【質問】
思い出に残るプロジェクトを教えてください(前編)
成長のパターンって、コンサルの世界においても実に様々です。遅咲きもいれば早熟もいる。何をきっかけに開眼するかが人によって状況によって様々。また、コンサル、マネージャー、オフィサーそれぞれで向き不向きってのはある。だから、ある時代にイマイチだった人が上にあがるとそっから大活躍とかその逆も起こります。
なので、私個人の成長の奇跡、じゃなくて軌跡を辿ってご紹介することには自分の回顧趣味を満たす以上の意味がないかも知れない。出来る限り皆さんへのインプリケーションを意識して書いていきますが、この手の話って具体的写実的に表現しないと面白くもなんともない。なので常にSo what を追及する賢明なる読者の方々には少しかったるいかもしれませんが我慢してお付き合い頂けると幸いです。
たぶん一回のコラムでは終わらないのでシリーズで書いていきますね。もちろんかったるすぎたら連載中止しますから(苦笑)
先ずは新人時代。
僕は大学を卒業してすぐにBCGに入社しました。当時のBCGはまだ戦略ブティックなんて呼ばれていて、仕事の種類はほとんど戦略だけ。東京事務所のコンサル数は30名ちょい。同期入社は3人だけ。会社というよりほんと事務所って感じで、トレーニングとかも殆どなし。3日間のオリエンテーションを終えて全員いきなりプロジェクトにアサインされました。一人は大手航空会社の、もう一人は大手自動車会社の、それぞれ半年以上の長期プロジェクトに入りました。メンバーも8人くらいで当時としてはかなり大きいプロジェクト。
で、僕はというと中堅外資系証券会社の3ヶ月足らずで人数もオフィサー、マネージャーとコンサル2人の小さなプロジェクト。マネージャーはカナダ人のリック・ホイストンさん。今は香港で悠々自適の生活してると聞きます。どうでもいいですよね、そんなの。でこの人見た目かっこいいのにいっつもポケットに小銭ジャラジャラ入れてて、しかもジャラジャラ鳴らしながら話をする。なんかだらしない感じ。
正直ハズレひかされたなあって思いました(笑)俺って期待されてないのかなとすら思ったもんね。他にもプロジェクト色々あるのになんでこのクライアントにこのマネージャーなんだよ、って。
後で聞くと、オリエンでこのマネージャーの講義のときに新人3人の中で僕だけが頷いてたらしくこのマネージャーは僕が一番英語が出来ると思い、こいつを使いたいと指名してくれたらしいのですが、実はオリエンの話はまるで聞いちゃいませんでした。小銭ジャラジャラうるせーよ、とか思いながら頭の中ではペットショップボーイズ流して体ゆらしてたわけです。それが頷いてるように見えたんだろうか。
前ふり長くなりましたが、そんなわけで僕はちょっとがっかりしつつコンサルキャリアをスタートさせたわけです。でもね、結果的にはこのプロジェクトに最初にアサインされてほんとに良かったなと。頭をトンカチで殴られるくらいの大ショックとほんのわずかな自信とを同時に与えられました。そして何より大きかったのはプロジェクト全体の流れを短期間で学ぶことが出来ました。
先ずはトンカチ級の大ショックについて。 最初のチームミーティングでくらいましてね。プロジェクトの社内オリエンだと聞いてたのに先輩たちはいきなり議論を激しくはじめ、新人の僕なんてまるで無視。議論の中身はチンプンカンプン。メモすらとれず僕は廃人のごとくボーっと座ってるしかありません。で、ミーティングの休憩のときに、それまで僕を一瞥もしてくれなかったオフィサーが声をかけてくれました。
オフィサー:「おい。おまえヘレンケラーみたいだな。」
僕 :「へっ?」
オフィサー:「英語わからん、金融ビジネスわからん、戦略わからん、つまり何も出来ない三重苦ってことだよ。何の役にもたたんわ。ハッハッハー」
オフィサーは一方的に高笑いだけを残して給湯室へと消えていったのです。このとき僕の中で何かがガラガラと音を立てて壊れていくのがわかりました。自分は何でも出来ると思ってたのにここじゃ何にも出来ない。しかもそれを完全に見透かされている。
ほんとのほんとに何も出来ない経験って皆さんあります?あんまり覚えないですよね。普通は多少なりとも周りが手を差し伸べてくれたり教えてくれたり。第一、誰にとっても何も出来ないってことはまずあり得ないし。でもあり得ないことが起こってしまった。
追い討ちをかけるかのごとくその数日後のミーティングでは、「お前は頭使えんだけじゃなく気も使えんのか。コピーくらいバイトでも端をそろえて持ってくるわ。もう何もしなくていいからじゃまだけはするな」と怒鳴られる始末。僕の失意は絶望へとかわりました。とんでもない職場選んでしまったな。コピーくらいで怒鳴るなよ(笑)いや当時の私としては真剣そのもの。マックのバイト以下じゃん。。
そんなこんなで数週間は先輩たちから振られるデータ入力とグラフ作成、インタビューに同行してのメモとり、新聞のスクラップ、などなど、殆ど下請け作業ばかり。決してミスしないようにとどんどん萎縮していったように記憶しています。しかし救いの手は唐突に差し伸べられました。プロジェクトとは関係のない、同じ学卒の先輩が同じく深夜残業をしていていつしか事務所に二人だけになった日のことです。