三谷宏治の学びの源泉

[第37回] 七転び八起き

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 #300kgのバイクで転んだらどうなるか

 08年1月末、公道上、バイクで転倒した。時速は約60km。滅多にあることではないが今回は、その時の「学び」のお話し。

 片道三車線道路の左車線を通行中、右前方の車がいきなり車線変更。私のバイクの直前に躍り出た。
 逃げる場所もなかったので、考える間もなくフルブレーキ。そして直後に転倒。前輪がロックしての典型的な転倒だ。
 これまた何が起きたか考える間もなく、バイクとは離れ、私は路面を滑り始める。幸いにも前や横に放り出されることなく、バイクの真後ろを真っ直ぐに。
 そして、私の10メートル前方では、バイクが左面を下に、ゆっくり回転しながら高速滑走状態。300kgの質量のモノはそう簡単には止まらない。
 二条の火花を高く舞い上げながら滑り続けるそれは、美しくさえあった。
 そんなことを思いながら、私の滑走は最後、回転運動へと変わり、ゴロゴロ2回転。ようやく止まっった後、「暫くこのままでいたいな」などと考えるがそんなことをしていたら後続車に轢かれるかも知れない。
 よろよろ路肩に歩き、座り込む。
 でもその前に確認していたのは、進路変更した車の所在。まさか、行っちゃわないよなあ。
 前方50メートルくらいでその車のブレーキランプが付いたときは一安心。車種がBMWであることを確認してまた安心。保険は大丈夫そうだねえ。

 路肩に座り込んだ私に、すぐ声を掛けてくれる人がいる。「大丈夫ですか?」
 どうも私のすぐ後ろを走っていたライダーらしい。暫くしてもう一人。これもライダー。私の無事を確かめると、二人は自発的に路上のバイクを起こして歩道へと待避させてくれた。
 BMWの運転手さんも到着。
 第一声は「すみません!」
 更に間髪入れず「大丈夫ですか!救急車呼びますか!」
 ああ、これなら争わなくて済む。もう気絶しても良いなあ。でも意識もあるので「多分、大丈夫です。救急車は要りません」等の応対をする。そして彼も警察に電話を始め・・・
 私は路肩で考える。「取り敢えず、生きてるなぁ」
 でもその後、「被害者」も楽じゃなかった。体も、精神も。

 #「電話」と「談笑」が、一杯

 体中痛いのに、これから電話の掛けまくりである。携帯電話がなければ、一体どうしていたのかと思う。近くの公衆電話までよろよろ歩くのか?
 ともかく、まずはバイクの片づけか。オーナーズクラブに電話する。でもカードを持っていなかったので登録番号が分からず途中でストップ。
 次に任意保険のMダイレクトに電話して、これはバイクのナンバーとかで確認OK。レッカー車の手配をお願いする。ただ、ここでも「ちょっとお待ち下さい、担当部署へ回します」「ちょっとお待ち下さい、レッカー車の手配をします」等々で何回も待たされる。その上「事故の状況を教えてください」と二度、別部署から聞かれたり・・・。
 おいおい、こんな緊急時にそれはないだろう。
 その間、警察も登場し、質問されたり答えたり。その合間に自宅やバイクのディーラーに電話。何がどう起こるか分からないまま、そういう雑然とした状況が数十分続く。
 その場で病院に行けば「人身事故」扱いとなり、警察が実況検分をし事故調書を作成することになる。私はその場では大丈夫だったので「物損事故」として処理。あっと言う間に終了だ。
 が、翌日、左手が腫れ上がって動かせなくなったので、結局病院へ。こうなると面倒で、後日、診断書等を持って、加害者と共に警察へ出頭となる。

 ともかく、当日警察はすぐに引き上げ、後に残されたのは、彼(加害者)と私だけ。早く帰りたいが、レッカー車を待たねばならない。
 気温は3℃、事故からもう1時間。その間、ずっと屋外なわけでかなり寒い。黙っていても気詰まりで更に寒いだけなので、いろいろお話しをしてみる。加害者と被害者が和やかに談笑しながらレッカー車を待ち、レッカー車到着後は力を合わせて壊れたバイクをレッカー車に押し上げる。
 これまたちょっと不思議な状況ではある。

 救急車で運ばれてしまっていれば、こういうこともないのだろう。中途半端な事故ゆえの展開だ。
 さて、やっと帰れる。と思いきや、帰ろうとした私を今度はレッカー車の運ちゃんが掴まえる。「レッカー先まで乗ってってくれ」
 いや、もう寒いし痛いし疲れたし、家に帰りたいんだけど・・・
 「でも運び先を案内して貰えないと困るんですよ」
 そりゃあそうだ。かつ案内を加害者にも警察にも保険会社にも頼めない。
 では仕方がない。ご一緒しましょう。
 またもや20分余。レッカー車の運ちゃんと、談笑しながら、8km先のディーラーへ。
 毒くわば皿まで。今度は暖かい店内で、事故車を見ながらスタッフの皆さんと、談笑。コーヒーなど飲みながら。
 う~ん、これは結構いってますねえ。ここのボルトは切れて埋まっちゃってますしねえ。このフレームはここから分割できたかなあ・・・

 #事故前と事故後

 はいていたジーンズは大きく破れ、電車に乗れるものでもない。タクシー代、保険で出るのか?と思いながらタクシーで自宅まで。保険会社に電話しても「休日担当なのでそこまで分からない」なんて言ってるし。

 家に着いたのは事故発生から2時間後。着替えて食事をし、家族と話をして、メールを処理し、就寝。
 この時の私は知らない。翌日から、左手首が腫れて動かなくなることを。そして、保険会社との長く面倒な「交渉」が始まることを・・・

 結局、この事故の前後で変わったこと、学んだコトってなんだろう。

 バイクは全損扱いになり、新車に買い換えることになった。でも全てが保険でカバーされるわけではない。その時点での中古価格+αまでだ。同じタイプを買ったので、形も色も馬力もほぼ同じ。
 ただ07モデル車が08モデル車になるので、ABS(Anti-lock Braking System)が付く。これは大きい。ちょっと安全になるだろう。

 保険会社への見方が少し変わった。保険会社の言う「事故対応満足度」って誰にとってのだろう。

 人生観は・・・特に変わらなかった。
 このお話に何か教訓があるとすれば、それだろう。ヒトは40歳(不惑)も過ぎれば滅多なコトじゃあ、その価値観を変えない。例え、乗っていたバイクが転倒して火花を上げながら35メートル滑走しようとも、だ。

iNNO by Microsoftで「伝説のプレゼンターを目指せ!」も連載中。


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プロフィール

三谷 宏治 氏

KIT(金沢工業大学)虎ノ門大学院 教授
http://www.mitani3.com

1964年生まれ、三女の父。 87年、東京大学理学部物理学科卒、92年、INSEAD MBA修了。87年から96年までBCG、96年から06年までアクセンチュア戦略グループ。03年から06年は同 統括エグゼクティブ・パートナー を務める。 06年8月からは教育(特に子ども・親・教員向け)に注力し全国で講演・研修・授業を行う。 著書多数。『経営戦略全史』『ビジネスモデル全史』『一瞬で大切なものを決める技術』はビジネス書賞を獲得。近著に『戦略子育て』『新しい経営学』『戦略読書〔増補版〕』など。早稲田大学ビジネススクールおよび女子栄養大学 客員教授。永平寺ふるさと大使。

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