三谷宏治の学びの源泉

[第115回]Bブロック、ダイヤブロック、レゴブロック!(前編)

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 #究極のブロック、Bブロック

 レゴブロックで有名な、LEGO社の栄枯盛衰物語『レゴはなぜ世界で愛され続けているのか』を、読みました。秀逸でした。
 英語の原題は『BRICK by BRICK』です。慣用句として「積み上げ式で」くらいの意味ですが、BRICKがレゴそのものを指すだけでなく、LEGO社の大成功・大失敗のあとの革新的再生の過程を見事に表してもいます。それは確かに一歩一歩、1個1個のイノベーションの積み上げでした。
 本の最初の数十頁は、レゴブロックの創造と革新、そして成長の物語です。その「カチリとハマる(*1)」高い品質へのこだわりや、射出成型(*2)によるプラスティックブロック製造という先見性(*3)。そしてシリーズを超えて(レゴとデュプロ(*4))も「つながる」統合性。レゴってそんなに凄かったんだと「はじめて」知りました。自分自身、遊んだ経験があまりなかったからです。
 わが娘たちにはなぜかレゴ(青いバケツと赤いバケツ)を与えましたが、自分自身は幼少期、レゴとは無縁でした。私のブロック原体験は、ダイヤブロックでありBブロックでした。

 小学校就学前のある年、クリスマスの朝のことです。目覚めると、枕元に大きな脱衣カゴが置いてありました。中には、山盛りのBブロック!

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 Bブロックは、幼保育園向け事業ジャクエツ(福井県敦賀市)の商品です。基本ピースの断面が「B」の形をしているのでBブロックです。

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 Bブロックは、いわば究極のブロックだといえるでしょう。基本ピースにはポチが2つしかなく、つなげるという機能を考えたとき、これ以下だと棒しかできません。でも、この「B型」の基本ピースだけで、無限の造形が可能です。(私がもらったのは、基本ピースだけ200個)

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(出所「いぬはりこ通信 vol.9」ジャクエツ)


 私はそれからの数年を、Bブロックとともに暮らしました。宇宙船、潜水艦、サンダーバード、剣に盾、ひとりでなんでもつくれました。
 ブロックが大きくて子どもが呑み込んでしまうこともないので、親としても安心(*5)だったでしょう。

(*1)その「ポッチとチューブによる連結」方法は1958年、特許出願された。

(*2)金型に高温高圧の原料を注入する機械。高精度のプラスティック部品を、大量生産できる。

(*3)1946年、デンマークの玩具メーカーとしては初めて導入した。1台で前年利益額の2倍以上した。

(*4)幼児用の大きなサイズのブロック。

(*5)Bブロックは基本的に幼保育園等の法人向け販売しかされていない。個人が買うときには直接、ジャクエツの営業所と交渉する必要がある。

 #日本の輝き、ダイヤブロック

 子どもの頃、もうひとつ楽しんでいたのがダイヤブロックでした。純日本産(カワダ)です。

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 1960~70年代のレゴは「高価な輸入品」であり、私は存在すら知りませんでした。ダイヤブロックこそが日本の子どもたちの「レゴ」だったのです。
 ダイヤブロックとレゴを比べると、
 ・システム:同様。ただし基本サイズは違う(ダイヤとレゴを混ぜては使えない)
 ・:ダイヤは多色で「透明」あり。レゴは基本6色で「透明」はほとんどない
 ・はめやすさ:ダイヤははめやすく、外しやすい。レゴはキッチリはまるので精巧につくれる(が外しづらい)
 ・耐久性:ダイヤは柔らかめ。レゴの方が丈夫で壊れにくい

 私が気に入っていたのは、基本ピースセットに少ししか入っていない「透明」ブロックでした。基地の窓にしたり、戦闘機のキャノピー(風防)にしたり、パトカーの赤色灯にしたり。
 ダイヤブロックの名称も、ここから来ています。最初に発売されたセットが、白以外全部、透明色のブロックだったからです。

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 Bブロック同様、家ではかなりの時間、ダイヤブロックとともに過ごしました。もっと「透明」ブロックがあればと思いながら、家や基地、宇宙船といったさまざまな独自の造形に挑み続けました。お手本はなく、あるのは頭の中の妄想だけ。基本パーツだけによる、無限の小宇宙がそこにはありました。
 電子ゲームも何もない時代、ブロックは、小学生の私の貴重な遊び道具でした。でもそれから長女が5歳になるまでの20年間、ずっとブロック遊びを忘れていました。いや、完全に忘れていたわけではなく、たまにおもちゃ屋さんの店頭で、ダイヤブロックやレゴブロックのパッケージを目にしては「違うんだよなあ」と独りごちていました。

 #世界の覇者、レゴブロック。シリーズ化で会社を7倍にする

 ブロック玩具の世界シェア9割を握るLEGO社は、この35年間、大きな成功と失敗、再生を経験してきています。
 LEGO社の売上高が10億デンマーククローネ(DKK(*6))に達するまで、創業から1978年までの46年間かかりました。しかし次の10年で、その5倍になりました。
 ・手足と顔のついたミニフィギュアの導入
 ・テーマを定めたシリーズものの開発(「お城」、「宇宙」、「南海の勇者」、「街」など)
 が当たったからです。リアリティを高めるために、テーマや商品ごとに特殊パーツ(他では使えない・意味のないもの)がいっぱいです。フィギュアや小物だけでなく、ブロックそのものや、可動部品も特殊なものがどんどんつくられました。

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(出所:「お城(6080)」7205)


 同時期、ダイヤブロックも同じ変化を遂げました。1980年代、「ダイヤコスモ」や「みんなのまち」シリーズが生まれ、「リニアカー」などは、バーコードユニットを線路上に置くことで、車両をコントロールできる画期的な商品でした。グッドデザイン賞も獲得し、好評を博しました。
 無からつくり出す創造性は失われましたが、ごっこ遊びができる没頭性の高い遊びへと、レゴやダイヤブロックは変身していきました。1993年には、LEGO社の売上高は70億KRRに達しました。
 商業的には大成功でしたが、私にはそんなシリーズ物がただの高価で出来の悪いプラモデルに見えました。一度つくって終わりの商品なら、ブロックでやる意味はありません。多少拡張性があっても、それだけです。

(*6)1DKKは18.3円(2014.08.11現在)。デンマークはEU加盟国であるが英国とともにユーロ導入の適用除外国となっている。

 #LEGO社の停滞とイノベーションチャレンジの失敗

 そんなLEGO社を襲ったのが、任天堂を始めとした電子ゲームの波でした。子どもたちの興味や時間、お金はファミコン(1983~)やスーパーファミコン(1990~)、ゲームボーイ(1989~)に流れていきました。LEGO社の売上は低迷し、経営陣は1990年代後半から大規模な「イノベーション創出」に乗り出しました。ブロック好きでない多数派の子どもたちの気を惹こうと、新社長の下、あらゆる可能性に挑んだのです。
 ・レゴメディアの開発(ソフトウェア上でレゴをつくる)
 ・テレビシリーズの提供
 ・子供服や腕時計の開発
 ・直営店の急拡大
 ・テーマパークの急拡大
 ・ドールの導入(女の子向け)
 それらほとんどは赤字事業のまま終わり、2003年、LEGO社は突然、破綻の危機に瀕します。キャッシュが回らなくなったのです。安定した拡大が数十年続いた結果、誰もプロジェクト毎の収支やキャッシュフローを把握・理解していませんでした。

 すべてを変えるために、創業者の孫がCEOに復帰し、同時に中途入社2年目の若者クヌッドストープ(元マッキンゼーの変わり者コンサルタント、35歳)が後継者に指名されました。
 彼は、再び「ブロック好きの子どもたち」を事業の中核に据えることにしました。

 #LEGO社 再生に向けた大改革。自由から制限へ

 瀕死のLEGO社を救うため、まずクヌッドストープがやったことは、組織に「明確な強い制限」を与えることでした。それまで、イノベーション促進に走るあまり、すべての制限が外されていました。ターゲット顧客も、特殊パーツ開発費も、収益性も、自由でした。クヌッドストープは、熟考と大規模調査の結果、こう再定義しました。
 ・ターゲット顧客は「すべての子どもたち」ではなく「コア地域(ドイツ・北欧)の5~9歳のブロック好き男子」
 ・提供商品は「すべての遊び」ではなく「組み立て玩具」。「組み立てる」という価値をもっとも重視する
 ・DMUはユーザーではなく小売店と考える。小売店の収益を重視し意見を聴く
 ・製品利益率は13.5%を目標にする。利益につながらないイノベーションは切る
 ・パーツ数(*7)や色数を強く制限する。その中で新商品を企画する
 ・高級品であり続ける。品質は落としてコストを下げることはしない。

 これだけ絞っても、LEGO社を支えるだけの(ニッチ)市場は存在する、とクヌッドストープは判断したのです。
 そして彼の思惑通り、これらの「制限」が、より良質の新商品アイデアや、創意工夫につながりました。制限はつけましたが、その中では自由にやらせたからです。
 ヒトは「なんでも好きにしていい(が個別に報連相させる)」より「強い制限付き(だかその中では自由)」の方が、その創造力を発揮できたのです。

 中核商品であったレゴブロックの収益性は急回復し、存続への道筋がつきました。しかし、将来に向けては、次のイノベーションが必要でした。クヌッドストープはそれを、オープンイノベーション(社外の智慧を活用する)とビジネスモデルの変革(ターゲットや収益源、ケイパビリティなどを変える)に求めました。

(*7)レゴのパーツ数は、1980年の2500種程度から、2004年には14200種にまで増加していた。そのほとんどが1商品にしか使われない特殊パーツ。製造のための鋳型は1パーツにつき5〜8万ドルかかる。

 #ここまでのまとめと次号の予告

 この本を読んで驚いたのは、「特殊パーツだらけのパッケージ商品」を嫌っていたのは、私だけではなかった、ということでした。
 ・コアユーザーは「組み立てることが大好き」で「レゴで何でもつくれる」ヒトたち。簡単すぎるものや、組み立てがないもの、創意工夫の余地がないものを嫌う
 そして、その子どもたちは減ってもおらず、少数派の孤独な少年でもありませんでした。
 ・レゴ好きの子どもは、テレビゲームもスポーツもふつうにする
 ・レゴ好きの子どもは賢く、たいがい仲間からもよく思われている
 これらを明らかにしたのは、トップ自らによるコアユーザーや小売店とコミュニケーションであり、「コアグラビティ」という名の大規模調査でした。数字による裏付けもあって、クヌッドストープは「高級ニッチ戦略」への大転換が断行できたのです。

 長くなってきたので今月はここまでにします。
 この10年でLEGO社はその売上を、60億DKKから、なんと4倍超の254億DKK(2013年度、約4700億円)にまで引き上げました。純利益は61億DKK(約1100億円)、売上高比で24%にも達します。
 クヌッドストープの改革以降、LEGOが実現してきたイノベーションとはなんでしょうか。それらは、どうやって実現されたのでしょうか。それを読み解いていきましょう。

 ではまた来月。

 参考資料
 ・「第35回 ダイヤブロックはカワイイ。」ほぼ日刊イトイ新聞
 ・「'80~'90年代のレゴを懐かしく振り返るサイト」7205
 ・「ダイヤブロックの歴史 1980年代」ダイヤブロック


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プロフィール

三谷 宏治 氏

KIT(金沢工業大学)虎ノ門大学院 教授
http://www.mitani3.com

1964年生まれ、三女の父。 87年、東京大学理学部物理学科卒、92年、INSEAD MBA修了。87年から96年までBCG、96年から06年までアクセンチュア戦略グループ。03年から06年は同 統括エグゼクティブ・パートナー を務める。 06年8月からは教育(特に子ども・親・教員向け)に注力し全国で講演・研修・授業を行う。 著書多数。『経営戦略全史』『ビジネスモデル全史』『一瞬で大切なものを決める技術』はビジネス書賞を獲得。近著に『戦略子育て』『新しい経営学』『戦略読書〔増補版〕』など。早稲田大学ビジネススクールおよび女子栄養大学 客員教授。永平寺ふるさと大使。

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