<昇り調子>
この学校に来てとっても良かったな、と思うことの一つは、ビジネススクール全体が昇り調子だということ。なにしろ1900年の創立だから、伝統のある他のビジネススクールのように誇れる歴史があるわけではないが、常に変わり続けている、また変わろうと努力し続けている息吹を感じることが出来る。
ランキングでは、常にトップ10周辺をうろうろしてはいるが、とびきり強いFinance や、International Business、Media以外は外部の評価もまだまだ定まっていない。今年は去年まで20位 外(圏外)だったMarketingが権威のある評価メディアで12位にランキングされたりと、非常に頑張っているのだ。
また、Marketingの教授や、Marketing現場で活躍する卒業生などが中心となって、「Stern Branding Project」なるものも進められている。これは、Sternの認知度を高めよう、ブランドイメージを確立しよう、という取り組みで、先日途中報告を聞いたが、この学校の弱点、強みを様々な角度から分析しているとても興味深いものである。
また先月、Financeの教授であるProfessor.Engleがノーベル賞を受賞したときなども、皆の喜びようは(特に学校関係者の)ただごとではなかった。好き嫌いはあるだろうけれども、秩序よりも混沌を好む私は不安定ながらも自分から動き続けているこの感じが非常に好きである。
頑張れば自分の力で学校が変わるかもしれない、何かもっと貢献できることがあるかも知れない、いやいやしなければ、と思っているうちに一学期終わりかけている事実に唖然とする日々でもある。
とりあえず、この日本人の減少傾向を何とかしなければ(一昨年3人、去年4人、今年3人)。入学審査官にもおまえら(日本人一年生)が何とかしろ、とこの間言われてしまっているし。
<言葉なんて>
一学期も残すところあと一ヶ月弱である。目まぐるしくもとても充実した毎日で、後悔していることはあまりないが、一つだけ、とってももったいないことをしたな、と思っていることがある。それは、Internationalであるということ、アメリカで仕事をしたことがないということを上手くいかないことの言い訳にしすぎたな、ということ。
クラスで言いたいことがあるのに上手く伝えられなかったときや、発言できなかったとき、グループワークで自分の意見を皆が聞いてくれなかったとき、テストの点数が思ったよりも悪かったときに、英語が母国語じゃないから仕方ない、といつも自分に言い訳をしてきた気がする。本当は言葉なんてたいした問題じゃない、と知っているはずなのに。
これまで5年間の社会人生活を通して様々な国の様々な人と仕事をしてきた。私の英語は今よりももっと下手だったし、相手が英語を話せないときだってあった。でもいつだってなんとかなった。相手も仕事だからということはあるけれど、やらなければいけない、という気持ちは必ず伝わったし、成果 だってちゃんちゃんと出してきた(?)。言葉は重要だけれども、コミュニケーションの一手段にすぎないと身を持って学んできたはずだった。その気持ちを忘れかけていた。
クラスメートたちが皆華々しい経歴を持ち、NYの英語はとてつもなく早口で、皆自己主張が強くて自分が間違っているかもしれないという気にさせられるから、とかほかのインターナショナルのクラスメートは皆アメリカで働いた経験があるから、等々のくだらない理由で。タイミングの違いだけなのに。
最近、週に二回ほどクラスメートが集まってケースインタビュー(コンサルティング会社などの面 接で、最近こういう事例があってね、... 君ならどう解決する?? と聞かれるもの)対応の練習を行っているが、そこで厳しいクラスメートたちによく言われるのが、もっと自信を持ちなさい、気持ちのもちよう、声の出し方、目線、そんなことで人の印象はまるで変わってくるんだから、ということ。
それと、優しい彼らは、日本語で出来ることが英語で出来ないなんてことは有り得ない、とも言ってくれる。そこでまた単純な私はすぐその気になるのだ。全てがいっぺんに上手くいくわけはないが、不思議なもので、自分の気持ちを変えるだけで確かに何かが違ってきている気がする。コミュニケーションがスムーズになってきている。伝えようとする意思の強さの違いだけで、こんなに伝わり方が違うんだ、とあらためて驚かされる。やっぱり何事も言い訳は見苦しかったな、もう絶対に言葉なんかを言い訳にしないぞ。