#マズローは人間の「高次の欲求」の理解に挑んだ
ジョージ・メイヨーたちが「ホーソン実験(1927~)」等を通じて切り拓いた「人間関係論」の世界は、人の行動の原因を探る「行動科学」へと急速に拡がっていきました。その代表格が心理学者のマズローです。
アブラハム・マズロー(Abraham Maslow、1908~1970)は、自己実現理論に沿った「欲求階層説」を唱えました。より優先される衣食住・安全などの(動物にもあるような)基本欲求とともに、ヒトにはより高次のレベルの欲求があるのだ、と。それらは従来の心理学が避けてきた極めて「人間的」な欲求でした。それを初めて、分類・定義したのです。
ヒトは(1)生理的欲求、(2)安全欲求、を優先しつつも、(3)愛・所属の欲求(Love/Belonging)、(4)自尊の欲求(Esteem)、そして、(5)自己実現の欲求(Self-actualization)、を求めていて、個々人の満足度合いは、(1)85%、(2)70%、(3)50%、(4)40%、(5)10%、程度ではないかと述べました(『人間性の心理学』1943)。
ちょっと注意してください。下の階層の欲求が100%満たされなければ次の階層に進めないわけではないのです。下の階層の充足が「優先される」だけであり、かつ、高次の欲求(3)~(5)の優先順位は個人による、とマズローは述べています。
この欲求階層説には、ユダヤ系ロシア人移民の貧困家庭に育ったマズロー自身の人生が、見てとれます。ニューヨーク・ブルックリンのスラム街に生まれた彼にとって、まずダイジだったのは、食事や水、健康や安全の確保でした。
それから友人との語らいを楽しみ、自分自身を信じることを経てようやく、相手を尊敬できる段階までたどり着けたのです。
#釈迦は「欲求そのものを消せ。そのためには行動だ」と説いた
人間の持つ欲求について、この世で初めて、しかももっとも深く切り込んだのは釈迦(しゃか)(本名ガウタマ・シッダールタ、BC463~383?)その人かもしれません。
心理学では、捨てることを「手放す」といい、それが出来ない理由を「執着」だとします。仏教で言えば「執着(しゅうじゃく)」であり、あらゆる煩悩(ぼんのう)の素だということになります。
釈迦はずばり、その執着を捨てよと説きました。いわゆる「四諦(したい)=四聖諦(ししょうたい)」です。それが唯一、ヒトを幸福に導く方法だと。
・苦諦(くたい):人生は苦(四苦八苦(*1))の世界であることを直視せよ
・集諦(じったい):その本当の原因が無智と煩悩だとつかめ
・滅諦(めったい):三大真理(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)を悟れば、人生苦は滅せられる
・道諦(どうたい):そのために日々、八正道(はっしょうどう)を行ぜよ
この「四苦八苦、無智と煩悩」が、釈迦の人間欲求分析でした。
しかし、その向かう先はメイヨーやマズローたちのような「ヒトは感情の生き物だから、その感情(高次欲求も含め)を尊重せよ」ではなく、「ヒトは感情の生き物だがそれはコントロール出来る。特に欲をなくすことで幸せになれる」というものでした。
しかも心(感情)のコントロールは、行動(座禅など)によって可能だというのです。
これらの教えの一部は、直接間接に現代の多くの経営者たち(スティーブ・ジョブズを含む)に支持され、禅という形で実践されてもいます。それもまた、経営者たちの悩みや苦しみのゆえなのでしょうか。
(*1)四苦は生・老・病・死。八苦はそれに愛別離苦(あいべつりく、愛する人と別れなければならない苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく、憎い人と会わなければならない苦しみ)、求不得苦(ぐふとっく、欲しいものが得られない苦しみ)、五薀盛苦 ごうんじょうく、自己に執着することから生ずる苦しみ)を加えたもの。
#マズローの夢:諦めずに自己実現
いわゆるスラム街に育ったマズローは、途中、父親の事業成功に伴って白人街に転居し、それまでは経験しなかった人種(ユダヤ人)差別にあったともいいます。
人間の闇の面を多く見た人生前半戦でしたが、それでも彼は人間に光を求めました。自分自身に対してそうであったように。
彼は7人兄弟の長男として、みなの期待を背負って大学に進み、わずか29歳でニューヨーク私立大学の教授となります。
それから30年余、心臓発作でなくなるまで、彼は教育や経営学にも踏み込んだ100編以上の著作・論文を残し、人間性(ヒューマニスティック)心理学という新しい分野を生み育てました。
人間としての自然な欲求を諦めることなく、自らの「自己実現」を目指したのです。
参考図書:『テキスト経営学 第3版』井原久光、『世界を変えたビジネス思想家』