Campus Report 2003

菊澤 桂 to NYU Stern School of Business(全22回)

MBAホルダーへの道

Vol.1 MBA留学を思い立ってから現在まで

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きっかけは.....

1997年の春、交換留学先のマサチューセッツ州立大学からボストンに遊びに行ったときのこと。ハーバードビジネススクールのケーススタディを見学した。マンモスクラス(80人)での討論。激昂している人、意味不明な人、理路整然としているが頑固な人、扇動しようとしているとしか思えない人。こんなんで限られた時間の中で結論が出るのだろうか?私の心配をよそに討論は進み、120分後、それらしい結論、明日からでも運用できそうなビジネスプランが出来上がっていた。未知のケースを題材に短時間でこれだけの結論が導きだせること、80人がドライブするケースの世界。20歳そこそこの私にはとても新鮮だった。

ただの夢だったけれど、きっといつかMBAを、この中にまざりたい、という気持ちはこのとき生まれたのだと思う。

MBAには2年の実務経験が必要。いろいろな本にそう書いてある。確かに私が見学した学生たちも自分の経験に基づいて議論に参加していた。皆がクラスへ持ち寄った様々な分野でのリーダーシップの経験が一人一人の可能性や知識を無限大に広げる。これはビジネススクールの一つの魅力、特徴だろう。そうであるからこそ世界中のありとあらゆる国、ビジネス分野から"デキルヤツ"が集まるトップスクールに皆行きたいのだ。そのほうが議論が活発でおもしろいから。

そこで就職

一回目の留学から帰ってくるのが6月と遅くて、まだ募集している会社が少なかったこと、車が大好きだったこと、女は(別 に男でもいいけど)やっぱり実業に携わらなければと思ったこと、この3つが会社(日産自動車)選択のおもな理由だった。

結果として、なによりもまわりの同僚や上司に恵まれたこと、日本のグローバル製造業、そしてそのダウン→アップを身をもって経験できたということ、そのマネージメントおよび変革について体験に基づいて語れる、というビジネススクールにおいてのクラス貢献という意味からもよい選択をしたな、と思う。トップのクルマ屋ではなく海外における知名度が低いということと社費派遣の制度がなかったということでブランドを重視するトップスクールにおける社名でのアピール度はかなり低かったが。

さて仕事

私が入社した98年当時は景気のどん底に加えて、ゴーン到来前の「超ドメスティック製造業」であった。そんな中、留学帰りの必要のない英語だけを使いたがる(と人事の目には映ったらしい)私の評価がよいはずがない。こっそり盗み見た一年後の評価には、私のような暴れん坊は困るので、次年度は英語力がそんなになく、性格のおだやかなやつを採用するべき、と書かれていた。

工場実習時代は持ち前の過剰な負けず嫌いを発揮して男の子顔負けの作業をこなし(おかげでやつれ果 てた)、工場のおじさんには「娘よりかわいい」と言わしめ、はじめに配属された購買管理部でシステムのY2K対応等、同期の誰よりも忙しく仕事に力を注いでいた私にしてみれば超特大の「!!」、ショックで目の前が真っ暗になるくらいだった。

しかし冷静になって考えてみると、この超ドメスティック企業において言いたいことは何でも言ってしまう私の評価がこうなるのもわからないではなかった。結局あの一枚の評価が書かれた紙切れがその後の4年間かなりな激動の日産購買部門において視野を高く持ち、かつほかの人よりもより多くのものを手当たり次第吸収しようと努力し続けるための原動力の一つとなった。

おおいに迷う

多くのビジネススクールで最低必要とされている2年の職務経験を積んだとき、私には二つの選択肢があった。受験勉強をしてMBAを目指すか、それとももうしばらく会社を続けるか。仕事にはかなりの真剣度で打ち込み、Y2K対応やNRP対応業務に対して社内でそれなりに誉められたりはしていたが、一年前に私に下された評価がその時点で払拭されたようにはまるで思えなかった。過剰な負けず嫌いである。

基本的に一つの所で上手くやれないものが別のところで上手くやれるはずがないと思っている。今会社を去れば何も身についていないただの負け犬(?)になってしまう。仕事の延長上、仕事のキャリアの上に積みあがるべきビジネススクールの2年間が仕事とは乖離したものになってしまう。今が逃げ時ではないと思った。

時はまさしくNRP開始の年。このプランが成功するにしろ、最悪失敗して倒産するにしろ、自分の職務経歴上での大きな目玉 イベントになるだろう、かくなる上はここで精一杯やって「日産ブランド」も自身のブランディングの一つとして利用してやろうと考えた。起こるであろう大変革にちょっとわくわくしてもいていた。毎年12月から4月まで狂ったように滑っていたスキーが楽しくて、もうちょっと続けたかったのが一番の理由だったと友人たちは言うかもしれないが。

実際、購買部門に新しく出来た部署で思う存分仕事をさせてもらえたし(やりたい放題だった)、刻々と変わっていく会社組織および変えていく生ゴーンを目の当たりに出来たことは大きな財産になった。また、ソフトウェア類の原価低減やアライアンス業務の遂行を通 じて会社にもそれなりの貢献が出来たと思う。毎日エキサイティングで忙しく、そうこうしているうちに、あっという間にNRPが終わってしまった。エッセイに書く内容にもことかかないし、そろそろ潮時だな、と思い始めた。 

入社して5年目、ある程度新しい組織の骨格が固まってやりたい放題は出来なくなっていたし、異動もままならないということで、のびざかりの私には少し頭打ちの感じがあった。それならば、20代のうちにビジネス全般 の基礎固めと世界中から異なった価値観でやってくるもしかするとすごいやつらと渡り合ってみたかった。

さあ受験だ

と思っていたのだが、例年のように4月末のGWまでスキーを続けてしまい、予備校めぐりを始めたのは5月の頭だった。会社がNRPからN180への移行期間で忙しくもあり、また7月から始まる予定の問題解決プロジェクト(V-UP)の準備も忙しく、予備校の手を借りず一人で受験を乗り切れる気がしなかった。ところが行く先々で、「これから始めるのでは今年の受験には間に合いませんよ!来年にしたらどうですか?」とアドバイスされ、しょげかえってしまった。 

長期戦は苦手なのである。そんなとき最後に立ち寄ったTPRJだけは、「本人の頑張り次第ではまだまだ今年度受験が可能です」とのことだった。この太鼓判(??)にすっかりその気になってGW明けからGMATのコースを始めることにした。大学のときに紙ベースのTOEFLは何度も受けたことがあるので、特に勉強はしないで受験だけすることに決めた。5月に受けたTOEFLは250点ちょっとで、ボーダーラインはとりあえず超えていた。

これに気をよくして早速直属の上司と部長に2003年の秋から留学したいこと、秋にはたくさん推薦状を書いて頂きたい、ということ、仕事をまだ一年以上は続けるつもりであるので、受験勉強と両立させていきます、ということをお話した。

受験期間もその前もその後も人にはとても恵まれていた。ちょっと異例なのかもしれないが、上司にはとてもお世話になっており、よい関係を築けてもいたので、どうしても知っておいてほしかった。結果 としてお二人とも快く推薦状を引き受けて下さったばかりか、折にふれ勉強は進んでいるかと気にかけて下さり、とても励みになった。仕事は減らしてくれなかったけれど。

特に7月からは前述のV-UP活動が始まってかつてないほど忙しくなった。GMATの追い込みに入った8月から10月半ばまでと、エッセイに本腰を入れ始めた11月後半から1月中旬までは仕事+勉強で睡眠3時間ちょっとの日が続いた。今考えても身体も壊さず、仕事も休まず(よくフレックスを利用したけれど)、持ったものだなぁ、と不思議である。人間のモチベーションって恐ろしい。

ただしこの期間は本当になりふりかまわずで、毎日すっぴんすれすれのかなりな不細工ぶりでどこへでも出かけた。そんなこんなで行き当たりばったり、全てをばたばた片付けてしまい、考えるというプロセスを踏まなかったのだが、そんなでも覚えていることをまとめてみた。

GMAT&TOEFL; 久しぶりのお勉強はなかなか楽しかったのだが、(最初のみ。GMAT VerbalのCritical Reasoningが面 白くて大好きだった)、点数とはあまりリンクせず、特にTOEFLは260点前後をうろうろしていてなかなかあがってくれず、テストの後で必ず衝動買いに行ったり、ショックを受けて知恵熱を出したりと毎回なかなか大変であった。GMATは長いテスト時間に耐えられず、10月にぎりぎりの点数が出たのをいいことに勉強を止めてしまったが、TOEFLは私にしてはよくねばり満足の行く点数が出たのが12月、既に何校かはアプリケーションを提出してしまったあとだった。急いで差し替えの依頼をした。

Essays; 言葉でも文章でも説明が苦手なので、書いても書いてもだめだしをされて、とても辛かったような気がする。削るのは後からでも出来るので、とにかく書きたいことを細かいことまで全て仔細に書くようにこころがけた。5校しか出願していないにもかかわらずどの学校のエッセイも当日まで仕上がらなかった。

ここでも出願校の卒業生の方や、会社にいらっしゃるMBAホルダーの方に出願日前日の夜中にグラマーチェックをしていただいたり、全体のプロットを一緒に考えていただいたりと大変お世話になった。結果 として出願した5校全部からインタビューに呼んでいただけたので、当日までねばった甲斐は十分あったと思う。

Interview;バイヤーという職業柄、出願プロセスの中で一番の得意科目(?)であった。アドミッションの方も卒業生・在校生もそれぞれ面 白い人が多く、そうした人との会話はたとえ面接であってもとても興味深く楽しいものであった。あまりに関係の無い質問をしすぎてあきれられたりもした。ただ、幾つか合格を頂いた後で望んだ面 接は本命の学校であったにもかかわらず注意力が散漫していて、なんだかふわふわ気分のまま臨んでしまい、あまりいい結果 を出せなかった。結果に対する執着が足りなかったな、と唯一の心残りである。

Recommendations;前述のように、2通必要な学校は上司と部長にお願いした。また、3通 必要な学校は、ルノー側で以前一緒に仕事をしていたマネージャー、海外のサプライヤー、元上司と「集まらなかったらどうしよう」の心配が先に立ち、結果 として多く集まってしまった。また海外のサプライヤーさんの中には私宛ではなく、直接学校宛に送ってくださった方々もおり、アドミッションには混乱をきたす、と怒られたが、私は泣くほど嬉しかった。

こうして思い返してみると、やっぱり色々悩んではいたようではある。この1年余りを通 じて気づいたこと、出会った人たち、かけがえがない。もしかすると合格したことよりもそのプロセスにおいて得たもののほうが価値があるかもしれない。大切にしたい。

今後;8月20日からオリエンテーションが始まる。7月末まで仕事を続けるため、早い人から遅れること2ヶ月あまりの8月初旬にニューヨーク入りの予定である。アメリカ中のどこよりも早口のNY英語や、高い高い生活費、過酷だと噂されている一学期目の勉強等等不安がないと言えば嘘になるが、こんなにわくわくしているのは久しぶりである。厳しさも楽しさも含めてビジネススクールがそれだけ(2年間のキャリアの中断と投資に見合うだけ)の取り組みがいと手ごたえのある相手であることを切に願っている。

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