#ノーベル物理学賞「小林・益川理論」
米国に端を発した金融危機が世界を蹂躙(じゅうりん)する中、2008年秋、日本の碩学(せきがく)四人がノーベル賞を受賞した。物理学賞に南部陽一郎博士、小林誠博士、益川(ますかわ)敏英博士、化学賞に下村脩(おさむ)博士だ。
彼らの突出した業績は、どうやって生まれたのだろうか。「小林・益川理論」で見てみよう。
この理論で未知のクォーク(物質の最小構成単位の一つ)の存在を予言した小林・益川氏。彼らの素晴らしき二人三脚は、実は対立から来るものであった。
二人ともが無名の大学助手だった1972年5月、その研究は始まった。当時、宇宙の大きなナゾの一つであった「CP対称性の破れ」を理由づけるために、彼らは物質の根源であるクォークの在り方を考え始めたのだ。
当時知られていたクォークは3種類。しかし、それでは「CP対称性の破れ」が説明できない。では、クォークがどうであれば、自然と「CP対称性の破れ」が起こるのか。(これがいわゆる、自律的対称性の破れ。南部陽一郎博士が提唱した)
見つかっていたクォークは質量が軽いアップクォークとダウンクォーク、それに結構重いストレンジクォーク。
軽い2つが第一世代、重いヤツは第二世代と呼ばれる。益川氏は考えた。世代毎にクォークは2つペアであるハズだから、きっと4つめのクォークがある。重めの第二世代のクォークが、もう一つあるはずだ。
そう当たりをつけた益川氏は、必死で新理論を考えた。それは当時の最先端の研究であり、その理論(クォークが4つだから『4元モデル』)の完成を世界中の天才科学者たちが争っていた。
#みんなの最先端、に答えはなかった
しかし、そこには答えはなかった。
理論の骨格となるコンセプトを考え、数式に落とし、計算をし、そこで出てきた数値を実験で確かめる。理論通りの数値が観測されれば、理論の勝ち。されなければ負けである。
益川氏が考えた理論に対し、「秀才」で実験の上手な小林氏が軽々と論破する。
「それじゃ、うまく行かないよ」
たまたま大学の組合活動に忙しかった益川氏は、午前と夜だけの研究活動。彼が毎夜、新しいモデルを作り、それを小林氏が実験でつぶして否定する。その連続。
それは一ヶ月の間、続いた。
そして遂に益川氏はある日、風呂上がりに、閃く。
「4つじゃない、6つなんだ。クォークが6つならうまく行く。クォークはきっと第三世代まであるんだ」
彼は早速、それを6元モデルとしてまとめ、小林氏と二人で理論へと昇華させた。大学(と組合活動)が夏休み中の2ヶ月間の早業だった。
多くの研究者が暗黙のうちに前提としていた4元モデルに答えはなかった。みんなの常識に、真実は隠されていたのだ。
#発見は発展的対立から
益川氏は言う。
「自分だけでは6元(ろくげん)モデルに辿り着けなかった」
「小林さんに痛烈に否定され続けたから、4元モデルを捨てられた」
「クォークは4つだという呪縛から逃れられたのは小林さんのお蔭だ」「それが小林さんの最大のコントリビューション(貢献)」
72年9月に投稿された「小林・益川理論」は、翌73年には日本の英文学術誌に掲載・発表された。
その翌年には4番目のクォーク、チャームが、4年後には5番目(第三世代!)のボトムクォークが見つかった。最後6番目のトップクォークが発見されたのは22年後の95年だった。
最終的に小林・益川理論の正しさが検証されたのは、2001年のこと。彼らの(理論的)予言は、30年弱を経てその正しさを示したのだ。(決して、ノーベル賞が示したわけではない)
その根源は、信ずる(だけど性格は全く違う)仲間による客観的評価であり発展的対立であった。
ビジネスでも同じ。
仲間同士での強烈な対立的議論から、大きな飛躍が生まれる。
#シマノを発展させた国際電話での大ゲンカ
兄弟で役割を分けながらも、大事に際しては常に議論し、シマノを世界一の自転車部品メーカーに導いた、島野3兄弟(尚三・敬三・喜三氏)。
シマノの今日の地位は、米国でマウンテンバイク(MTB)によるオフロード市場を創造したことによる。多くの自転車部品メーカーが、注目していたMTBという新しい遊び方。しかし、その遊び方が要求する性能(耐久性など)はあまりに高く、誰も実現できなかった。
「絶対これは面白い」とMTB開発を説く米国駐在の喜三氏に対して、技術担当の次兄 敬三氏は反論する。
「そんなこと簡単に言うな」
「これをやるとなったら、いま予定している開発計画は二年くらい中断して、技術陣をすべて集中せないかん。失敗したら次に出す製品が間に合わん。倒産に近いことになるかもしれん」
国際電話での激論4時間、ついに兄弟は合意に達する。MTBを開発しようと。1981年のことだった。
敬三氏はすぐに新技術のための技術者を配置し準備を整えた。そして翌年、MTB専用コンポーネント「デオーレXT」が投入され、爆発的なヒットとなる。
ユーザーの現場を見て、面白さを説いた喜三氏、それに開発の現場からの見方をぶつけた敬三氏。そこから、画期的な商品が生まれた。
参考:「シマノ 世界を制した自転車パーツ」光文社、「私の履歴書」日本経済新聞社
お知らせ:10月発刊の「Think!秋号」に、特集記事を書きました。DIME 11月18日号にも載っています。「【DIME BUSINESS REPORT】Googleだけが特別じゃない!発想力、思考力を試す「難問」「奇問」が解けるか!?イマドキ入社試験で"脳トレ"大作戦!」