#失敗は「成功」の母
またまた前回の予告と変更して「仕事で学んだこと」、その中でも「失敗を通 じて学んだこと」を2~3回、書きましょう(このままだと旅行エッセイになってしまいそうなので)。
これまで関わってきた70を超えるプロジェクトの中で、最も思い出深く、かつ、思い出したくない苦しみを抱えたプロジェクトの話、である。
新卒のアナリスト(下っ端)として喜々として仕事を始めた私は、2年目の冬に、大きなチャレンジを与えられる。それはプロジェクトの中での「パート」を一つ自分でやる、というもの。
プロジェクト全体のテーマは大手企業のある事業本部の改革。で、私が与えられたのはその下の一事業部の戦略、だった。
当時のプロジェクトリーダーはただ、「この事業部、見てみてよ。結論は、たぶんXXXじゃないかなあ」と。それだけだった。
その事業部は技術シーズを素にした商品・サービスがひしめく事業部。
数百ある商品はタイプも規模も収益性もバラバラで、どう整理して良いのか、切り込んで良いのか、全く見当もつかない。特に最先端技術を素にしたもの(樹脂とレーザーを使った3D試作品作成機とか)は将来性が読めず、どう議論してよいのかさえ分からない。
期限は3ヶ月。メンバーは私一人。4ヶ月後に結婚を控えた私の、孤独な戦いが始まる。
でも、もちろん結果は明白。まるで進まない。現場から話を聞こうとしても、超多忙な技術商品担当者たちは、忙しい忙しいと逃げ回る。研究開発部門からそのまま事業部に移ってきた彼らからすれば「素人相手に話しなんかする暇ないし、ムダ。やってられん」だ。
そのくせ、いざインタビューが始まって「こいつは理系の話が分かるカワイイやつ」と思ったとたんに突然饒舌(じょうぜつ)となり、自身の夢を、技術のビジョンを熱く語り始める。1時間のインタビューのはずが、社食での夕食をはさんでついには5時間。技術分野ごとにやるとして、これがあと30名・・・・深夜、メモをまとめる気にもなれない。
#「夢」を論理的に議論出来るのか
一体、こういった「夢のある」事業たちをどう評価すればいいのだろう。
その時点では市場規模どころか将来性すら定かでない、でも技術的エッジを持ったものたち。考えても考えても考えても、分からない。
遂にそのまま、期限の3ヶ月がたってしまい、中間報告が迫る。でも報告書は影も形もない。
そしてプロジェクトリーダーの運命の一言。「その事業部の報告は最終報告会まで延期する。」 さらに3ヶ月、社会人2年生アナリストの呻吟艱苦(しんぎんかんく)は続く。
結婚式場の打ち合わせに、遂に一度も出席せず、6畳一間のアパートの畳に置かれたノートPC(マッキントッシュ パワーブック)とともに起き、寝ていた。
#失敗だからこそ多くの手法を学べる
でも、その6ヶ月にこそ、私のコンサルタントとしての基礎がある。その時、結果として身に付いたのは「アプローチや考え方の幅」だ。
......以下の続きは本でお読み下さい。