#「生きる」か「死ぬか」は選択ではない
シーナ・アイエンガーさんの『選択の科学』が売れたこともあり、最近世の中は「選択」ブームです。
・死ぬことより生き残る事を選択せよ。
・辛く生きるより楽しく生きることを選択せよ。
でもそこには2重のウソがあります。
1つ目のウソは、それがただの「選択(Choice)」、つまり、心の問題ではないということ。これらはもっと、痛みを伴った「身体性」のある意思決定の問題なのです。
2つ目のウソは、選択肢そのものがこんなに簡単・単純ではないということです。
例えば、ダイエットを始めるか否か、は「肥満」か「通常体型」か、の(ゴールの)選択ではありません。「肥満のままでいる」か、「頑張ってダイエットをする」か、の選択なのです。
多くの場合、われわれが直面する選択肢は「現状維持」か「改革断行」か、となります。それを選ぶということは、ただの心の決めの問題ではなく、そのあと続く努力や活動の苦しみを含んだ上での決定なのです。
#選択によるトレードオフを明らかにせよ
トレードオフ(trade-off)とは、二律背反する要素のバランスをとることですが、たいていの場合(中間にすると資源配分が中途半端になるので)どちらかを「捨てる」ことになります。
「頑張ってダイエット」では、好きな食事を制限するなどの代償をはらうことになりますが、「肥満のまま」もただの現状維持ではありません。非常に高い健康リスクという代償を負うことになります。
肥満の人にとって、ダイエットをするかしないかが選択肢ではなく、本当は「美と健康」と「食事制限の苦痛」のトレードオフこそが選択肢なのです。
・選択肢S:美味しいものをお腹いっぱい食べて、肥満のままで60歳から病気がち
・選択肢M:食事制限と運動を10年以上継続して、標準体型に戻して75歳まで健康
この選択肢S・M には、それらを選ぶことによる、リスク(コスト)とリターンが明示されています。ここからようやく「選択」が始まります。
#二律背反を超えることがイノベーション
でも、そんな二律背反こそを乗りこえようとするものがイノベーションです。でもこれも、第三の選択肢に過ぎません。
・選択肢L:美味しいものを食べつつ標準体型にするダイエット法の開発を目指す
この選択肢L で払わねばならない代償は「成功確率」です。かつ開発に失敗した場合には、「健康リスク」とともに、「開発コストの負債」を抱え込むことになります。ふつうなら二律背反することを、両立させよう(いいとこ取り)というのですから、簡単なはずがありません。
でも、ときどきは成功します。そしてそれは必ず大成功へとつながります。(その企業自体の成功かどうかは別にして)
経営戦略論でいえば、品質とコストのトレードオフ問題がそうでした。もともと品質を上げようとすれば、当然コストは上がるものとして認識されていました。
よい原材料を使い、工程間での品質チェックを十分にして、余裕を持って生産することで、高品質は保たれていました。それが当たり前だったのです。
#デミング博士がもたらした高品質・低コスト
第二次世界大戦直後、アメリカからデミング博士が、国勢調査の統計処理指導のために来日し、日本の企業人たちに統計的品質管理の方法論を伝授します。日科技連の人たちに請われてのことでした。
彼は主張しました。「品質とコストはトレードオフではない」「品質を上げることで、逆にコストは下げうるのだ」と。
工程内の品質を高めれば、工程間のチェックは不要になります。各工程での不良品も少なくなって、原材料や加工のムダがなくなります。工程自体の作業品質を統計的に測定し、改善することで、製品品質が向上するだけでなく、生産コストも大きく引き下げられるのです。
低価格低品質の安かろう悪かろう路線から脱却し、世界に羽ばたこうとする日本企業の経営者たちは、この教えを必死に学び、わがものとしていきました。そしてわずか十数年後には、多くの企業がその恩恵を被って世界市場に打って出たのでした。
#過剰品質・高コストの罠から抜け出るために
そんな日本企業が数十年後に大敗北を喫します。その大きな理由は「過剰品質」問題でした。
中国に生産設備を売り込むときもそうでした。中国製だと2年しかない保証期間を、4年間にしてその分のプレミアムを求めました。もともとの品質の高さからすれば、4年間の保証は当然でもありました。でも誰もそんな「長期」の保証を望んではいませんでした。事業主たちは、「ビジネスは2年で畳む」を前提にして工場を立ち上げていたからです。4年間保証は明らかな「過剰品質」でした。
ヤマハ発動機のインド向け製品でも、国土のほとんどが温暖な地域だというのに、寒冷な北部のカシミール地方でも通用する製品を提供していました。カシミール地方の人口は数%に過ぎませんが、日本人エンジニアからすれば当然の行動だったでしょう。
日本だったら、「北海道では動かないバイク」を売るなんてありえないでしょう。でも、それが日本の常識であり、「過剰品質・高コスト」につながる原因でした。
ヤマハ発動機は、それを避けるためにR&D 機能自体の分散化を決めました。今後、エンジンとフレーム以外は欧州・インド・東南アジア・中国の開発拠点に任せます。
統合による一貫性・高品質よりも、自律分散によるスピードと最適品質・コストをとったのです。たとえそれが、本社からのコントロール度合いの低下
を招いたとしても。
#選択肢に力を与えるにはビジョンが必要
結局、選択に当たっては、トレードオフが明確になった選択肢が必須です。その選択を行うことによって、どんなリスク(コスト)・リターンがあるのか。
すべてを数字で定量的に、と言っているわけではありません。不明で曖昧なことも含めて、ちゃんと考えて整理しようと言っているのです。
でも、選択肢を選んだ後になって初めて気がつくことがあります。それは、そのプランを推進し続けるには、強烈なビジョン(Vision:目に浮かぶ光景)が必要だということです。
決断するのにトレードオフは必要ですが、選んだ後にはどうでもいいことです。社員が感じるべきものは、その決断の苦悩ではなく、ゴールへの期待や夢なのです。
あなたの前にはいつも、選択肢がS/M/L の3つあります。狙う成果はSmall かMedium かLargeか。とるべき行動はStay かMove か、はたまたLeap(跳躍)か。
どれを選ぶにせよ、その選択肢に「力」を与えるには、目指すゴールをVision(憧憬の地)としてわかりやすく示すことが必要です。
あなたは、部下たちに、それを示せていますか。
参考図書:『感じるマネジメント』リクルート、『ビジネス戦略全史〔仮〕』三谷宏治(4月発刊予定)