#話せばわかる、のウソ
養老孟司(ようろうたけし)さんはベストセラー『バカの壁』(*1)で言いました 。「話せばわかる」などと思ってはダメ、ヒトとヒトの間には高く分厚い「無理解(バカ)」の壁があるのだ、と。
・理解力の壁:ヒトが相手を理解する能力には限界がある
・思い込みの壁:ヒトは思い込みによって理解そのものを拒む
前者はまあ当たり前です。同じことを言われても、個々人の受け取り方は同じではありません。必ずズレます。ただ問題はその「程度」。ズレが甚だしいと、意思疎通ができなくなってしまいます。
後者はもっと深刻です。ヒトは知りたくないことに対して理解などしないし、思い込んだことに対して耳などかさない、ということなので。これは最大最強の思い込みともいえる、唯一神型の宗教(キリスト教、イスラム教など)間の対立をみれば明らかです。
そしてヒトは、理解できない相手のことをバカ(無能もしくは狂気)だと断ずるのです。「話す余地も価値もない」「もう話さない」と。
これらを解決するには、価値観そのものを一元論(正しいことはひとつしかない、という思い込み)から多元論(正しいことはいくつもありうる)に変えなくてはいけないと、養老さんは結論します。
(*1)400万部を超え、戦後4番目のベストセラー
#バカの壁、のウソ
あれ、おかしいですね。これ(だけ)では解決になりません。
多元論になったからと言って、相手への理解能力が低いままでは、相手をバカだと感じて「話さなくなる」ままです。
それでは多少価値観が変わっても、事態はあまり変わりません。しかも、ヒトの価値観を変えるなんてG難度の荒技(床運動だと後方かかえ込み3回宙返り、とか)です。
思い込みの壁を崩す努力も尊いですが、それよりはまず、理解力の壁をなんとかしましょう。相手を理解する能力を上げるべく、努力するのです。
言葉の解釈がずれているなら、確かめて補正しましょう。価値観が(多少)ずれているなら、確かめて俯瞰しましょう。
もし相手の考えそのものが曖昧なのであれば、それをはっきりさせるお手伝いをしましょう。
・相手は、何をどの程度すごい(「差」)と言っているのでしょう
・相手は、本当は何をダイジ(「重み」)だと思っているのでしょう
・そもそも塊とつながりは、明確でしょうか
こう考えていくことが『重要思考』なのです。そして、これらを明らかにすることこそが、相手の言いたいコトを理解する、ということなのです。ただ黙って聞いていてもダメ、なのです。
#聴くとは守りでなく攻めである
「ちゃんと聴く」ための技といえば、コーチングの『傾聴スキル』が有名です。
傾聴の目的は、相手への指導でも教育でもありません。自分の聞きたいことを「聞く」(尋問)のではなく、相手が伝えたがっていることをちゃんと「聴きとる」ことです。
そしてそのために、相手が自分自身の考えを整理し、納得のいく結論や判断に到達するよう支援せよ、と言います。そのテクニックのいくつかを挙げましょう。
・受容:うなずき・アイコンタクト・あいづち
・明確化:繰り返し・質問
・確認:言い換え・要約
つまり、ただ聞くだけではない、ということです。
コーチング用語としての「傾聴」は、「Active Listening(アクティブ・リスニング)」の訳です。うなずき、繰り返し、質問をしながら進めるのが、傾聴なのです。
「うなずき」などは、機械的にならないように気をつけましょう。すぐバレます。
「繰り返し」は、相手の言うことをほぼそのままリピートするだけなので簡単ですが、これもやり過ぎないように。
「言い換え」や「要約」は、聞いたままではダメなので大変ですが、失敗を恐れず短く表現するのがコツです。「つまりは、○○ということですか?」と相手に返すことで「いや、そこまでじゃないんだけど」とまた相手の考えや説明が進みます。
ただし「要は○○なんだ!」と断定しないこと。たとえ正解でも相手は嫌がります。自分の考えを、違う言葉で言い切られるのは気分悪いですし、自分の考えとずれていたら、こいつわかってない! となってしまいます。
あくまで「相手の意見の確認」であって「自分の意見の表明」ではないことをお忘れなく。
#傾聴とは誘導尋問と裏腹である、との自覚をもつ
裁判所においてもそうですが、「正当な」誘導尋問はいっぱいあります。
さらに一般社会では、ものごとを明確化するとはたいていの場合、「はい」「いいえ」で答えられる形に落とし込んでいくことでもあります。
そして、傾聴においておこなわれているのは実は誘導尋問そのものなのです。
相手の考えの曖昧さをなくし、自身で納得できる判断を下してもらうために、われわれは相手の言葉をくり返し、明確化し、要約して尋ねます。
「○○ということなんですね」と。
ある意味これは、立派な誘導尋問なのです。
誘導尋問だから悪い、と言っているのではありません。相手の思考を限定し歪める危険と隣り合わせなので気をつけよう、と言っているだけです。
特に「要約による確認」のフェーズでは誘導がおこりがちです。自分の言葉で言い換えるからです。そこに相手でなく「自分」が入り込みます。
相手が「今回のクレームの原因の4割は自社にある」「しかし、同じく原因の3割は顧客に、3割はサプライヤーにある」と言っていたとしましょう。結構複雑な状況です。
それなのに、「要は、今回のクレームの最大原因は自社にある、と言うことですね」と要約したら、それは相当歪んだ「確認」となってしまいます。
相手はしかし、「はい」と言い、かつそう思ってしまうかもしれません。
もしいきなり「最大原因者である自社での対応がもっともダイジだと言うことですね」と要約したら、これは立派な誤導尋問です。
「自社が最大原因者」かどうかは議論の余地のあるところです。顧客がサプライヤーを指定していたのかもしれません。そうしたら「顧客+サプライヤー」は原因の6割です。
なのにこの要約は、「自社が最大原因者」だということを前提としたものになってしまっています。やってしまいがちですが、論外です。
「○○なんですね」という確認のとき、自分の意見が入り込んでいないか、よくよく気をつけること。無意識の誤導が、せっかくの傾聴を台無しにしてしまいます。
#話したい誘惑を押さえる。相手の話はまだ材料だと割り切る
相手の話をちゃんと聴く上での、最大の障害は実は自分自身の「しゃべりたさ」です。
つい口をはさみたくなる気持ちは、よ~くわかります。
「あ、そこ違う」「それも誤解だなぁ」「これは混ざってる」「おいおい、そんな結論じゃないだろう」・・・。
でもせめて、相手に1回は全部、言いたいコトを言わせてあげましょう。それが相手の「伝える練習」になるからです。そして自分が、自身で思うほどには優秀ではないからです。
どんな相手の話にも、よく聴くと新しい発見があります。
なのに自分の知っていることや知見を、しゃべりたい、しゃべりたいと身構えていては、そんな発見もままなりません。
相手が話すことは結論ではなく、まずは材料だと思えばいいのです。
全部が整合していなくても良いのです。8割知っている話でも仕方ありません。でも、どこかに新しい、面白い話がきっと眠っています。本人すら気づかなくて、『重要思考』的に「重み」や「差」は強調されていないかもしれないけれど・・・。
そんな面白い話など相手がするわけない、というのは自身のうぬぼれです。捨て去りましょう。そして、相手の話に潜む、ダイジなコトや面白い差を「発掘」するのが、聴くことだと割り切りましょう。
ダイジな所だけ、びしっと口をはさむのです。
「ん? そこは○○なんだ。不思議だねえ」「相手は何て言ってた?」「もうちょっと考えてみようよ」
聴くことは自己を示すことではありません。相手が考える手助けをすることです。それによって相手の言うことが明確になり、結果として相手に対する自らの理解力が、上がります。
それで初めてヒトは、ヒトとヒトの間の無理解の壁=『バカの壁』を超えられるのです。
決して超えられない壁ではありません。『重要思考』で、一歩一歩。
注:この論考は11月9日発刊の『一瞬で大切なことを伝える技術』(かんき出版)の、「ステップ3 相手の言いたいコトを理解する」の一部に、加筆修正したものです。
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