6月16日、卒業しました。今まで支えてきて頂いた皆さん、本当にどうもありがとうございます。
ビジネススクールは自分の中で勝手に「人生最後の学校」と位置づけています。渡米前は悩みも多く、お金の問題や年齢の問題、社会的なプレッシャーなどもあり、留学をやめようかと思ったことも度々でした。
大学卒業後3~4年経ち、受験を試みたものの、あまりの学費の高さに唖然として挫折。その後、社会人5~6年目にそのとき付き合っていた米国人の彼氏に影響されて彼の母校受験を試みるものの、その後色々あって挫折。今回の留学も会社の退職と相俟って3ヶ月の準備でどたばた受験となりました。某大手予備校の校長には「奇跡」と呼ばれながらも、合格してみれば、留学後のキャリアや不安からかなり迷っていたところで、奨学金の受領が決定。今回留学しなければ、今後もう二度とチャンスがないだろうと思い渡米。
学校が始まってみれば、睡眠時間を削って勉強とイベントが重なる毎日で未だに「流れに任せてここまで来てしまった」という印象が拭えません。夜中まで一緒に勉強した友人に支えられて、気がついてみれば二年間終わってしまったというような印象です。
この二年間を振り返ると自分の中でいくつもの「壁」を乗り越えることができた様な気がします。英語は苦手ではありませんでしたが、プレゼンテーションやスピーチ、リーダーシップは文化的なものもあるとは思いますがかなり低レベルであること。得意分野であるはずのファイナンスも自分よりさらに優秀なクラスメートに比べればまだまだであること。長年の課題であるネイティブに劣らないライティングと完璧な発音。
外国人であるということはビジネススクールでは言い訳にはならないし、アンダーセンでは国際関係の授業も他校と比べれば少ないことから授業の準備にかかる時間も友人に比べれば多かったこと。毎回50ページを越すリーディング・アサインメント。週末を費やしてエクセルで組み立てた金融のモデリング。最後の学期になってみれば、もっと勉強しないともったいないかもなどと貧乏症になり、学校で過ごす時間も若干増えました。
アンダーセンは公立のため、学期の開始も遅ければ、卒業式も一番遅く、試験やクラスも卒業式前日まで行われているため他校の友人に比べてかなりバタバタしたスケジュールでした。この二年間を振り返る余裕もあまりなかったため、今後数回に分けて過去二年間の貴重な経験を振り返ってみたいと思います。
Nozawa Fellowship
今後留学を考えられている皆さんのために、まずアンダーセン独自の奨学金プログラムについてご紹介します。「野沢フェローシップ」は、アンダーソンの日本人若しくは日本に興味のある学生のみが選考対象になっており、学費補助として年間$25,000程度(年度ごとに若干変動)が与えられます。2006年度は対象者が一人であったため、分割はありませんでしたが、2007年度は対象者が三人に増加したため、総額はほぼ変わらないものの、一人当たりの金額は減少したとの話を聞いています。
1986年に米国パナソニックの炊飯器部門立ち上げに関与したジョージ・野沢氏が提唱したイニシアチブを記念して野沢フェローシップが誕生しました。野沢氏は亡くなりましたが、野沢夫人はご健在でビバリーヒルズ近郊の日本式豪邸でお住まいになられています。
選考の基準としては、今までの経歴・功績、今後のキャリアポテンシャル、エッセイ、最近は教授や過去の野沢フェローとの面接(私の年度はありませんでした)も含まれていると聞いています。裏話になりますが、日本女性のマネージメントが圧倒的に少ないことから、女性であることはやや優位に評価されます。過去の野沢フェローとのネットワーキングができる点もプラスです。
私の場合は日本人であることから、自動的に選考の対象となり、アドミッションから合格通知後に、奨学金選考エッセイの提出をする旨、連絡がありました。入学前にエッセイ(日米関係を改善するために何をビジネスリーダーとして行っていくか?)を提出し、日本関係の数名の教授のレビューを経て、学期開始後の10月前後に学校側から奨学金の対象になったというレターが自宅に届けられました。
年度にもよりますが、年間$25,000(課税対象外)が分割で学費に均等に充当されます。この奨学金を受けられることがなければ、私費留学である私自身の留学もあり得なかったかもしれません。今後留学を検討されている皆さん、学校選択の際にも是非ご参考になさって下さい。但し、繰り返しになりますが、この奨学金は合格者であることが前提条件になります。アンダーセンに受験を予定されており、さらにご質問のある方は在校生が直接お答えしますので、こちらから。
それでは皆さん、来月も宜しくお願い申し上げます。