#眼は5億43百万年前に生まれた
ヒトは五感のうち、視覚にほとんどを頼っています。受け取る情報のおよそ80%が視覚を通してだともいわれます。その視覚を支える感覚器が「眼」です。単純な構造の単眼、それが寄せ集まった複眼(*1)、ピント調節を行えるレンズを備えたレンズ眼。色々な仕組みがありますが、対象のカタチを認識できるのは、複眼やレンズ眼に限られます。
そして、この地球上で最初にカタチを明確に認識できる「眼」を手に入れた生物は、三葉虫(さんようちゅう)でした。
今から5億44百万年前から、5億43百万年前の、"わずか"100万年の間にそれは起きました。そしてそれは、生命のビッグバン的発展の始まりの時期でもあります。
それまでの34億年の緩やかで柔らかな進化の時代を経て、生物は5億43百万年前、突如として多種多様な形態を取り始めました。固い殻や骨、歯、筋肉を持ち、高い攻撃及び防御能力を発揮し始めたのです。それまではほとんどが、柔らかいウニョウニョした生き物だったというのに。これがいわゆる「カンブリア爆発」です。
その余りに「突然」の大発展ぶりに、かのダーウィンでさえ説明に窮しました。徐々に変化と淘汰が進むとした我が進化論は誤りであったのか、と。
英人生物学者のアンドリュー・パーカー(Andrew Parker、1967~)は、2003年、その永年の謎に「光スイッチ説」で答えました。
「カンブリア爆発は、視力(光)を得た三葉虫が引き起こした」と唱えたのです。「眼」という圧倒的な感覚器を備えた生命種の誕生が、すべてを変えたのだと彼は言いました。
生き物の本質は、より多くより長く繁栄することです。その為にはより多く食べ(補食)、より少なく食べられる(回避、防御)こと。そしてもし、生活環境が変わればそれが「淘汰圧(とうたあつ)」となって、新しい環境に有利な生き物たちが、より多く繁栄することになります。
5億43百万年前、温暖化でも海洋汚染でも天体衝突でもなく、まさに三葉虫が他の全生物種に対してその最大の淘汰圧となりました。三葉虫に食べられぬよう、あるものは固い殻を持ち、あるものは素早く逃げ回るために骨と筋肉を持ちました。
外部環境変化でなく、生物間の「競争」環境が、生物全体に急激かつ大きな進化(カンブリア爆発)を促した。これがパーカーの「光スイッチ説」です。
#鼻を発達させたサル、鼻を捨てたサル
それから3億年経って、時代は中生代。恐竜たちの全盛期のお話です。
この頃、われらの祖先である哺乳類は、恐竜に圧倒され、棲む「場所」を「夜」に求めていました。恐竜たちの眠る夜の世界でなら生きられると。
そこで必要とされたのは嗅覚(*2)です。「鼻」を発達させ、嗅ぎ分けられる化学物質の種類を増やすことで、哺乳類はそれから1億年を夜行性動物として生き延びました。マウスの嗅覚受容体遺伝子数は1037もあります。恐竜の子孫と言われる鳥類の10倍以上です。
しかし、その貴重な嗅覚を捨てた哺乳類がいます。それが、ヒトです。ヒトはより強力な視覚を得、代わりに嗅覚を封印したのです。
哺乳類のほとんどはこの世を「二色」で見ているのに対し、ヒトやゴリラ、ヒヒといったサルたち(類人猿と旧世界ザル)は「三色」で見る三色視を獲得しました。これで得られる情報量は格段に上がったでしょう。
しかし、何かを得るためには何かを捨てなくてはいけません。生物が、ある機能を創り出し、維持するには膨大なエネルギーを必要とするのです。
ヒトを始めとした昼行性のサルたちは、不要となった嗅覚受容体遺伝子を次々と眠らせていきました。ヒトでいえば元来802あった嗅覚受容体遺伝子のうち、414はもう機能していません。
#か弱きサル、その名はヒト。何を捨てて何を得たのか?
「進化」の反意語は何でしょう? それは「退化」ではなく、「停滞」もしくは「絶滅」です。
では「退化」の反意語は?
答えは「発達」。進化とは、発達と退化を組合せながら進み続けることに他なりません。
ヒトの進化を見ると、その「退化」ぶりが目につきます。近縁であるチンパンジーと比べても、身体的能力は著しく低いものです。上肢(腕)一本で体を支えることも出来ませんし、下肢(足)でモノを掴むことも出来ないし動きも遅いもの。
ヒトはその退化で生み出された余力をすべて「脳容量の拡大」に費やしたといえるかもしれません。ヒトの脳の大きさはチンパンジーの3倍以上、しかも大食いです。重さでは身体全体の2%しかない脳は、全身で費やされる酸素の20%、ブドウ糖の25%を使っているのです。
しかも大きくなりすぎたヒトの胎児の頭は、成熟してからでは母親の産道を通れず、実質的に未熟児のまま生まれてくることになりました。自立して歩けるようになるまでに1年もかかる未熟さです。世話する親もろとも天敵に狙われやすいという、巨大なリスクを背負うことにもなりました。
しかし大容量を確保した脳は、お蔭で他のサルには不可能な、抽象化や概念操作といった高次の処理を可能にしました。言語を発達させコミュニケーション能力も高めました。これこそヒトの絶対無二の武器でしょう。ヒトは他の機能や成熟出産を捨てることでこれを獲得したのです。
進化は、外部環境だけでなく内部競争によっても引き起こされます。「眼」を超えた、新しく強力な感覚器が世界の全てを変えるかもしれません。
同時に進化とは新しい機能を獲得することだけで起こるのではありません。生命40億年の進化の果てにいる我々は、実は様々な潜在能力(遺伝子)を持っています。そのうちのどれを発現させ、どれは眠らせておくのか、そういった整理整頓の組合せは億や兆を軽く超えるでしょう。
何を得て、何を捨てるのか。何を鍛え、何を遊ばせるのか。
それを組織において意識的に行っていくことこそが「経営」という技なのです。
参考資料
・『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く』アンドリュー・パーカー(草思社)
・『眼の進化』Wikipedia
・『五感の遺伝子からみたヒトの進化』郷康広・颯田葉子(日経サイエンス 2006年3月号)
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