先月号でお話したように、今学期は基本的にファイナンス系の授業を中心に履修を出しました。その中で面 白いなぁと思った授業はLaura教授が教えている"Advanced Corporate Finance"でした。
別にスプレッドシートをまわすから面白いと感じたわけではなく、寧ろ彼女は授業中で企業がいかに戦略及び財務的な視点から行動基準を考えるべきかを教えようとしているのは非常に感銘を受けました。ただ、彼女は大半のアメリカ人同様に、株価の動向で株主価値の最大化を測る傾向があります。この前のGeneral Dynamicsのケースでそれを強く感じました。
ケース自身が複雑なのでここで省略することにしますが、問題のポイントとしては、企業が苦境の中で、大規模なリストラを伴う改革を断行するCEOが巨額なボーナス(リストラに伴う株価上昇によるボーナス)を得るのが妥当かどうかという点です。授業参加者が色んな役割を与えられ、それぞれの立場からいかに自分の主張が正しいかを弁明しなければいけません。
このケースに関しては、私が大規模なリストラによる株価の上昇が果 たして中長期的には、企業の潜在的な成長を反映しているかどうかに非常に疑問を感じています。と同時に、仮にそれが正当化できるものであっても、企業トップはこの敏感な話題に関してより慎重に扱うべきだと感じています。
というのは、企業の成長には、従業員たちを含めたStake Holder達の協力が常に必要不可欠だと私は思います。確かに、一時的に費用削減で株式市場から好意的な反応が得られますが、長期的に成長ないし利益をより強固たるものにするには、やはり目先のものだけではなく、いかにStake holdersを巻き込み、お互いの利益を同じベクトルにし、共に企業の成長を考えるようにしなければいけません。仮に、それが短期的に企業の収益にマイナスを与えるとしても。
面白いことに、授業に参加している学生の中で私が考えることに賛成してくれそうなのはごく少数(あるいは全くない)に限ります。とあるアジア系アメリカ学生が私の考えに対しては、こう返しました。「君が言っていることは分かります。しかし、我がCorporate of Americaは常に利益を出さなければいけない宿命を背負っています」......
誤解しないでいただきたいのですが、決して私が利益及び株式市場を軽視しているわけではありません。しかし、株式市場が果 たして理性的に企業の潜在的な長期利益を考えているかどうかについては、非常に疑問を抱いています。
一つ良い例としては、株式アナリストは大半の時間を費やし、企業の四半期収益の予想に精を出すのに余念がありません。そのせいなのか、企業のトップまで、あえて長期的な利益を損するまで四半期の利益の捻出するような本末転倒のような行為に走っています。アメリカ元財務長官であるルービン氏が彼の自伝の中で、その部分については鮮明に描いています。
私は株主価値最大化の忠実な支持者ではありますが、短期的な株価上昇にはほとんど興味がありません。なぜならば、平均的には、人間が高度な理性を持ち、合理的な枠組みの中で判断を下せますが、その一方で、人間は生まれつきで「貪欲」及び「恐怖」に晒されやすい生き物でもあります。
悲しいことに、特に短期的には、その傾向が一段と強くなります。そういった人間性に関する根本的な前提の下で、企業経営及び資本投資に際しては、短期的な収益あるいは証券の値上がりに一喜一憂するのは決して良いことではありません。
以上で論じた理由以外には、人間活動で成り立つ市場では、とある自己期待からポジティブな反応が生まれやすく、しかもその傾向が長期に渡り、増幅することすらあります。それが必ずしも金融に限ることなく、例えば、外交においてもそうです。ジョージ・ソロスの理論を借りれば、それが一種の反射定理です。
しかし、反対者からはいとも簡単に私に反撃を加えることが出来ます。「日本では、あなたのような価値観が盛んですが、なぜアメリカよりパフォーマンスが悪いのでしょうか?」確かに、その通 りです。しかし、一つ言いたいのは、私が言っているのは日本流と同じかと言うと、必ずしもそうではありません。
日本企業のやり方はある意味では偽者と言わざるを得ません。往々にして、企業が長期的な利益というスローガンの下で、行うべき改革を怠ってきました。それは日本だけではなく、お隣の韓国でもよく見られる現象です。全てとは言いませんが、それが人々のマインドセットに関連しているのではと思います。
ともあれ、企業経営もしくは国家運営においては、いかに長期的な視点で物事を見られるのがその企業ないし国家の将来を決めると言っても過言ではありません。Lauraの授業を聞きながら、それを強く感じています。