#人の巾
「与論島」って、どこにあるか分かりますか?
都道府県としては鹿児島県だが、場所は沖縄本島のすぐ北、九州からは南に200km下ったところに位置する。珊瑚礁に囲まれた、バスで一周40分、人口6千人の南の楽園である。
いや、別世界と言うべきであろうか。日々、都会の時間と環境で生きている我々にとって、この南海の孤島での学びは深い。
今回の舞台である与論も沖縄も、きっかけは浪人時代の友人だ。1981年の春3月末、見事に受験に失敗し、浪人生となった私は、ひとり東京、お茶の水にいた。駿河台予備校への入学手続きのためだ。(因みにその時の「駿台入試」は生涯最高の出来だった・・・遅すぎる・・・)駿台3号館7階の臨時斡旋会場で下宿を探した私は「駿台生専門」「賄い付き」「改築直後」等々の言葉に惹かれ、高円寺のある下宿を選んだ。
結果として、そこはあらゆる意味で私の予想と期待を裏切り、超える、驚異の下宿屋だった・・・
見かけは一般の住宅なのだが、そこにはなんと11人の浪人生がいた。駿台生は私ともう一人だけ。その一人は3浪生で他の下宿人と一切関わりを持たず(出会っても挨拶しない)、当時「ソビエト(不可侵領域の意)」と呼ばれていた。他の10名も浪人生なのだが、うち、生活時間帯が同じ、つまり普通に予備校に通って勉強をしている者は僅かに4名。残りの6名の生活は謎であった。夜、一緒にコンビニに行くくらいしか共通時間がない。ただ、この友人達の「巾」は非常に広く、私に色々なことを教え、見せてくれた。これほど奇矯で貴重な友人達は、他にいない。
その中に、与論人と沖縄人がいた。10名の内、この2名が最初に友達同士となっていたのだが、当初、他の8名は、彼らを外国人だと思っていた。彼らの方言(北琉球語)での会話が、全く理解できなかったからだ。実際には与論の方言と沖縄那覇の方言はかなり違う(らしい)のだが。
彼らは飛び抜けて面白かった。考え方や行動が。
「なんとかなるさぁ!」だし「やるよ、オレ」だ。たった500円を賭けただけで、冬の大噴水(高円寺駅南口前にある)に躊躇無く飛び込もうとするヤツらだった。「オレ、100円でもやるよ!」
この友人達は、もちろん私を全く特別扱いしない。平気で話を遮るし、平気で殴る(私も殴り返す)。頭もスキルもポジションも関係ない、ヒトはヒトなのだ。それだけだ。
当然のことだ。
#古代人のおおらかさ
琉球語の特長の一つに「母音の縮退」がある。つまりは「あいうえお」の五音が「あいういう」の三音になってしまっているのだ。故に「底(SOKO)」は「スク(SUKU)」に「瓶(KAME)」は「カミ(KAMI)」となる。よって「瓶の底」は「カミノスク」。
他にも面白い規則的変化がある。与論ではHがPとなることだ。花はパナ(HANA→PANA)、人はピチュ(HITO→PITU)。これは実は中世日本語の発音に等しい。江戸時代、日本人は「はひふへほ」を「パピプペポ」と発音していたらしいのだ。与論や沖縄にはそういう古代の日本が残っているとも言える。
人の資質も、そうかもしれない。江戸時代300年間に叩き込まれた農民根性ではなく、おおらかで大胆な古代日本人の心を彼・彼女らは持っている。
沖縄県の婚姻率、離婚率、出生率、失業率は何れも高い。全国47都道府県の内、各々4位、3位、1位(ダントツ)、1位(7.6%でこれもダントツ)である。嫁に行っても働きに行っても「イヤなら帰って来い」と引力が働く。古き良き血縁主義・大家族主義に支えられた自立的相互扶助とも言える。離婚率や失業率の高さは琉球的秩序の「懐の深さ」なのだ。
これは一方、本土から来た管理職にとっては悪夢である。時間を守らない、約束を守らない、叱ると辞める、気に入らないと辞める、、、本土的常識の中ではとても生きていけない。
でも管理職達はきっと人生の楽しみ方、流し方、を学んで帰って行く。「なんとかなるさぁ!」
これが本土で通用するかどうかは、また問題ではあるが・・・
#与論・沖縄生活
学生時代、与論の友人宅に3泊した。朝起きて食事をよばれ、借りた50ccバイクで5分、東の海岸に出る。泳ぎ、寝転び、家に戻り昼食を取る。昼は暑すぎるから浜には出ない。部屋でお昼寝だ。
夕方、5時過ぎに西の海岸に行く。バイクで10分。ラグビー型に潰れた大きな夕陽が海に沈むまで、泳ぎ、寝転ぶ。家に戻り夕食を取る。友人と3時間飲んで喋って、寝る。
これを3回、繰り返した。特に凄い会話も出来事もない3日間だ。しかし、とにかく空と海が圧倒的に、広い。そして友人もその家族達も、広い。干渉することなく、日中はほぼほったらかし。これ程の気楽さがあろうか。
これで、いいのだ。
与論から沖縄・那覇に戻り、友人宅に2泊した。友人は自分の遊びで忙しく、私はまたもやほったらかし。
またまた50ccバイクを借りて、地図借りて、取り敢えず東へ、そして北へと向かう。
青空の下、アスファルトの道を走ると、対向車がワイパーを動かしている。何ごとかと思っていると、見る間に積乱雲が近づいてくる。そして20分後に風景は雨に飲み込まれる。
あまりの豪雨に雨宿りをし、雲が去るのを待つ。30分後に日が戻り、そしてまた青空の下、バイクを走らせる。
沖縄の上には青空と雲があり、風が吹いていた。浜辺には水が寄せ、米軍基地とコンビナートがあった。至る所に戦場の史跡があり、祈りと、そして明るさがあった。
......以下の続きは本でお読み下さい。