金光隆志のコンサル転職Q&A

[第28回] ご自身のキャリアについてどうお考えですか...

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【質問】 
金光さんはご自身のキャリアについてどうお考えですか?なぜBCG?なぜDI?そして今、これからどのように進んでいこうとされているのでしょう。とても興味があります。宜しくお願いします。

みなさん、こんにちは。春の足音が聞こえてきましたね。心躍ります♪


さて。自分のキャリアを振り返って、つくづく思うこと。それは、ただの一度も後悔がないということ。まあ厳密にいうと、音楽か進学かで迷ったときに、進学を選んだことで、ほんのちょっぴり心残りがあったかもしれません。それが今のキャリア選択にも繋がっているので、そのあたりから少し話をはじめましょうか。

小学3年生のとき、身体の弱い母につきそって大阪大学付属病院に通っていたある日、母から「あなたがここの先生になって将来ママの病気を治してくれたら嬉しいな」みたいなことを告げられたとき、私は将来医者になって、母の病気を治してあげよう、と決意しました。

中学3年の夏、医者になるには相当勉強が出来ないとダメなのだ、と悟り、人生において初めて猛勉強を経験しました。睡眠時間4時間、寝ている時間以外は全部、ほんとに全部勉強。風呂でもトイレ(失礼)でも勉強。学校の休憩時間も勉強。周囲からは異様な目で見られていました。それまで学校でギター弾いて、チャラチャラしてた奴が、夏休みが明けると急にガリ勉君にかわってたのですから。

そして、地元の進学校に、当日試験トップの成績で合格。まあ中学からの内申書が宜しくなかった(笑)ので、総合トップではないのですが、我ながらよくがんばったと思います。蛇足ですが、刈り上げ頭が校則の学校でとうとう最後まで長髪を貫いたのは、不良連中含め、私ただ一人。内申にも多少響いたと思います。。

高校時代は再び青春を謳歌しつつ、それなりに勉強もアドバンテージを維持できました。頭の隅にはつねに医者になることがありましたが、一方で音楽が大好き。スポーツも大好き。ということで、放課後はラグビーとバンド活動。その後音楽のほうにどんどんのめりこみ、自分は勉強よりもスポーツよりもギターよりも歌に才能があると気づきました。当時でも3オクターブは裕に出てましたし、ピッチは完璧。耳がいいので歌いまわし(ボーカリーズといいます)もすぐコピってしまえる。ポップやロックならメタルを含め殆ど全ての楽曲を歌えました。ただの学園祭バンドでしたが、「プロみたい」だと周囲の学校でも評判のボーカルになっていました。

一方で勉強のほうは、数学と物理が大好きだったので、それだけはちゃんと勉強続けていたと思います。高校3年の春、最後の学園祭出演を終えて、バンドは解散。その頃から再び猛勉強モードに入り、受験前には一応殆ど全ての医学部に合格できる程度まで学力も到達しました。

ところが、さすが思春期。高校卒業を目前に控え、私は初めて自分の進む道に迷いと疑問を覚えました。小学校のときに考えた将来像のまんまで大人になっていいのか?母の身体のことは大事だけど、医者になって世間知らず(失礼)になっていいのか?どうせ世間知らずなら数学者とか物理学者になるほうが向いてるのと違うか?あるいはもっと社会全体に関わっていくべきではないのか?そして、、ほんとは音楽やりたいのと違うのか??

そんなとき、ある雑誌の特集記事に目がとまりました。ジョン・メイナード・ケインズの生涯を特集した記事でした。音楽や芸術を生涯愛し、数学者になる夢敗れつつも数学の才能を生かして経済官僚として成功し、常に政府のアドバイザーとして、外交官としても名を馳せた経済学者、ケインズ。憧れました。そして何をどう血迷ったか、私は自分をケインズにダブらせたのです。「医者ではなく、音楽ではなく、社会全体に貢献する人間になろう。」なんというアウフヘーベン!!

国語と社会は学校の試験ですら赤点を連発していた私ですから、先生は猛反対。でも母は賛成してくれました。「あなたは手先が不器用だしおっちょこちょいだから、手術とかやるよりも、きっと向いてるわ。やりたいことやりなさい」なんという卓見!!
ということで、私は医者ではなく、ミュージシャンではなく、気がつくと法学部に進学していました。大学に入ってから、私は一切音楽活動をしませんでした。意地であり、また医者にならなかったことの償いのつもりもありました。

ところが、大学2年のころには早々に、行政という選択肢に無力を感じていました。官僚の諸先輩方には大変失礼ながら、輝いている人が殆ど見当たらない。エラソーにしてる人はいたけど、仕事の中身を聞くと、つまらないことこの上ない。天下国家を論じてくれる先輩もいましたが、一方で縦割り行政の限界の話を聞かされる。日本で官僚になってもケインズにはなれそうにありません。

蛇足ですが、当時私のケインズへの思い入れは半端ではなく、大学入学早々に、ケンブリッジキングスカレッジ(ケインズの出身校です)と文学部の交換留学プログラムに、文学部でもない自分が語学の先生に頼み込んで、文学部の先輩方を差し置いて選抜してもらったりしました。世界中から文学部の大学院生が集まるプログラムに、日本から法学部一年生のガキがやってきたものだから、他の留学生からは白い目で、というか完璧にバカにされてました。でも語学の先生とケンブリッジ側のチューターの教授は暖かかった。授業に出なくていいし小論文も書かなくていいからケインズの足跡を調べなさい、功績を学びなさい、それが君がここに来た目的なのだから、と。幸せな2ヶ月でした。その経験があったから、なおさらケインズになるためには妥協できない。
大学3年生の秋、そろそろ進路を具体的に考えねば、というころに、東京の大学に進学していた友人のところへ遊びにいきました。そこで私は始めてBCGをしることになります。当時関西でBCGを知っている人は殆どいなかったはずです。関西よりも東京の学生の方が全然マセていて、私の友人やその友人から世の中にはいろんな職業や会社があることを教えて貰いました。その中でひっかかったのがBCGです。

友人は本当に就職情報マニア(笑)みたいな奴で、BCGやマッキンゼーがいかに世界で凄いか、とか、マッキンゼーの大前さんが政府アドバイザーの活動もしていることや、これからはBCGだ(笑)みたいな話を散々してくれました。それからというもの、なんとなくBCGのことは意識していて、またまた、たまたま、ある本との出合いが私のキャリアを決定付けました。BCG創業者ブルースヘンダーソンの「経営戦略の核心」(残念ながら多分絶版です)。衝撃を受けました。

私の頭の中の問題意識として、既に日本経済はマクロ経済政策だけで動かせるものでも動かすべきものでもない、個々の企業の経済活動発展がリードしていくものだ、だが企業個々の経営が、レッセフェールのみによって発展を補償されると信じるなど、ナイーブすぎる。そこには何か主体的客観的にコントロールできる法則や構造が、本当はあるのではないか。

そんな問題意識がありました。「経営戦略の核心」はまさにその問題意識にストレートに答えてくれる内容だったのです。ミクロ経済とマクロ経済の中間的な、産業構造論的なものの見方から、経営における成功の方策を論じたエッセイ集で、度肝を抜かれました。「この人天才だ?!!」と。

私の進路は確定しました。ヘンダーソンの門下生になろう。いずれは彼のように世界の経営者に影響を与えられる人間になろう。そして、いつか政府のアドバイスもやろう。

父や母は心配しました。そんな聞いたこともない会社に行って大丈夫か?変な会社じゃないのか?みたいな。父などは私に内緒でこっそりBCGがどんな会社か尋ねていっていた、と後で知りました。恥ずかしいです(笑)。

BCGに入るのは相当難しい、と散々例の友人から聞かされていましたが、そんなの関係ありません。入るんだ、と勝手に決めてました。面接で志望動機を聞かれたときに、ケインズの話しから始まり堂々とキャリアビジョンを語りました。政府のアドバイザー目指すなら官僚の方がいいんじゃないの?と問い返されても、さらに持論を展開し、ヘンダーソンを超え、10年後にアドバイザーもやります、と宣言しました。

入社してからの苦闘の日々は、これまでに何度も書いてきましたから、もう語りません。苦闘も幸せであった、とだけ、明言しておきます。10年後には本当に政府アドバイザーも経験させてもらいました。当時東京事務所代表だった堀紘一さんに、政府の経済審議会の企画部会特別委員をやってみないか、と誘って頂いたのです。経済審議会の委員は経済界の大物・重鎮の方々で構成されるものでした。堀さんもその年度の委員として入っておられたのですが、当時の大蔵主計局長のご友人から、「若い人を議論に参加させたい」との要請を受けて、私に声をかけ推薦してくださったのです。

その時に、本当の意味で初めて、BCGの凄さを思い知りました。企画部会の特別委員ということで、本会議の事前に議論のたたき台を用意する準備会議も設けられていたのですが、議論の進め方、煮詰め方、議論のレベルがあまりにBCG基準からすると甘くて、言い方悪いですが、「官僚ってこんな仕事の仕方してるから毎日帰りが遅いのか」とすら思いました。

しかし、配慮感覚はずば抜けていて、カッティングエッジな議論も彼らの手にかかれば見事な玉虫色の文章が出来上がります。さらにすごいのは、玉虫なんだけどよーくよむと本当は何を言いたいのかも書いてある、みたいな。学びましたが幻滅しました。そして官僚にならなくて良かった、BCGを選んで正解だったとつくづく思いました。

よく自分でもわからないのですが、この経験で、少し人生観というかキャリアの考え方が変わった気がします。BCGの中で一つのマイルストーンを達成した、という思いもあったかもしれません。とにかく私の中で、「これから先、どうしようかな」みたいな漠然とした思いが芽生えていました。元来茶目っ気が多いほうなので、「何か新しい刺激がほしいなあ」という感じです。一方で、まだまだブルースヘンダーソン越えは達成できてない。それは自分にとってのもう一つの目標みたいな感じでは残っていました。

ですが、時は2000年。ITバブルまっさかり。BCGも踊らされていました。ファンドを作ってベンチャーにどんどん投資していこう、みたいな動きがワールドワイドで盛り上がり、辞めていったシカゴのだれそれが、ストックオプションで巨万の富を得た、みたいな話とかが、社内でうわさになったり。正直いやでした。BCGが汚され、壊されていく気がしていました。

そんな折、DI独立の話を聞かされ、ショックは更に拡大。BCG内では相当な反発の声もありました。BCG内では何度も議論が行われました。その議論の過程で、BCGへの思いが急速に冷めていった気がします。DIはけしからん、という意見には相当な違和感を覚え、一方で、DIと同じことをやりたい・やろうという動きに嫌悪感を覚え。あーあ、俺の居場所なくなっちゃったなあ、みたいな疎外感。

BCGにはそんなビジネス向いてない、やってもうまくいくはずない、戦略専門家の本筋に戻るべきじゃないのか、そんな意見を言っても、当時は殆ど耳を貸してもらえなかった。

DIから声をかけてもらったときには、もう殆ど心は決まっていました。BCGが中途半端に変わっちゃうならここにいる理由はない、同じことやるんならむしろ俺はDIで。

BCGは引き留めようとしてくれましたが、なんかそれも嫌でした。オフィサーエリジブルに申請したところなのに、とか、やりたいこと何でもやったらいいから、とか、DIは失敗するから、とか。あまり聞きたくない話しばかり。私が聞きたかったとすれば、「BCGの伝統を東京事務所一丸となって守っていこう」みたいな話だと思う。それなら、私はブルースヘンダーソンを目指した(笑)かもしれない。でも、その選択肢が消え、「新しい刺激がほしい」気持ちが勝りました。会社を立ち上げるなんて、なんだかピンときませんでしたが、それが面白かった。DI立ち上げの1年半くらいは、本当に刺激的でした。

今、私はBCGにもDIにもとても感謝しています。私のビジネススキルの殆どはBCGとDIで身につけたものです。ここでの経験が今、自分で音楽レーベルを立ち上げていく活動の中で生きています。BCG時代に身につけた戦略発想は私のすべてのバックボーンです。DI時代に学んだベンチャービジネスの育て方を、及ばずながらも実践しています。音楽業界で何一つコネも経験も無かった私が、一人でレーベルなんぞを立ち上げ、仲間を増やしていき、なんの実績もないのにビクターとの流通契約が結べ、活動が本格的になってきたのは、BCGとDIの経験があったからこそです。

レーベルが成功するか失敗するかはこれからですが、結果がどうあれ後悔はない。高校時代から心残りだった音楽と再び真正面から向き合うことができて、沢山のアーティスト達と巡り合い、世の中の人にエンタティンメントを仕掛けていける。刺激いっぱいの生き方です。

5月にブロンディ・ボン・ビアンカというアーティストをCDデビューさせます。東京では4月からテレビ東京金曜深夜26:30~「あにてれ情報局」という番組のオープニングでブロンディのPVが流れます。超カワイイのでよかったら見てみてください。番組はブロードバンド配信もされます。ブラジル音楽のリリースも5月から始まります。HMVやTWRで面出しされるので、こちらもよかったらきいてみてください。今年はブラジル音楽来ますよ?!

プロフィール

金光 隆志 氏

京都大学法学部、ボストンコンサルティング グループ マネージャー、ドリームインキュベータ取締役を歴任後、現在音楽を中心に活動。 映画・ビデオなどへ楽曲をプロデュース・提供し、05年春にはアルバムリリース予定。NYにてライブハウス・クラブのプロデュースも手掛けている。
また、従来のキャリアの延長で経営人材育成・派遣や経営支援等も行っている。ASPIREAL代表。Directors代表。RAISEプロデューサー兼ボーカリスト、camino(ロックバンド)エグゼクティブプロデューサー

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