■2年目の課題
いつもいつも結果に対する執着がたりない私。その上説明することが苦手である。よい論文が書けない。伝えたいことはいつももやもやと頭の中にあるのに、決してまとは外していないと自負してもいるのに、頭の中を整理しきれない。理路整然と伝えきれない。これは論文だけの問題ではなくて、日常生活にも悪影響を及ぼす。思いを伝えきれないのだ。これは早くどうにかしないと致命的である。
コミュニケーション能力には、大勢の人に物を正しく伝える能力(プレゼンテーション)が含まれるということ、そして自分はそれが苦手であるということ。流暢で、人を引き込むプレゼンテーションは、ある程度練習すれば日本語だろうと英語だろうとそれなりに出来るようになる。
しかし、利害、ポジション、バックグラウンド、能力、理解度の異なる多くの人に同じ事柄を同じようにしかもいっぺんに理解してもらおうとすることは、上手いプレゼンテーション以前に様々な要素が絡み合い、とてもとても難しい。様々な要素には、話し方、情熱からサービス精神まで本当に多様な能力が含まれる。
私にはとっても困難なのだが、これを生まれつきのようにさらさらとこなしてしまう人たちが世の中にはたくさんいる。そして、人をひっぱっていくための必須条件でもある。自分のやりたいことが伝えられなければ誰もついてはこないから。
2年目の課題-伝えきろうという意思と執着心を持って物事に取り組むこと。論文も、プレゼンテーションも。
■2年目の課題その(2)
ビジネスの勉強を始めて一年、皆言っていることは違うけれど、言わんとしていることは同じだな、と思い始めた。特に偉大なビジネスマンと言われる人々は、たとえファイナンスの分野にいようが、マネージメントでもマーケティングであろうとも、それぞれ自分の言葉でビジネスを語るすべを持っている、そしてそれらには全て共通 がある、と遅まきながらやっと最近気づいた。 早く自分の言葉を見つけたいな、と。またそのために一番自分にあったツールも発見しなくては。
■身の丈
MBAは、情熱を失い、また新たな情熱を培う場所である、ととある卒業生が言っていた。本当にそのとおりだと思う。自費で留学してきている多くの学生にとっては、現実の厳しさに気づく場所でもあり、自分の持つ可能性の広さにびっくりし、その中から実力を鑑みつつ(嫌な言葉!)取捨選択を行い、その新たな目標に向かって闘争心と情熱を燃やす場所でもある。
結局、行ってよかったということにするのも、行った意味があまりないようにするのも、自分次第である(でも、皆プライドが高いので、行かなくってよかったとは言わない。-でもそう思っている人もいるに違いない)。そんな想いがあったため、2年間を有意義にするため、勉強はもちろんのこと色々なことに手をだし首をつっこんできたのであるが。。。
一つの場所でうまくやれない者が別の場所でうまくやれるはずがない、といつも自分に言い聞かせているが、この一年は上手くいかないことの連続だった。泣き虫なので、悔しくてたくさん泣いた。自分の馬鹿なプライドにもたくさん泣かされた。それもそのはずである。身の丈以上のものをいつも欲しがっているのだから、おのずと"上手くいかない率"が他の人より高くなるのだ。
それは例えば、クラブのほとんどネイティブで占められているポジションであったり、教授と一緒にやる学外プロジェクトであったり、いろいろなのだが。プライドが高いので、背伸びして手を伸ばしても届かなくても、ジャンプすれば届くような気がしてしまうのだ。さらに、とてもそんな気がしないときでも出来ないと認めるのは嫌なのだ。やっかいな性格である。
負け続けの一年で唯、成長したのは、打たれ強くなったことだろう。それと、意固地なプライドの垣根がちょっとだけ低くなったこと。そうは言っても、生まれつきの性格がそうそう変わるはずもなく、打たれ強くなった=来年もこの調子で手の届かないところめがけてジャンプし続けるのだろうな。
小学校のころ、毎日バスケットボール部でジャンプしていたら飛躍的に背が伸びた。(?そのわりに小さいけれど)同じようにあと一年、一生懸命飛び続けることで少しでも成長できたらなぁ、と思うのだ。