#月のナゾ
新しい観測が、答えとともに新しいナゾを、われわれにもたらします。もっとも身近な天体群であるこの太陽系1つとってもそう。この20年だけ見ても、太陽系観は大きく変わりました。秩序ある円盤から荒ぶるのソラへ。そしてわれわれは、何をすべきなのでしょうか。
ガリレオ・ガリレイが望遠鏡を使ってわれらが月や木星の月を観測し始めたのが、1610年頃のこと。彼はさらに、金星が時期によって三日月に見えること、そして火星や木星は三日月にならないことを発見して理解します。
自分たちが太陽の回りを回っているのだと。そして、金星は地球より内側に、火星・木星は外側にいるのだと。
以来、太陽系(Solar System)は人々の注目を集め続け、人類は多くの観測機器をつくり、また送り込みました。
どうやって太陽系ができたのか、惑星や衛星たちの成り立ちはどうか。いったんは、落ち着いたかに見えたその「答え」たちが、近年の観測と研究によって大きく揺らぎ、また、解決されつつあります。
たとえば、月のナゾ。
地球の月の最大のナゾは、その大きさでした。惑星本体に対して大きすぎるのです。地球のおまけとしてつくられたわけはありません。
「大きすぎる月」の起源は長らくのナゾでした。それを解明すべく送り出されたアポロの宇宙飛行士たちは、徹底した地質学者的訓練を受け、見事、月の地質サンプル(いわゆる月の石)を2400コ、300kg以上持ち帰りました。
#ジャイアント・インパクト
わかったことは、月の材料は、地球のマントルとほとんど同じで、かつちょうど45億年前、地球が形をなした直後くらいに月も高温下で生まれた、ということでした。
もともと、親子説、兄弟説などがあって、それらは月と地球の密度の違い、地球の地軸の傾き、などをうまく説明できなかったのですが、これで他人説(どこからか飛んできた月を地球が捕獲した)も否定されてしまいました。
月と地球は、親子でも兄弟でもないのに、同じ「体」を持つもの同士だったのです。
それを解決したのが「ジャイアント・インパクト説」でした。文字通り月は、地球と別天体の巨大衝突によって生まれた、地球の半身だったのです。
地球とほぼ同時期、同じ軌道上(*1)に、火星くらいの大きさの原始惑星テイアが生まれました。数千万年後、不安定になったテイアが、ゆっくりと地球の北部分にぶつかりました。
地球は破壊され、大量の高温マントルが宇宙空間へと吹き上げられました。そのマントルが集まってできたのが、この大きすぎる月なのです。
その影響で、地球の地軸は傾き、季節が生まれました。そして、大きな月のお陰で、潮汐がおき、地軸がひっくり返ることなく安定しました。生命誕生に、大きな貢献をしたのです。
(*1)太陽から見て60度離れた辺り。ラグランジュポイントと呼ばれ、重力的に安定する。
#まだまだあったジャイアント・インパクト
これは、稀な偶然なのでしょうか。
最新の天文学は、われわれに太陽系内の他のジャイアント・インパクトの事例も示しています。
数年前、惑星から準惑星に格下げとなった悲劇の冥王星にも、巨大な衛星カロンがあります。その質量は冥王星の1/7にも達します。(月は地球の1/81)
これも、他天体の冥王星へのジャイアント・インパクトによって生まれたものではないかと言われています。
そして、さらには火星にも。
70年代後半、米国の探査機バイキングは、火星の素顔をわれわれに教えてくれました。
驚くべきことに火星の北半球は全体がのっぺりとした盆地で、荒々しい山脈や渓谷のあとが残る南半球に比べて、全く違った様相を示していたのです。その平均高低差は5000メートルにも及びます。
その成因は、長らくナゾでした。
さまざまな説明が試みられましたが、2008年に出された答えは巨大隕石との衝突、でした。
その大きさは、火星の1/3、月の2/3ほど。これはもう、隕石とは言えません。40億年前のこのジャイアント・インパクトの結果、直径1万キロメートルという太陽系内最大の楕円クレーターが、火星の北半球にできたのです。
唯一、横倒しになって回っている惑星 天王星も、その異常な傾きは、惑星クラスの天体との衝突によるものと考えられています。
身を滅ぼすがごときジャイアント・インパクトは、惑星たちにとってかなり普通のことだったのです。
#けっこう危険な太陽系
これはもう、過去の話なのでしょうか。
ユージン・シューメーカーは「違う」と考えました。
地質学者だった彼は、米国アリゾナ州にあるバリンジャー・クレーター(直径1.2~1.5キロメートル)を宇宙からの隕石落下によるものと証明しました。
その後彼は、妻キャロライン(*2)、盟友デイビッド・レヴィ(*3)とともに、天文学者として多くの小惑星・彗星の探査を始めました。それらが地球文明にとって「危険」だと感じたからです。
彼は、世間に訴えかけました。
「彗星や小惑星にもっと注目しよう。地球にぶつかったら、文明の破滅かもしれない!」
彼の声はまさに杞憂(*4)とされ、彼の必死の訴えに、耳を傾ける者はありませんでした。
しかし1993年3月、レヴィらが撮影し、キャロラインが見つけた彗星は、これまでとちょっと違いました。彗星の核が長くつぶれていたのです。シューメーカー・レヴィ第9彗星(SL9)と名づけられた「つぶれた彗星」はその後の観測と計算によって、
・1992年に木星に接近しすぎて核が分裂し21コに分かれて数珠つなぎになった
・1994年7月には木星に衝突する(中野主一さんが最初に指摘)
ことがわかりました。
惑星への彗星衝突!千年に一度と言われる天文ショーの幕開けでした。
(*2)子どもが独立した後、夫に勧められて「小惑星・彗星ハンター」になった。これまでに32個の彗星と367個の小惑星を発見。
(*3)アマチュア天文学者。
(*4)昔、中国の杞国の男が「天が落ちてきたらどうしよう」「月や星が落ちてきたらどうなるのか」と心配して、食事も摂れなくなったことから、無用の心配のことを指す。杞人の憂(うれい)ともいう。
#シューメーカーの夢
それでも世間はまだ懐疑的でした。「汚れた雪玉」とも呼ばれる彗星が、木星に衝突したところで何ほどのものかと。
SL9の分裂後の彗星核の大きさは数キロメートル程度。対する木星の大きさは直径14万キロメートル。地球の11倍です。
1994年7月16日、ハッブル宇宙望遠鏡、ガリレオ探査機他、世界中の「眼」が向けられる中、SL9の木星への衝突が始まりました。
その威力は、劇的でした。
衝突地点を直接見ることはできませんでしたが、衝突時の爆発による閃光は、木星の衛星たちを照らし出し、木星表面に残った衝突痕の大きさは、地球サイズともなりました。立ち上ったキノコ雲の高さは2000キロメートル、放出された総エネルギーは広島型原爆3億個分に達しました。
ユージン・シューメーカーは、正しかったのです。太陽系は、未だに危険な場所だったのです。
そして、彼の夢は叶いました。
直後から、「地球近傍小天体 NEO(*5)」を発見・追跡するプログラムが組織化されました。95年にはNASAなどによるNEATが、96年にはアメリカ空軍などによるLINEAR(*6)がその活動を始動・加速し、すでに数万もの小天体を同定しています。
ユージン・シューメーカーの訴えは、ついに世界に届いたのです。
97年、彼はオーストラリアでのクレーター調査中に交通事故で急逝しました。享年69。
月の上を歩くこと、が彼のもうひとつの夢でした。
宇宙の「そこにある危険」を気づかせてくれた彼への感謝をこめて、彼の遺灰の一部は月に、送られました。人類史上初の月葬です。
彼の夢たちは、こうして確かな形になりました。
ヒトのもつ常識は、いつか覆ります。ヒトがつくった新しい観測手段が、常識を打ち破り、新しいナゾを生み出しもします。
そして、それを解明するのもまたヒトです。ヒトのもつ無限の夢と実行力こそが、ナゾの解明へとつながるのです。
あなたにはどんなナゾが、見えていますか? そして、どんな夢を、もっていますか?
(参考:第50回 ペンギンをハカる、第59回 新しいハカり方への挑戦1:ハッブル宇宙望遠鏡、第60回 新しいハカり方への挑戦2:MEMS)
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(*5)Near-Earth Objects
(*6)NEATはNear-Earth Asteroid Tracking、LINEARはLIncoln Near-Earth Asteroid Research