Campus Report 2004

竹中 重人 to Tuck School of Business at Dartmouth(全20回)

MBAホルダーへの道

Vol.1 MBA留学に至るまで

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2002年1月、ハイテク・バブル崩壊に半導体業界が喘ぐ中、入社5年目の若手ナンバーワン社員(自称)の私は、事業部長から突然の呼び出しを受けました。

事業部長:お前、そろそろ今の仕事はひと段落つくだろ。次はどんな仕事がしたい?


私   :いや~、実は来年会社を辞めて、MBA行こうと思ってるんですよ。

事業部長:え、そうなのか?? そりゃ困ったな・・・。でもまあ、お前にとっては良いアイデアかもしれないな。

MBAの事を考え始めたばかりで受験の知識も無いにも拘わらず、無謀にも突然の留学宣言をしてしまった私。いきなりの告白にも動じず、理解を示してくれた事業部長(後に推薦状も書いてくれた)。この時から私の2年間の仕事と受験の両立生活が始まりました。

皆様はじめまして。今年からダートマス大学タック・スクールに進学する竹中重人と申します。この原稿を書いている今は、まだ暑い暑い日本にて渡米の準備をしております。これから2年間、夏は(比較的)涼しく、冬は(非常に)寒いハノーバーという町から、タックでの生活についてレポートを書かせていただきます。よろしくお願いいたします。今回は初回の原稿ということで、少し自己紹介とMBA留学に至る経緯を書きたいと思います。

学生時代の就職活動では、高校生の頃に見たテレビ番組の影響もあり、半導体業界を志望していました。中でも住宅手当が手厚いこと、学生向けパンフレットのデザインが気に入ったことが決め手(?)となって、97年に日本テキサス・インスツルメンツ(以下TI)に入社しました。

外資系に決めたにも拘わらず英会話経験ゼロで、入社して初めて外国人の方が同席する飲み会に行った際には「この玉 子焼き、美味しいですか?」しか話が出来ない有様でした(新人なのでわざわざ隣に座らされた。2時間辛かった・・) 。

不純な入社動機と低い英語力、そしてなにより社会人としての意識が極めて希薄な新卒学生でしたので、学生時代の友人達からは「竹中が会社でちゃんと働けるのか、マジで心配した」とか「お前が海外留学なんて信じられん!」などと未だに言われます。

TIでは、入社1年目に大分の工場にICの評価とテストのエンジニアとして勤務し、2年目からは東京でその後6年間在籍する事になる製品企画部という部署に異動しました。この部署では市場からの要求を吸い上げ、ICの製品としての仕様を企画し、その企画の開発プロジェクト・マネジメントをやって、出来上がったICをお客様に紹介をしに行く、というサイクルの仕事をしました。平たく言えば、市場とTIの技術的橋渡し役、とでも言いましょうか。

この異動先のグループは立ち上がったばかりで、まだまだ組織としての体制も固まっていませんでした。おかげで入社2年目の私も一応は戦力とみなされたのか、猫の手よりはマシという程度の考えだったのかは定かではありませんが、最初からかなりの範囲の仕事を任されました。

今でもTIが好きな一番の理由が、この頃会議などで年配の方々が「担当者」である若輩者の私の意見を求め、そしてしっかりと聞いてくれた事です。年功序列の企業にありがちであるらしい、若手の意見を封殺するような雰囲気は皆無でした。一方でそれは甘えの許されないタフな環境でもありましたが、仕事のやりがいという意味では非常に恵まれた環境だったと思います(おかげで今では目上の人に黙れと言われても簡単には黙らない、仕事については非常に主張の強い人間になった)。

英語に関しても同様の調子で、カタコトの英語すら喋れない私に英語でプレゼンをさせたり、海外スタッフの日本の顧客訪問の際の案内役兼通 訳をさせたり。一応「英語喋れないんですけど」と弱音を吐いてみても、「大卒でしょ? 何とかなるよ」という訳の解らない説明で却下されたりしました。

こうした厳しい環境(OJTと言うらしい)のおかげで、学生意識の抜けないダメ新入社員だった私もそれなりにプロ意識を持つようになりました。仕事は非常に楽しくて順調でしたが、入社5年目の2001年頃には自分のキャリア・デザインについてもぼんやりと考えるようになっていました。

一方でこの時期、ハイテク・バブルの崩壊で会社の業績は悪化し、米国企業としては非常に家族的と言われていたTIも早期退職プログラムを複数回実施しました。自分を育ててくれた人たちが会社を去っていく姿を見て、会社のリストラのやり方に首を傾げつつも、どこで働くかよりも自分の能力・市場価値を高めることがキャリア上の最大のリスク・ヘッジであるという信念を持つようになりました(今もそう信じている) 。

「仕事を通じて技術知識はそれなりに覚えたものの、今後の血肉となるような深い理解にはなかなか至っていない。また、自分は技術の本質論にはあまり喜びを感じないようだ。一方で、自分のイメージ通 りに仕事が進むのはうれしい。仕事がうまくいって勝負に勝つのはすごく嬉しい。いつも冷静なのは自分の良い所かな・・・・」。色々考えるうちに、自分の長所は技術的部分には拠っておらず、「結果 に対する強い執着心と、冷静な分析的視点」なのだと考えるようになり、この自分なりの長所をもっと有効活用出来るようにする方法を考えました。それまでは技術者志向が強かったのですが、マネジメント・ポジションへのスムーズな移行を意識するようになりました。

漠然とMBAにも興味を持ち始め、内容について調べるにつれ頭の中がMBA一色になる中で、冒頭の「MBA留学宣言」をついつい口走る事に。TOEFLもGMATも未受験だったのに、無謀な事をしたものです。こうしていきなり自ら退路を断ってしまったため、止むを得ず人生初めての猛勉強生活に突入しました。結局仕事と英語力の関係で留学を1年遅らせ、2003年12月に無事タックに合格するまでの2年間、仕事と受験勉強の両立をする事となりました。辛かった・・。

MBA留学が自分のキャリア・人生にプラスとなるか、2年間という時間と1千万円以上のお金を使った壮大なヒマ潰しになるかは、これからの自分次第だと思います。私にとっての留学の価値を評価出来るようになるのはまだまだ先の話です。

ただ、MBA受験を終えた今思うことは、受験をやってよかったな、という事です。受験のプロセスを通 じて多くの方々と出会い、多くの刺激を得られたこと。世界中の同年代の人たちと競い合い、合格という結果 と、そして自分に対する少しの自信を得られたこと。私にとっては素晴らしい経験でした (これらを得るのに他にも良い方法はたくさんあると思いますが、一生懸命に新しい事をやるのって人を成長させるものなのだな、と思った次第です。当たり前ですが) 。

来週には渡米して、ハノーバーの町での新しい生活が始まります。今の気持ちとしては、英語に関してかなりの不安があるものの、やはり未知なる世界への期待感が勝っている感じでしょうか。8月中旬からタックの名物プログラムである「アウトワード・バウンド」に参加して、その後オリエンテーションを経て9月に本格的に授業が始まります。

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