#『お手伝い至上主義でいこう!』の副題は...
親向けの本として2011年に書いた『お手伝い至上主義でいこう!』の副題は、
・子どもの就職力を高める「ヒマ・ビンボー・オテツダイ」習慣
でした。それを読んだ長女(当時大学1年生)はビビって「就職力を高める、なんて言って大丈夫?私はまだ就職していない(*1)けど...」と。
確かにその時点では、三谷家の子育てが就職力につながるかどうかなんて、検証されていないわけです。でもそのときすかさず次女(高2)が言いました。
「心配するな、あとに続く者がいるから、大丈夫だ」
よほど、自分の就職力に自信があったのでしょう(笑) 今回は、この妙にクールな次女のお話しです。
(*1)ちなみに長女はこの4月、無事、就職内定をとりました。
クールの原則。「お母さんは大人なんだから」
『お手伝い至上主義でいこう!』で挙げた、「楽しい子育てへの4原則」の筆頭は「クールの原則」です。
「子育て」はある意味、子どもたちとの闘争でもあります。その戦いをでも、できるだけ楽しくするために、「時間をおく」「他人と比べない」こと。それで、無意味なヒートアップを避けられます。
中高生時代、長女と口げんかが絶えない母親に対して、ある日、次女が言いました。
「思ったことをパッと口に出すからお姉ちゃんとケンカになるんじゃない」「ちゃんと考えてから話しなよ。お母さんでも後から考えれば正しいことが言えるんだから」
さらに加えて曰く、
「お母さんは大人なんだから、ケンカは始めてもいいけど収拾する方にもっていかいといけない」
はい、まったくおっしゃるとおりです。
心をポジティブに。「わからないなら楽しいと思えばいいの」
小2のときには「DSが欲しい!」と泣いた次女でしたが、その頃から「自分の心」を俯瞰できているようなところがありました。
たとえば、そのDSのときもそうでした。「大人になったらね」とかなんとか誤魔化そうとする親に対して彼女は、
「いま、ほしいの!おとなになったら、ほしくなくなっちゃう」
と。なぜそんなことを、思ったのでしょう。きっと普段から、自分(や姉(*2))の心を見つめていたからでしょう。
翌年にはこんなことを言いました。母親が、山のような片付けに奮戦しながら「どうしたらいいの」と独り言を言ったときのことです。
「楽しく生きればいいの」
母親はそれに対して、「今、楽しいかどうかわからない」と答えます。すると、
「楽しいかどうかわからなかったら、楽しいと思えばいいの」「私はいつも、そうしてる」
小3の次女が至った、心の境地でした。
(*2)「これ欲しい!と思っても、一晩寝ればほとんど忘れる」の名言あり。中2の頃。
他人の心に寄り添う。「いつでも恋バナしたいよね」
クールで友だちを選ぶタイプだった次女が、中3のとき突然、生徒会長に立候補し、当選してしまいました。家族一同、ビックリです。
生徒会役員という仲間が、楽しそうに見えたのでしょうか。彼女は仲間たちと、活き活きと会長職をこなしていきました。
なかでもそのスピーチは秀逸だったそうです。原稿は読まない、自分の言葉でしゃべる、声は静かに、でも微妙な抑揚で淡々と力強く。
学校行事のリハーサル中、生徒たちは何度も席を立ち、整列やお辞儀をくり返します。その度、必ず生徒たちはざわつきます。少しでもスキマがあれば、おしゃべりしたいのです。
彼女は、そんな友人・生徒たちを眺めながら思っていたそうです。
「そうだよね。いつでも恋バナ、したいよね。前にならえ、をしながら恋バナしているみんなって、エライ!」「でも、どうせなら、こんなところ(講堂)で立ったままでじゃなくて、教室で肘つきながらしたいよね〜」
みなが静まるのを壇上で待ちながら。でも、焦ることなく淡々と。他人の気持ちに寄り添うことを覚えた中学時代でした。
工夫する。「40片、バラバラの寄せ書き」
お金を掛けない誕生日プレゼント、は工夫好きの長女の得意技でしたが、いつの頃からか次女もその仲間入りをしました。
小学生の頃から「毎日、ヒマ(*3)をどうつぶすか必死に考えてた」修行の賜かもしれません。
高校1年の3月、お世話になった担任の先生に、贈り物をしようと決まり、その担当となりました。
予算は大してありません。想い出に残るモノとして「寄せ書き」となりましたが、みな入試やなんやで全員が1枚の色紙に何かを書くことは不可能だとわかりました。
そこで考えだしたのが、各自にハガキで担任へのお手紙を書かせる作戦です。それを次女が集約し、毎日、一枚ずつ投函します。
担任の先生はそれからほぼ毎日、教え子からの手紙を受け取り、1ヶ月半後、「40片の寄せ書き」が完成します。
友だちを巻きこんでの、創意工夫の発露でした。
(*3)TV、ゲーム、PC合わせて週に210分(1日平均だと30分)の縛りあり。習いごとも1つだけ。
選んで打ち込む。受験にスカッシュに
「お姉ちゃんと違って、私には打ち込めるモノがない」と言っていた次女。高校2年になってついに、1つ目を見つけます。それがK大受験でした。大学見学をするなかで、ビビッと来たそうです。
最初はとっても大きな学力ギャップがありましたが、1年間、K大を一心に目指したことで、今のH大に入ることができました。
そしてそのH大では、2つ目の打ち込めるモノ、スカッシュに出会います。彼女の中では最初、「スポーツで、日に焼けなくて、ハードすぎないもの」という(ゆるい)選択基準だったようですが、すぐにハマりました。
近隣大学の先輩・同輩が集まるスカッシュ場に(なんと)週7日入り浸り、新人の部でインターハイ出場も果たしました。
自分で探して、自分で選ぶ。自分で選んだからには、全力を尽くす。これこそシーナ・アイエンガー(*4)の唱える「選択の力」かもしれません。
間違ってはいけません。自ら選択肢を探すところからが、選択なのです。それを促し、(邪魔せず)見守るのが親の仕事。親の役割は「応援団」に過ぎません。ただし最強の。
彼女はこれから、どんな選択肢を見つけ出し、そしてどんな選択をしていくのでしょうか。とても、楽しみです。
参考図書:『お手伝い至上主義でいこう!』(プレジデント社)、『親と子の「伝える技術」』(実務教育出版)
(*4)コロンビア大学 教授。インドに生まれ、アメリカで育ち、高校にあがるころまでに視力を失う。『選択の科学 The Art of Choosing』(2010)