#ケース、を書いてみた
久し振りにケースなるものを書いてみた。いわゆる「ケーススタディ」用に使う、学習教材だ。
普通、ケースと呼ばれる冊子は15~30ページからなり、ある企業の状況や問題、戦略などが記述してある。
それを読んで、みなで議論し、その企業としてどういう意思決定をすべきか、を考えるための素材である。
海外であれば本家本元のハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のものを始め、多くのものがオンラインで入手可能だ。その幾つかはHBS自身によって翻訳もされている。
国内でも慶應大学、一橋大学等で作られたケースが一般にも開放されている。そこには有名な企業の有名な事例もあれば、ニッチな市場での新奇な事例もある。
今回私が書いたのは「PS 対 SS/64」
日本語にすれば「ソニー プレイステーションと セガサターン、NINTENDO64の戦い」となる。俗に「32ビット機戦争」とも呼ばれる、1994年から4年間の戦いを描いたものだ。
出だしはこんな感じ。
#『PS 対 SS/64』
1992年5月、ソニーと任天堂の交渉はついに決裂した。家庭用ゲーム機市場において当時圧倒的なシェアを誇った任天堂に対し、ソニーがスーパーファミコン(※1)(SFC)互換で、かつ、ゲームソフト供給媒体としてCD-ROMを利用した新機種を、数年掛けて共同開発し、提携の道を模索し続けた(※2)末のことだった。
ソニーの決断
それまでゲーム用パソコン MSX(※3)で惨敗し、ゲームソフト市場でも細々とした事業を営むだけだったソニーにとって、王者 任天堂との新機種共同開発、互換フォーマット(※4)の使用は、ゲーム事業拡大への大きな一歩となるはずだった。しかしその道は閉ざされた。
独自フォーマット機開発の決断は、ソニーにとっても非常に困難なものであった。ソニーの過半の役員が否定的な中、新機種プロジェクトを率いていた久夛良木(くたらぎ)健は、子会社のソニー・ミュージック エンタテイメント(SME)の副社長 丸山茂雄(※5)らの賛同を得て、独自フォーマットでの家庭用ゲーム機事業の立ち上げを経営陣に迫った。
1992年6月、遂にソニーは経営会議で独自フォーマットでのプレイステーション(PS)開発を決定した。93年11月16日、その実行会社としてソニー・コンピュータ エンタテインメント(SCE)が設立され、久夛良木は取締役開発部長に就任した。発足当初のスタッフは65人あまり。SMEのゲーム制作部門としてタレント物のゲームなどを作っていたエピック ニューメディア部の面々と、ソニー技術者たちが青山一丁目の青山ツインタワー8Fに集まった(※6)。
13ヶ月後の1994年12月3日、PSは発売された。
1994年から98年に掛けての、世に言う「32ビット機(※7)戦争」の本格的な幕開けであった。
※1 90年末に発売された任天堂のスーパーファミコンは、家庭用ゲーム機市場において80%以上のシェアを誇り、94年時点で累積国内出荷台数は1,400万台余りに達していた
※2 91年6月、ソニーは任天堂との単独開発契約に従って開発したSFC互換CD-ROM機「プレイステーション」を 発表した。翌日、任天堂は「CD-ROM機の開発はフィリップスと共同で行う」と発表し契約を一方的に破棄
※3 1983年にアスキーとマイクロソフトが提唱した統一規格。ソニーは当初から「HiT BiT」で参入。松下電器産業をはじめ国内数十社が参入したが数年で尻すぼみに
※4 ハード側の仕様において同一の情報処理がなされ、同一のソフトが動かせること
※5 1992年 副社長就任、98年 社長就任
※6 ファミ通.com 「山内一典の 読むグランツーリスモ」第23.24回 参照
※7 ゲーム機の頭脳であるCPU(中央演算処理装置)の情報取扱単位量が何ビットか。SFCは16ビット機、PSやセガサターンは32ビット機。NINTENDO64は64ビット機であるが、実質的には32ビット機として機能していた
#ケースも現実も、親切ではない
この後、ケースでは32ビット機戦争の詳細、任天堂やプレイステーションのビジネスモデルの比較などが数ページにわたって紹介される。全部で6ページあまりのミニケースだ。
もともと、パワーポイントのスライド数枚ほどで同じ内容を書いていて、それをケーススタディの素材にしていたのだが、ちょっとケースっぽくしてみたくなって、手をつけた。所要時間は丸二日間、約16時間。元ネタがある上で、たかだか5230文字の文章を書くにしては、時間が掛かっている。
それには理由がある。
如何に「不親切」に書くかに腐心していたのだ。
グロービスのみならず、様々なところで色々な人を相手に「ケーススタディ」を行ってきた。ケースは非常にコンパクトに情報をまとめている便利なものだ。本を何冊も読まずとも、たった20ページ読めば、その業界や企業のことがよく分かる。
情報は整理され、構造化され、メリハリを持って記述される。大事なことは詳細に、そうでないことは大雑把に。所々に挟まる経営陣の声は、置かれた状況やその企業の課題をリアルに伝える。
そして、読み手(私からすれば受講生)たちはその「親切さ」に素直に引っ掛かり、悩むことなく誤った道を突き進む。その先に答えなど無いのに。
世の中そんな親切には出来ていない。
みなが行く道の先に正しい答えがあることなんて無いし、そもそも経営陣が正しい問い(論点や課題)を把握しているとは限らない。
現実はもっともっと複雑だし、曖昧だ。ケースも、しかり。多くのケースは見かけほど親切でも明快でも無い。なのにヒトは、その見かけに易々とだまされる。
#一杯書いてあることが重要なわけではない
みなが良くだまされることが幾つか。思い込み、と言っても良い。
1. 重要な点は情報も多い(一杯書いてあることが重要な点、と思い込む)
2. 情報は構造化されている(自分で再整理しようとしない)
3. 情報は正しく矛盾はない(不整合に気が付かない、その奥にある真実を見逃す)
4. 経営陣のコメントは正しい(そこからスタートし「前提」とし独自の考えを持たない)
どれも、大間違いだ。
特に4はそう。現・経営陣の意見が正しいならコンサルタントを雇う必要など無いし、それらを無批判に受け容れるなら、「社長の練習」になどならない。
『PS 対 SS/64』は、現実ビジネスの意思決定練習のために、書かれた。
だから、不親切だ。しかも、一見、親切だ。構造化してあるし、競合間の比較も明確。
でも、たった6ページの紙面に何をどう詰め込むべきか、相当に考えた。一つのことを見いだすにも、数字そのままではダメで、分析(と言っても四則演算の)しないと分からないようにする。大事な情報だけでなく、要らない情報も混ぜ込む。注釈の隅に、必須な情報を入れる・・・
そして、ちゃんと結論が出るようにする。
さて、このケースが価値ある教材となるかどうか、受講生さんたちの審判を待つとしよう。
前回の「バイクで転倒」記事に対して、多くの方からご心配を頂いたので少し近況を。
左手首等は完治に向かってジワジワと。この時間の掛かり方が、そこはかとなく年齢を感じさせる。
バイクは全損扱いとなり、事故車専門買取業者さんに引き取られていった。よき第二の人生を。そして私の手元には既に同型のバイク(08モデル)が。
4月から金沢工業大学大学院 虎ノ門キャンパスで教授職を務める。ケース作成もその一環。但し、これも夜と週末の仕事であり、平日昼は子どもたちへの教育活動に向けて色々と別のことを。
iNNO by Microsoftで「伝説のプレゼンターを目指せ!」も連載中。
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