち。
特訓コースのクラスは上下の2クラス。私は下クラス7名の一人だが、クラスメートに日本人は私だけ。クラスが始まってすぐ分かったのは、私のレベルが下クラスでも圧倒的に最下位 だと言うこと。
クラスメートはメキシコ人、ドイツ人、サウジアラビア人、アメリカ人。
まずメキシコ人は論外。スペイン語はフランス語と同じラテン語系なので、書いてあるものはほぼ読めるし、聞くのも結構いける。ただフランス語は発音が難しい(語尾が省略されて繋がったりして東北弁風・・・)のでそこだけの練習。でも文法が零点だったので下クラスにいる。
イギリスは、昔永らくフランスに支配されていたので難しい言葉(学術・政治・経済用語)ほど共通性が高い。だから英語のネイティブスピーカーは楽ちん。
ドイツ人も英語が上手だったが、このサウジアラビア人はオックスフォード出だったので、実はアメリカ人の何倍も英語を知っている。
こんな訳で最初の数週間、私はフランス語の闇の中にいた。目は開けているし、耳も聞いている。でも何にも分からない。フランス人教師の「教科書の10ページ目を開いて」という指示すら分からない。
1日予習をすると150の知らない単語が出てくる。復習をすると100が追加される。それを毎日ひたすら覚えていく。でも授業には全くついて行けない。流石に「これはやばい」と思っていた。これでフランス語の試験に受からなければ、日本に強制送還・・・か。
長女が日本でまさに生まれようとしていた91年の末、私は久しぶりの「絶望的状況」の中にいた。FTBのマンションに一人、やることはフランス語の勉強だけ。たまにパリに車で出れば、信号無視で捕まり、警官に「ここはフランスなんだからフランス語で話せ」と(もちろんフランス語で)脅される始末。
1ヶ月が経ち、光が差した。ようやく教師の指示が分かるようになってきたのだ。そこからは「発音は最低」とか言われながらも遂に、口頭試験をパスするところまで上達した。(促成だったのですぐ忘れてしまったが・・・)
これは久々の限界突破体験だった。何を学んだか?そりゃ「人間、やれば出来る」でしょう。
#異文化コミュニケーション
入学前、4ヶ月間のフランス語特訓コースをくぐり抜け、無事入学を果たした私を待っていたのは、強烈な異文化体験だった。
INSEADのウリはインターナショナルな人材の輩出。インターナショナル、はグローバル、とは違う。世界統一などはなく、各国や各人の違いがあってそれを尊重し合いながらちゃんとお付き合いをすること、それがインターナショナル。
というわけで、授業のレポート提出単位である「グループ」は、最も人的衝突が起こりやすいように国籍や職歴がバラバラに組み合わされている。
......以下の続きは本でお読み下さい。