#29才、講師デビュー
初めて社外で「講師」を務めたのは、遙か昔10数年も前のこと。社会人8年目、ドキドキの講師デビューだった。
相手はリクルート社の若手精鋭30名。社内MBAコースなるものの「マーケティング基礎講座」を担当した。
友人に頼まれて、例によって気楽に引き受けたのだが、それからが大変だった。考えてみたらこれまで自分で「マーケティング」をヒトに体系的に教えたことなんて無い。もちろん、MBAにも行き、自分で教科書も読み漁り、仕事では最新の個別テーマを議論し、とマーケティングのことを使いこなしているつもりではいた。
でも、それと「教える」のは別のこと。
しかも、たった2日間、計9時間で「マーケティング」の「基礎」を理解して貰わなければならない。
実は「マーケティング」だからこそ難しい。「基礎」だから更に難しい。
「マーケティング」の難しさはその広さと深さにある。
まずは兎に角、広い。社内を見渡しても今どきマーケティングと無縁な部署など殆ど無いだろう。そんな限りなく広い要素を一個一個説明していったら、それだけで終わっちゃう。
「基礎」の難しさはその網羅性にある。
「応用」なら一部分で良い。基礎(土台と母屋)さえ出来ていれば、後は上にどんどん増築・改築していける。だから適当には出来ないし、面白いところを一部だけ、とは出来ない。
結局、素人さん向けに、「マーケティングの全体」を教えないといけない、という訳だ。
さて、どうしよう・・・
#グロービスでの最初の壁
それから数年後、今度はグロービスで社会人向けの講師を始めた。
すぐに「経営戦略」担当になり、隔週3時間、20~30名を相手に、計6回、3ヶ月間のケーススタディ講義。使用するケースは指定されている。シラバス(答えるべき設問など)も与えられる。が、「教え方」は講師に一任される。
毎回、真剣勝負だ。今回は競合戦略、次回はM&A戦略、最終回は統合戦略・・・様々な会社から、様々な経験やスキルを持った受講生たちが集い、熱いディスカッションを繰り広げる。
3ヶ月間のコースの中間と最後に講師への評価アンケートも採られる。概ね満足度は高く、多くの人が「5(大変良かった)」を付けてくれる。「刺激になった」「今後も頑張りたい」のコメントが列ぶ。
でもなんか違う。
2周目くらいで気が付いた。みんな、「スキル(技能)」が全然上がってないじゃん。中間のレポートも、最終レポートも、出来があんまり変わらない。
これじゃあ、ダメだ。
でも考えてみれば当然だ。講義は6回あるけれど、毎回「違うこと」をやっている。それでスキルなんて付くわけ無い。
同じことを繰り返して、失敗して、成功して、スキルは付いていく。経営戦略のクラスなんだから、経営戦略の知識を与えるのではなくて、経営戦略を立てられるスキルを与えなきゃいけない。
与えるなんておこがましい。でもスキルが上がる繰り返しの「場」と「機会」を提供したい。
さて、どうしよう・・・
#「体系(フレームワーク)」がその答え
上記のふたつとも、答えは「体系」にあった。
数多(あまた)ある、マーケティングの諸戦略、諸ツールの、体系。
ブルーオーシャン戦略、競合戦略、など数多ある経営戦略の、体系。
マーケティングは三階層(「マーケティング・ピラミッド」)で整理した。
最上位はポートフォリオとポジショニング、中間はターゲット、最下位がツール(4P)。上位が決まって初めて下位が定まる。
経営戦略は3x2の6つの箱(「B3Cフレームワーク」)で整理した。
左右は事業特性・競合・自社、上下は進退と勝ち負け。
初心者には地図を与えることだ。知識をどこに収めるべきかの地図を。全てを一つの体系の中に位置づけることで、個々の位置づけが分かり、格段に理解しやすくなる。
スキルを高めるには、一つの考え方を繰り返すことだ。どんな課題でも共通に用いられる汎用的な考え方を。全てを一つの体系の中に位置づけることで、一つの考え方だけを繰り返し用いることが出来、格段にスキルアップに繋がる。
さて、ここまで来て、やっと次の段階に進める。
どうしたらそれら体系(フレームワーク)を、自ら用い、自分のものとしていくのか。
しかし、そこにも大きな壁がある。
#突っ込み方の極意
研修を行うとして、多くの場合、発言者は「間違って」いる。そりゃそうだ。間違えないなら研修なんて受ける必要がない。
一方、講師は多くの場合、「正しい」答えを知っている。これまた当然。でなきゃ、お金なんて取れない。
でも、問題はここから。
間違っているヒトは、正しい答えをただ聞いても、たいていの場合、ちゃんとは理解できないのだ。
間違うには間違うなりの理由がある。
前提を勘違いしているとか、途中のロジックが歪んでいるとか、表現が曖昧すぎるとか。そして、その「思考(誤答)プロセス」のどこがどう間違っているかなんて、もちろん分かっていない。
そこへ、正しい答え「だけ」を聞いても、「自分の答えとは異なる」「なんとなく正しそうだ」と感じるだけだ。
必要なのは正答ではない。正答へと至る正答プロセスでもない。それは、正答プロセスとそのヒト特有の誤答プロセスとの比較なのだ。
だから、発言者を正しく導こうと思えば、発言者の「誤答」から、誤答の原因(プロセス)を探り出し、それと正答を導くプロセスを比較して、そのズレを指摘せねばならない。それによって初めて、そのヒトは正しい答えに至る道への、真の理解を得る。
これが「突っ込みの極意」なのだが、なかなかに難しい。
誤答プロセスは個々人に特有であり、誤答原因はその時々でバラバラだからだ。つまり一般化がしにくく、経験やノウハウが役に立ちにくい。しかも、発言があったその場で指摘しないと、インパクトが薄れるから即答せねばならない。
非定型性と即時性。講師としては極めて面倒なハイスキルを要する部分だ。だからこそ、価値がある、のだが。
#そして、教えず導く、の領域へ
「教えず導く」は、行きつきたい最後の目標だ。
教えてしまったら伝えられないモノがある。教えられてしまっては得られないモノがある。
それらを如何にして伝えるのか。
先人たちの実践を糧としながらも、自ら実験・挑戦を続けていこう。
社会人諸氏よ、準備は良いか?時間がないなどと逃げてはいないか?正しい体系と正答プロセスを身に付けるべく、同じことを繰り返す覚悟は出来ているか?
継続は力。なぜなら、非天才においては、継続によってしか力(スキル)は身に付かないからだ。
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