#能あるものには職を、功あるものには禄を
これまで多くの先輩達に鍛えていただいてきた。職業人(プロフェッショナル)としての今の自分があるのは偏にそれら諸先輩の叱咤激励、鞭撻のお陰である。
私の頭に叩き込まれた「金言」を、いくつか紹介しよう。まずは「能には職を、功には禄を」だ。これは現在、D生命におられるUさんに教えていただいた。
西郷隆盛の残した言葉である「西郷南洲翁遺訓」の中に「何程国家の勲労ある共、その職に任えぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官はその人を選びてこれを受け、功あるものには俸禄を以て賞し、これを愛し置くものぞ」という一節がある。
幾らお国に対して功労のあった人間だといっても、その才能や能力もないのに国家の要職に就けるというのは、最もやってはいけないことである、と西郷は明確に言っている。明治維新最大の功労者の一人でありながら、自ら明治新政府から身を遠ざけ西国にこもったのも、こういった信念からきたものかもしれない。
一般企業においても、お金を稼げるヒトと、人を使えるヒトは別だ。しかし、職と禄が結びついている(管理職にならないと給与が上がらない)こともあり、また、職に名誉が結びついていることもあり、ヒトは職を望み、そして「その任に堪えないもの」が要職を占めるに至り、組織は自壊していく。
Uさんにはよく叱られた。そして社会の厳しさ、組織の厳しさ、ヒトとしての優しさを教えていただいた。
組織における「本社」というものの在り方、もその一つだ。
「本社とは現場から見れば権力持ったこわくて遠いイヤなところだ」「それでも本社が現場から信頼して貰うためには、そこにいる人間は現場以上に頑張ることしかない」「現場が夜も動いているのに本社の人間がそれより早く帰るなんてありえない」「本社のヤツらは偉そうだけど、ホントに大変そうで、とても自分では務まらない、って現場に思わせるくらいじゃないとダメなんだ」
彼に一番叱られたのは、広島出張でなんと飛行機に乗り遅れたとき。羽田に向かっていたはずの私は、大手町オフィスのドアノブに手を掛けた瞬間、その冷たい感触に凍り付く。
「なぜ私は今ここに!?」
Uさん、すみませんでした!
#Aって言いてえのか、Bって言いてえのか、どっちだ
私の採用担当でもあったBCG Kさんの言葉だが、これはちょっと、言われた本人でないと分かりにくいかもしれない。
状況はこうだ。私が一生懸命考えたことを述べる、それを聞いて彼が私に問いかける。
「お前が言いたいことは、○○○が▲▲▲でXXXってことか(A)」
私はうなずく、そうそうそうなんです。
構わず彼は続ける。
「それとも○○○が△△△で□□□ってことか(B)」
私は再びうなずく、そうそうそうなんです。
あれ、でもおかしいぞ。明らかにAとBは矛盾している。○○○というFact(事実)は同じでも論理や解釈次第で、結論はXXXだか□□□だか全く違うじゃないか。
うーん、困った。すみません、もう一回考えてきます。知的な往復ビンタを喰らった私はすごすご引き下がる。
余りにも何回もそういうビンタを受け続けたので、しまいには彼の声が事前に聞こえるようになってきた。
自分で何かを考え、まとめて文章にする。それを眺めていると彼の声が頭の中に響く。
「これはAって言いてえのか、Bって言いてえのか、どっちだ」
はいはいわかりました、もう少し考えます。
#あと3回半なんだなあ
これはまた難解なフレーズだ。意味は、メッセージ(言いたいこと・言うべきこと)の練り上げのレベルを今から3.5段階上げろと言うことなのだが・・・スパイラル状に上がっていくから、3回半回せ、そしてレベルを上げろ、と。
経済産業省(当時通産省)出身のFさんの言葉だ。
なぜこれが心に響いたのだろう。当時、あるプロジェクトを私が中心でやっていた。上にいたマネジャーが退職し、替わりに彼がやってきた。彼は中身には一切タッチせず、ただ、報告会の前、数日だけを私と過ごした。
多分、私にはちょっとした慢心があったのだろう。マネジャーがいなくとも私はプロジェクトをうまくやれている、と。そして彼に出した報告書の「たたき台」もそこそこのもの。彼はそれを一発で見抜き、笑いながら言った。
「ん~~~。なんかな~~~。ん~~~」
「もう3回転半!」「はっはっはっ」
何が何やら一切具体性のない指示(?)だったが、私にはそれで十二分だった。自分の慢心に気がつかされ、到達すべきレベルまでまだまだであることが分かり、そのレベル感も(なぜだか)何となく分かった。
「分かりました。あと2回半くらいは頑張ってみます」
#どうしてもダメなら一段上がって大局的に正しいことを言え
学卒コンサルタントの大先輩でもあるNさんからの指導、はもう少しだけ具体的だ。但し、極めてコンセプチュアルであり高度であり、実行難易度はかなり高かった。彼は斯界における一種の天才であったと思う。
ほんとうに色々なことを教えていただいたが、その中でも「一段上がる」は秀逸だ。
プロジェクトには必ず中核となるテーマがあり、それに対しての答えがある。そのテーマは更に細分化・具体化されていくかもしれない。そしてコンサルタントは必死にその答えを探し求める。
でもダメなときもある。そんなときどうするか。
もちろん、もっと頑張る、も答えのひとつであり得る。実際、20件、電話インタビューで断られ続けても、21件目からうまく行き始めて、それ以降はバンバン成功した、なんてことはよくある。
それでもダメならどうするか。その時は、視点を上げることだ。細かく見れば見るほど、具体的にはなるが、戦局全体を見失う。本来、何を目的としていたか忘れる。何より、大きな打ち手を考えられなくなる。
積み上げ的分析やロジックで大きな答えが出ないなら仕方ない。一段上がって、大局的に正しいことを答えとしよう。そしてそれを実現するための方策を色々考えていこう。
これはある意味で、「逃げ」でもある。しかし、そういった局面は必ずある。厳密にはどうしても先がちゃんと読めない「混沌」。そこでどう戦うか、そのための智慧のひとつでもある。
興味ある方は、私の尊敬するもう一人の天才、羽生善治さんの「決断力」(角川ONEテーマ21)も参照いただきたい。将棋のプロ達の究極の世界がそこにある。
学卒コンサルタント(社会人経験無く、直接コンサルタントになったヒトの総称)の草分けでもあったNさん(因みに彼は院卒)は、様々な金言を後輩学卒コンサルタントに残した。
「弱点だと言われることをひとつひとつ克服していったら、つまらないおじさんが出来るだけ」
「得意なことをどんどん伸ばせばいい、心配ないよ」
ま、天才に心配ないよと言われても、それを疑うほどには智慧がついていた我々ではあった。
#なんでもいいから面白いネタ持ってきてくれよ
現ドリームインキュベータ取締役のIさんからも色々な指導を頂いた。昼に夜に。
あるプロジェクトの始まりの頃、彼は言った。「仮説とか何とか、まあいいから、兎に角面白いネタ見つけてきてくれよ」「ネタが強ければそこから何とでもなるから」。
ひとつのネタが、プロジェクト全体を方向付けるだけでなく、それを支える、というのはまた凄い話だが、実際そうかもしれない。
結局の所、コンサルティングとは変革することが仕事であり、その為の最高のツールは華麗なプレゼンテーションでも、トップとの人間関係でもない。Fact(事実)だ。
強固な事実には何ものも抗し得ない。その為にプロジェクトチームは結成されると言っても過言ではない。ただ頭を使うだけだったらシニアな人間が何人かいればよい。なぜ経験浅い若手もいれたチームで仕事をしているのか、それはFact収集のためだ。但し、「面白い」Fact、だ。これがなかなかに難しい。本当に価値ある事実とは何か、それをどう得るのか、どう捻り出すのか。それは現場の人が言った、たった一言のコメントにあるのかもしれないのだ。
ある航空会社のプロジェクト終盤、金曜の夜、彼は鞄をパンパンにさせていた。全役員含め100人以上に行った初期インタビューメモ数百ページを自宅に持って帰ったからだ。
「週末、もう一回全部読んでみるよ」
きっとそこに答えは埋もれている。
本当に彼が全部読んだかどうかは別にして(いやきっと読んだと思うが)、彼は週明けには、見つけ出した素晴らしい言葉たちで、作品を紡いでいた。
Factに拘る姿勢とその価値、森と木を両方見つめるバランスを、私は学んだのだと思う。
#「放置」の恩
さて、私が学卒ペーペーからコンサルタントに昇格したとき、これら諸先輩から言われたことがある。贈られた言葉なんていう格好いいものじゃない。
お礼に行ったとき、上記の諸先輩のうち2名が異口同音、同じことを言ったのだ。
「礼を言われて当たり前だ」「あれだけ放って置いてやったんだから」。
確かに放っておかれたという認識はあった。ただそれを彼らが凄く意識してやっているという認識はあまりなかった。
でもお陰で私は、自ら考え動く姿勢とスキルを得、放任故の強い責任感と自由さ、モチベーション(やる気)を維持することが出来た。これらは私の社会人としての根幹と言うべきものである。
そう、諸先輩に最大感謝すべきはこれである。
皆さんの「放置の恩」、決して忘れません。但し、恩返しはPay It Forward、我々の後輩たちにしていきますので、何卒ご容赦のほど。
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