#アルファベットとは
たった26文字でヒトの世を表すシステム、それがアルファベットだ。一文字一文字は、子音か母音の一音に対応するのみで、音節すら表現しない。
日本語を表記するには、音節文字(子音と母音のセット)であるひらがなやカタカナ100文字弱だけでなく、表語文字(意味と音を持つ)である漢字を組み合わせなくてはならない。その数、数千。文字を覚えるだけで一苦労だ。
ヨーロッパ各国のアルファベットの基本はラテン文字。その26文字をそのまま踏襲したのが、イギリス・アルファベット。他国は自言語の発音に合わせて多少、バラエティを持っている。ドイツ・アルファベットなら30文字、フランス・アルファベットなら40文字、といった具合。
それでも、たったそれだけで全てを記述できる便利さは強力である。漢字言語圏であろうが、アラビア言語圏であろうが、フランス言語圏であろうが、世界中、メールアドレスはABCの基本アルファベットを使う。
その最強文字、アルファベットのルーツは一体どこにあるのだろうか。
ラテン文字(紀元前6世紀~)が、ギリシア文字(紀元前8世紀~)に由来することは分かっている。これは、アルファベットという名称そのものからも分かる。
ギリシア文字の最初の2文字はα(アルファ)とβ(ベータ)。だから、ABC・・・のことをアルファベット(=アルファ・ベータ)と呼ぶのだ。
更に、そのギリシア文字が、フェニキア人によるフェニキア文字(紀元前11世紀~)に起源を持つことも、分かっている。
(注:このフェニキア文字には母音が無く、子音を表す文字しかない。ここから、別系統で生まれたのが今のアラビア文字
(7世紀~)だ)
フェニキア人は海の商人。ギリシア人と同時代、今から3000年昔の地中海を縦横無尽に活動していた。本拠地は地中海の東の端、ティルス。今のパレスチナ地方だ。
ではこのフェニキア文字が、便利な簡易的文字、アルファベットの源流なのか。フェニキア文字の元になったモノは無いのだろうか。
3000年前の世界を眺め渡してみよう。いくつかの候補が浮かび上がる。
まずは、楔形(くさびがた)文字。ティルスの東には楔形文字を発達させたメソポタミアが控える。
すぐ西には原シナイ文字を持つシナイ半島、さらに西には象形文字(ヒエログリフ)を持つエジプト王国が隆盛を誇っていた。
#アルファベットのルーツは象形文字
フェニキア文字はおそらく原シナイ文字に由来し、その原シナイ文字は、実は、象形文字(ヒエログリフ)に由来するのではないかと考えられている。
紀元前32世紀から、既に2000年にわたってエジプト王国を支えてきた文字、象形文字。
それは複雑なカタチと構造を有し、シンプルの境地であるアルファベットとは似ても似つかない。でも、ここから確かに、アルファベットが生まれ出たのだ。
象形文字(ヒエログリフ)は、少ない時期でも700文字、多いときには6000を超える文字を有していた。
ただこれは、表音文字であるアルファベットとしては如何にも多すぎる。しかしながら、700文字は、漢字のような表語文字としては少なすぎる。それでは、十分な意味を表しきれない。
象形文字(ヒエログリフ)は、その中途半端さ故に多くの学者の解読への挑戦を1300年の間、撥ね付けてきた。そして1799年、ロゼッタ村でロゼッタストーンが発見され、その解読熱はピークに達した。
20年後の1822年、遂に言語学者ジャン・シャンポリオンはその解読に成功する。誰にも読めなかった古代エジプト象形文字、ヒエログリフの複雑なシステムを解明したのだ。(因みに当時、彼は失業中であったという)
分かったことは、象形文字(ヒエログリフ)が表音文字(アルファベット部分)と表語文字の混成であったということ。そして、それらが日本語のように複雑な構造を持っていたということだ。
例えば表音文字と言っても、基本アルファベットのように1音1文字でなく、2~3音を表す文字もあれば、表語文字の発音をそのまま借りて、音を表す場合もある、といった具合。
この表音文字部分「だけ」が発達して、その後の原シナイ文字に繋がったわけだが、なぜ、そんなことが起きたのだろうか。
なぜ、覚えてしまえば便利な、象形文字から離れる必要があったのだろう。
#本当のルーツは『周縁』で生まれた
1997年「ワディ・エル・ホル碑文」の発見が、報告された。これこそが、象形文字(ヒエログリフ)と原シナイ文字を繋ぐもの、つまりアルファベットの本当のルーツではないかと。
象形文字(ヒエログリフ)の特徴を持ちながら、古代エジプト語読みが出来ず、原シナイ文字的な読み方が当てはまる、シンプルな表音文字の発見だ。
この紀元前2000年の碑文が見つかった場所は、当時のエジプト王国の首都テーベ(Thebes)から北西35kmの場所。砂漠の真ん中だ。
碑文の解読結果から、そこには、街道を警護するエジプト軍の前哨基地があったことが分かっている。
かつ、そこを治めていたのは、アジア人の将軍「ベビ」だったと。こういった「外国人」が、エジプト軍には多く居たらしい。
発見者のダーネル博士は考える。
彼ら外人部隊こそが、この「ワディ・エル・ホル碑文」の文字を作り出したのではないか。エジプト軍に所属しながら、エジプトの文字(ヒエログリフ)に精通しない者たち。その異邦人たちが自らの名前を記すには、象形文字(ヒエログリフ)のアルファベット部分のみを使う必要があった。そうするうちに、表音文字による、独自の文字システムを生み出していった・・・
アルファベットは、象形文字(ヒエログリフ)から生まれた。しかし、その正当な継承者では全くない。象形文字では不便だった者(異邦人)たちが、必要に迫られて生み出したモノ、それがアルファベットだったのだ。
新しい仕組みは、中心地では生まれない。
便利な既存の仕組みに安住する者に、その変革へのニーズなど生まれない。革命を志す者は、常に辺境や周縁から生まれてくる。
#誰も知らない答えが、そこにある
ダーネル博士は言う。
「まさか(ワディ・エル・ホルで)アルファベットの碑文がみつかるなんて、当時は考えてもいませんでした」
アルファベットはもっともっと東のシナイ半島で発達したもの、という言語学者の常識の中に彼は囚われていた。
「ナイル川の西側でアルファベットをみつけるなんて考えたこともありませんでした」
「時代も場所も、これまでに知られている文化の中心から遠い周縁部に注目してほしいと思います。そこにたくさんの答えがかくされているからです」
ほとんどの学者は、遺跡の多くある都市部を探す、記録の多くある時代を探す、大事件のあったイベントに惹き付けられる。
たまたま都市部の遺跡に記録や手掛かりがなければ、何もなかったと思い込む。
アルファベットの原型は、エジプト人が支配し象形文字(ヒエログリフ)を使いこなしていた古代エジプトの都市部でなく、周縁部において生まれた。だから、都市の遺跡を幾ら探しても、「答え」は見つからない。
「今回の発見のように、周縁地域をさがせば、まだ誰も知らない"答え"が、そこにあるのだと思います」
新しい答えは、周縁で生まれる。
誰も知らない答えは、周縁で見つかる。
注:現代アルファベット
←ラテン文字
←ギリシア文字
←フェニキア文字
←原シナイ文字
←ワディ・エル・ホル碑文の文字
←象形文字(ヒエログリフ)
参考:Newton 2008年5月号
お知らせ:10月発刊の「Think!秋号」に、特集記事を書きました。お楽しみに!