#十二支最後の年、亥年
本稿はHP上では2007年新年号。まずはその挨拶を(所謂「年末進行」のお蔭で原稿を書いているのは11月30日なのだけれど・・・)。
さて、まずは数字のお話し。
昔人間には指が左右6本ずつ、12本あったのじゃないかと疑いたくなるくらい、ヒトは「12」が好きだ。その源は、古代バビロニアで紀元前2000年頃に作られた太陰暦。
空に浮かぶ月は30日で再生し、それが「12」回繰り返されることで一年が成立する。バビロニア人は昼と夜を「12」ずつに区切り、1時間とし、その1時間を「12」と片手の「5」を掛けた「60」に区切った。
太陽の通り道(黄道)を木星は約「12」年弱で一周する。これに合わせてバビロニア人は天空を白羊宮(おひつじ座)から双魚宮(うお座)までの「12」宮に分けた。
十二支も然り。
そして亥年はその締め括りの年だ。
「亥」は、草木の生命力が種に閉じ込められた状態を指すという。我々は、次への飛躍に向けたどんな種を作り出せるだろうか。
さて無謀にも、本稿は「ゲーム」の中編、だ。一テーマで前中後の3編書いたのはこれまで「マンガ」と「MBA」だけ。
でも頑張ってみよう。
#なぜ「FF」は「ドラクエ」に追いつけたのか
なぜ、スクウェアの最後の望みであったFFはシリーズ20作以上を数える大ヒットとなり、唯一、エニックスのドラゴンクエスト(ドラクエ)シリーズに匹敵する商品となったのだろうか。
販売本数を比較してみよう。
ドラクエは86年5月発売のⅠで150万本、以降は全て200万本以上。一方、FFは87年末のⅠが52万本、2が76万本、90年のⅢで140万本と100万本を超え、91年のⅣ(スーパーファミコンでの第一作)で144万本。
92年末のⅤで遂に280万本と、3ヶ月間に出されたドラクエⅤ(同 第一作)の245万本を抜く大ヒットとなった。
さて、ここから言えることは何か?
色々あるだろう。ドラクエはⅠからⅤまで6年半掛かったのにFFは5年で5本を開発・上市した、とか、FFは常に前作より売上本数を伸ばした、とか、FFはドラクエより早くスーファミに移行したからエライ、とか。
でも実はこれらは殆ど意味がないか間違っている。
なぜか?それはTVゲームの本質に深く関わる問題だ。
#正しい問いは・・・
その本質とは、1. ゲームソフトは専用ゲーム機の台数以上には売れない、2. 顧客は平均年間5本以上のゲームソフトを買い、ゲームソフト同士は競合しない(つまり良ければ両方買って貰える)、ことだ。
であるが故に、FFはドラクエと戦う必要はなく、ユーザーに認められればよい。直接の比較は無意味だ。
しかし、対象とする専用ゲーム機をどれにするかは大問題で、所謂PS3やWiiといった「新機種」に、早く飛びつくのは実は大変危険なことだ。一般的には、まだ数百万台しか普及していない新機種で出すより、数千万台が普及しているメジャーな旧機種で出す方が、ソフトは売れるに決まっている。それを敢えてスクウェアは出たばかりのスーファミでソフトを出した。
さて、FFの大成功に関しての正しい問いは、なんだろうか。
それは「なぜFFだけが、後発でありながら数多(あまた)のRPGの中でユーザーの心を掴み、ドラクエ級の売上を達成できたのか」であり、その時、驚くべきことはFFⅤの280万本ではなく、FFⅣの144万本だ。
スーファミがたった300万台しか普及していない時代の暴挙でありかつ快挙と言える。そしてそれがFFⅤでの280万本へと繋がっていった。
戦う相手はドラクエでなくユーザー。しかもRPGは予約と最初の2~3ヶ月で殆どが売れる商品。そこでユーザーの心を掴むには・・・
この辺りの詳細は、「観想力」をどうぞ。本稿では省いて、本来のテーマへと戻ろう。
まずはシリーズ最高の国内326万本、海外650万本を売るFFⅦのお話しだ。
#FFⅦのビジネス上の革新性
FFⅦの中身が素晴らしいのはこれだけ売れたのだから当然として、Ⅶには更に2つのビジネス「革新」がある。
一つは「新機種」に乗ったこと。しかも実績の全くない後発プレーヤー、SONYのPS(プレイステーション)に。
もう一つはFFシリーズで初めて「派生商品」を多数、展開したことだ。これまでにAC(アドベント チルドレン 05年9月)、BC(ビフォア クライシス 04年9月)、DC(ダージュ オブ ケルベロス 06年1月)、DCLE(同 ロスト エピソード 06年11月)が発売され、更にCC(クライシス コア)が07年に予定されている。
もともとFFシリーズは全て任天堂向けに作られてきた。ファミコンに育てられ、スーファミの黎明期を共に戦い、FFはドラクエと共に、任天堂の看板ソフトだったといって過言ではない。
それが94年前後に起こった三つ巴の「次世代機戦争」の中で大きく揺らいだ。
セガサターンで捲土重来を期すセガ(現セガ・サミー)、プレイステーション(PS)で新規参入を図る、久多良木(くたらぎ)氏率いるSCE(SONY COMPUTER ENTERTAINMENT)。それらに対し任天堂は、Nintendo64で王者の戦いを挑んだ。
数年にわたる大戦争も、FFとドラクエのPS選択によって決着した。FFⅦのPS化発表が96年2月、ドラクエⅦのそれが97年1月。そして64とセガサターンは消えていった。
#「Compilation of FFⅦ」の野望
FFシリーズは、同じブランドを冠したシリーズでありながら一つ一つがほぼ完全に独立した舞台設定や主人公、ストーリーを持っている。
その原則を初めて崩したのがこの後、論ずるFFⅩ(01年7月発売)の続編であるFFⅩ-2(03年3月)だ。以降、特に人気の高いFFⅦの派生商品が「Compilation(コンピレーション)of FFⅦ」として展開されていく。
しかも、ACは映像作品、BCは携帯電話向けのオンライン・アクションRPG、CCはPSP(プレイステーション ポータブル)向けアクションRPG、DCはPS2向けのガンアクションRPGと、形態も内容も対象ハード機もバラバラだ。
これは何故か?
ただ売上や収益が目的なら、ハリウッドに倣って純粋な続編を出し続ければよい。特にAC(アドベント チルドレン)などは殆ど映画であり01年に大失敗したフルCG映画「ファイナルファンタジー」(139億円の損失を計上)の二の舞となる可能性も充分あっただろう。
当初20分の作品のハズが、なんと5倍に膨れあがり100分モノに。40名程度のスタッフが2年以上を費やす大作となった。悪夢の再来か・・・
スクウェアが目指したのは、「映像作品での新しい成功パターンの確立」だ。大衆向けの「映画」でなく、マニア対象でDVD主体の「OVA(Original Video Anime)」的ビジネス。
結果的には世界で240万本以上を売る大ヒットとなり、新生スクウェア・エニックスに数十億円の利益をもたらした。
BC(ビフォア クライシス)にはより大きな「使命」があった。それは「携帯でのオンラインゲーム事業の確立」だ。
スクウェアは02年のFFⅩⅡでPC向けのオンラインゲーム事業を成立させた。04年初にはスクウェア・エニックスとしてFFⅠ・ドラクエⅠの移植版を携帯端末(FOMA 900iシリーズ)に搭載した。
BCは初めての月額課金の携帯オンラインゲーム。スキマの時間で遊んで貰い、ストーリーを徐々に配信することで、長く収入に繋げる。
これらは全て、次世代に向けたスクウェア・エニックスの「ポリモーフィック(多態性・多様性・多相性)」な「実験」だ。
目指すモノは強力なコンテンツ(世界観)を核にした、複数作品の複数形態での長期提供。これでファンを10年以上にわたって深く掘り続け、1商品群で全世界総額1,000億円売り上げることを目指す。
次期FF、「FFⅩⅢ ファブラ ノヴァ クリスタリス」では、PS3向け2作品と携帯向け1作品がほぼ同時に展開される。日本のゲーム産業のトップランナーたるスクウェア・エニックス。その大戦略の成否を見守りたい。
#FFⅩが問い掛けるもの
ファミ通06年3月17日号「読者が選ぶ心のベストゲーム」で、FFⅩは堂々1位に選ばれた(2位はFFⅦ、3位はドラクエⅢ、4位がドラクエⅧ)。
世界で800万枚(うち海外500万枚)を売り切った巨大グローバル商品であるFFⅩの、普遍的価値は何だったのか。
PS2最初のFFとして、他を圧するCG力は見事だった。特に「表情」を創る技術の進化は目覚ましい。少しだけ目を細める、頬をゆるめる、そういった「仕草」で重要な感情を伝えることをトライした、CG史上の記念碑的作品とも言える。
ただ、そういった「技術」より、普遍的でかつ衝撃的だったのはFFⅩのストーリーそのものだ。
キーワードは「存在」
もちろんここで、50時間以上掛かるゲームの謎解きをするつもりはない。ただ、幾つかのシーンと名セリフを。
「生命は所詮空しい夢 生の後に来る死こそが永遠」と迫る敵役シーモア。
そして知る、主人公の存在の秘密。描かれるのは将に「胡蝶の夢」、揺れる自らの存在。
しかし彼は最後に言い切る。
「これがオレの物語だ!」
この感動を味わいたい方は、どうぞ自分自身でプレイを。最短クリアは30時間ほどだそう。
私はじっくり100時間コースだったが・・・
次号では後編として、シミュレーション系のソフトを論じよう。
「信長の野望」「三国志」
戦いだけでなく、産業開発、治水、課税、徴兵、人材登用、人事異動。戦いもまずは調略とタイミング取りから。
これぞ戦略。
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