三谷宏治の学びの源泉

[第64回] 三女の涙と「+」「-」

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 #三女の涙と正負数の加減算

 三女の通う中学校は、今週が学校公開ウイーク。授業は全て公開されており、いつ行っても構わない。
 中一の三女が苦手にしている数学の授業参観を見てきてもらった。
 正負の数字の、加算と減算についての授業だったらしい。

 そこで、彼女一人が最後まで課題が解けずにいた。
 そして授業後、一人 泣いていた、と。

 少人数クラスでもあり、先生たちの教え方やフォローの仕方自体に問題があるわけでは無い。普通の教え方をし、個別に様子も見てくれる。

 帰ってから本人に、何がうまくできなかったのか聞いたところ、根本的なところの納得がいっていなかったようだった。
 例えば、
 ・5-(-3)だと、-と-を両方取って+にしろ、と言う
 ・じゃあ、5+(+3)だと、+と+を両方取って、どうするのか。なぜ+なのか?
 ・(-3)+3だと、先頭だから括弧は取って良いという。括弧って取ったり付けたり、なんなんだ?

 いちいちそういうことがよく分かんなくて、でも言われたとおりにやろうとして、考え込み...

 でもその話を聞いて、初めて気がついた。
 演算子である「+」「-」と、数字の正負を表す記号である「+」「-」が、全く同じであることのおかしさを。

 社会に出ると、負を表す符号は△であったりもする。 これなら演算子と間違えずに分かりやすい。
 なのになぜ、一般の数学は、数学らしからぬ、こんな混同を許したのだろう。 厳密さこそが数学の命だというのに。
 せめて演算子のときはタス、ヒクとのみ読ませる(*1)とかなかったもんかねぇ。

(*1)因みに教科書には、加減算演算子と正負符号の区分までは書いてある。但し、読み方は「両方ともプラス、マイナスで構わない」とも。残念

 #演算子のややこしさ

 本当は、正負符号も演算子の一種である。
 「単項演算子」と呼ばれるもので、一つの数字に対して作用する。√(ルート)もsin(サイン)もcos(コサイン)も、みんなそうだ。
 でも、それら演算子の、数字との位置関係は微妙である。
 基本は数字の前に、単項演算子を置く。でも、!(階乗)みたいに後ろに置いたり、||(絶対値)みたいに真ん中に挟んだり、も。

 加減算を含む、四則演算は「二項演算子」。二つの数字を操作するものだ。
 これも色々な書き方をする。多いのは+-×÷のように、二つの数字の真ん中に置く方法。でも、< , >(内積)や[ , ](ブラケット)のように挟むものも、ある。
 なんでこんなにややこしいのか。

 いや、そうではない。
 昔はもっともっとややこしかったのだ。これらは数学が数千年を掛けて創り上げてきた、この世を記述するための、書式なのだ。

 #「計算しやすさ」によるアラビア数字世界制覇

 世界を書き表すために、文学と数学が生まれた。そして、数学の基礎はもちろん、数字の表記法である。
 楔形文字や古代エジプトの象形文字に始まって、マヤ文明での絵数字、ローマ字でのⅠⅡⅢⅣⅤⅥ...ⅨⅩといった表記(*2)まで。数字はさまざまに表現されてきた。
 しかしそれらは、インドが作りアラビアが広めた「アラビア数字」によって全て、淘汰された。
  それは、アラビア数字の表記が簡単でかつ、計算がしやすかったからだ。

 中世において産業が発達するにつれ、大きな数を扱うことが増えてきた。それも四則演算を駆使して。
 そのとき、ローマ数字では桁数を合わせることが難しく、ただの掛け算すら非常な手間が掛かる。
 一方、「0」を導入し桁数を明示したアラビア数字では、筆算が非常に簡単(*3)にできる。
 9世紀にヨーロッパに伝えられたアラビア数字は、13世紀以降『算盤の書』の出版とともに、急速に広まっていく。

(*2)ローマ数字。I, V, X, L, C, D, Mはそれぞれ1, 5, 10, 50, 100, 500, 1000を表す

 (*3)筆算よりも速い算盤が発達・普及していた中国文化圏では、アラビア数字の導入が最も遅かった

 #「+」「-」の誕生。そして...

 加減算を表す記号としては、古代エジプト ヒエログリフの時代から「Λ」のようなカタチのものが使われていたが、ラテン語アルファベット文化の下ではPlusの「P」とMinusの「M」が使われた。
 そして15世紀末になってようやく「+」や「-」がそれらの省略形として発明(?)され、定着した。

 正負符号にはもっと長い苦難の歴史がある。そもそも「負の数」という概念が、西洋文明に受け入れられなかったからだ。
 中国では紀元前から、インドでも7世紀頃には負の数を用いた計算が行われていた。特にその理解を進めたのはインドであり、数学・天文学者 ブラーマグプタによる『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(628年)ではゼロ数の定義とともに、正の数が財産で、負の数が借金、という表現もされている。
 しかし西洋においては「負の数とは非現実的なものである」と数学者が断じ、負数を「うその数」として存在を否定し続けた。もともと数字が、物の数を数えるために用いられたため、「マイナス1個のリンゴとは何か」に答えきれなかったのだ。
 それをようやく乗り越えたのが、数学・哲学者のデカルト(*4)だった。17世紀のことだった。
 因みにブラーマグプタは負数を表現する記号として、数の上に点を打つ、を採用していた。そのままだったら良かったのに...(*5)

(*4)「我思う、故に我あり」で有名なデカルトは、近代哲学の父であると同時に、解析幾何学の創始者であった

 (*5)月面のクレーター「ティコ」にその名を残す天文学者 ティコ・ブラーエが負数を-Xと書き始めたとか

 #数直線上の旅人 「タス君」と「ヒク君」

 三女向けに、正負数の加減算の説明を、考えた。浮き沈みで説明しようかとか、色々考えたが結局、数直線(*6)上の旅人風にしてみた。

 演算子としての「+」はタス君。この子は正の向きに歩いて行く。
 何歩歩くかは、その後ろの数字が決める。正だったらそのまま、負だったら後ろ向きに。
 だから
 ・ +3だったら、正の方向に3歩。
 ・ +(-3)だったら、正の方を向きながらも、後ろに3歩!

 演算子としての「-」はヒク君。この子は負の向きに歩いて行く。
 ・ -3だったら、負の向きに3歩。
 ・ -(-3)だったら、負の向きを向きながら、後ろ、つまり正の方へ3歩。
 よって、
 +(-3)と-3は同じ。+3と-(-3)は同じ。

 明日、これで伝えてみよう。

 こんなことを考えていると、きっとただの計算ドリルはスゴく遅くなる。
 でもね、それはそれで素晴らしい。
 演算子としての+-と、数字の正負号である+-の混同に違和感を覚えるなんて、なんて素晴らしいこと。
 そのままでもいい。負けるな、ガンバレ!

参考:『数学大好きにする"オモシロ数学史"の授業30』(上垣渉 編著)

(*6)数直線という概念を考えたのが、デカルト その人

プロフィール

三谷 宏治 氏

KIT(金沢工業大学)虎ノ門大学院 教授
http://www.mitani3.com

1964年生まれ、三女の父。 87年、東京大学理学部物理学科卒、92年、INSEAD MBA修了。87年から96年までBCG、96年から06年までアクセンチュア戦略グループ。03年から06年は同 統括エグゼクティブ・パートナー を務める。 06年8月からは教育(特に子ども・親・教員向け)に注力し全国で講演・研修・授業を行う。 著書多数。『経営戦略全史』『ビジネスモデル全史』『一瞬で大切なものを決める技術』はビジネス書賞を獲得。近著に『戦略子育て』『新しい経営学』『戦略読書〔増補版〕』など。早稲田大学ビジネススクールおよび女子栄養大学 客員教授。永平寺ふるさと大使。

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