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画像:星野 達也 氏

プロ経営者インタビュー

星野 達也 氏

和歌山県和歌山市に本社を置くノーリツプレシジョンは、写真現像関連機器の製造・販売を行うイメージング事業を基幹事業とするメーカーだ。世界中で製品を販売する地元の名門企業だが、デジカメの普及で写真現像の需要が落ちたことにより売上高が約10分の1にまで激減してしまった。そんな同社の変革を投資ファンドから託されたのが、代表取締役社長の星野達也氏だ。マッキンゼー・アンド・カンパニー出身で、技術仲介を行うファームの共同創業者として日本におけるオープン・イノベーション創出を牽引してきた星野氏。和歌山県とも、イメージング事業とも特に縁はなかったそうだが、同社の高い技術力に変革の可能性を見出し、居を移して社長に就任した。社長就任から5年が経った今、ノーリツプレシジョンは確実に変わってきている。そんな星野氏に20の質問について語っていただいた。

星野 達也 氏
ノーリツプレシジョン株式会社 代表取締役社長
https://www.noritsu-precision.com/

東京大学工学部地球システム工学科・同大学院修了。ルレオ工科大学(スウェーデン)客員研究員。1999年に三井金属鉱業入社、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、ナインシグマ・ジャパン(現ナインシグマ・アジアパシフィック)を共同創業。研究開発費100億円以上の企業を対象に、150社とプロジェクトを実施し、オープン・イノベーションのビジネスモデルを国内で展開する。2016年ノーリツプレシジョン株式会社入社、2017年同社 代表取締役社長に就任。

[1]自己紹介をお願いします

大学・大学院では「日本一の鉱山技術者になる」という思いで鉱山開発を勉強し、大学院の途中にスウェーデンに留学して当時の最先端の技術を学びました。大学院修了後は三井金属に鉱山技術者として入社し、北アルプス(飛騨山脈)山中の鉱山で採鉱に携わっていました。

私が社会に出た1999年は、銀行や証券会社が倒産したり企業の統廃合が進んでいた時期でした。大企業は潰れない、1つの会社に定年まで勤め上げるというそれまでの常識が通用しなくなった時代です。日産自動車にカルロス・ゴーン氏がやってきたのもこの頃で、サラリーマンのゴールが社長という常識さえも覆されてしまいました。その状況を目の当たりにして、このままでよいのだろうか?という思いが頭をよぎり、今日会社が潰れても、明日次の職が見つかるような人間になりたい、と転職を考えるようになりました。私は学生結婚していて、守るべき家族もいたので、同年代よりも危機感が強かったのだと思います。

そして2000年、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社しました。ここでビジネスの基礎を徹底的に叩き込んでいただきましたが、当時の私は全くできない社員で、イエローカード(Below Average評価)を3枚食らってしまいます。イエローカードは2枚で退場(解雇)なので、3枚は当時の最高記録。そんな中で運良く生き延びることができ、最終的に6年間在籍したのですが、この話は過去最大の試練として後程[質問12]で詳しく語らせてください。

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マッキンゼーを退職した後、2006年にマッキンゼーの先輩とナインシグマ・ジャパン(現ナインシグマ・アジアパシフィック)を共同創業しました。技術仲介を通じて製造業企業のオープン・イノベーションを支援するコンサルティングファームで、当時まだ日本ではあまり知られていなかったオープン・イノベーションという概念を日本に浸透させることをミッションに掲げ、やりがいを持って取り組んでいました。2015年には『オープン・イノベーションの教科書』という書籍も出版しました。

その後、『オープン・イノベーションの教科書』を読んだという投資ファンドの方にお誘いいただいて、2016年に現職のノーリツプレシジョンに入社しました。お誘いをお受けすることにしたのは、ナインシグマで様々な製造業企業を見る中で、もっと経営者ができることはあるのではないかと思っていたことと、ノーリツプレシジョンの本社や工場を見学して高い技術力を活用しながら変革していけそうだと感じたためです。また、当時ナインシグマは創業から10年が経ち、人も育ち、私がいなくても大丈夫と考えたためです。私自身も仕事に慣れ、成長曲線が寝てきたな、と感じた頃でした。マッキンゼーの教えである「コンフォートゾーンから抜け出せ」という言葉が頭に残っており、このままコンフォートゾーンにいては私自身の成長が止まってしまうと危機感を持っていました。そのため、大変な思いをするのを覚悟の上で、自分自身の成長のためにもこの案件にチャレンジしたいと思いました。

[2]現在のご自身の役割について教えてください

私の役割は明確で、会社の変革、もっと直接的な表現をすると再建(ターンアラウンド)です。

ノーリツプレシジョンは、戦後に写真館としてスタートしたノーリツ鋼機を前身としています。1976年に1時間でフィルムから写真に現像ができる革新的な写真現像機を開発し、これが世界中で爆発的に売れたことで成長しました。最盛期の売上高は1,000億円に迫り、「和歌山の奇跡」と呼ばれていました。しかし、90年代後半にデジカメが登場したことでフイルム現像の需要が激減、急激に業績が悪化しました。売上高は最盛期の約10分の1にまで落ち込み、そこから苦しい時期が続きました。しかし独自の高い技術力を有していたので、それを活かして変革できると見立てた投資ファンドの下、2016年に再スタートを切ることになりました。私はそのタイミングで副社長として入社し、翌年社長に就任しました。

私のミッションは、①戦略をつくる ②組織をつくる ③会社を守る、の3つです。
戦略は、祖業であるイメージング事業を維持しつつ、新規事業を積極的に創出することで経営基盤の安定を目指しています。組織をつくるというのは、そうした戦略を実行できる組織・カルチャーを、人材育成・文化の醸成を通じてつくります。最後の会社を守るというのは、限られたリソース(ヒト、モノ、カネ)で勝負しつつ、何があっても会社を維持するということです。総括すると、"攻め"と"守り"を同時に行いながら会社を成長させることです。

2017年に社長に就任してから5年が経ちましたが、この間に新規事業も育ち、売上の6割を占めるようになりました。

弊社の新規事業は、医療事業、介護事業、畜産ICT事業で、いずれもイメージング事業で培った画像処理・解析技術を新領域に応用したものです。最初は和歌山県立医科大学と連携して、病院の入院患者がベッドから落ちないよう見守るシステムを開発しました。そしてそのノウハウを介護の分野で活用して、高齢者の危険動作を感知する「ネオスケア」を開発しました。そして昨年7月には畜産業に進出、牛の出産を見守る「牛わか」を開発しました。畜産業において、肉用牛の出産は将来の収入に直結する生命線ともいえる重大事であり、その管理は畜産農家にとって大きな負担でした。そのため、安全な出産をサポートする出産検知へのニーズは非常に強く、リリース発表と同時に多くの問い合わせをいただきました。写真現像機メーカーがなぜ畜産分野に?という意外性もあったのだと思いますが、多くのメディアにも取り上げていただきました。

新規事業創出に関しては、日東電工の著名なイノベーション創出活動「3新活動」をモデルにしています。日東電工には新規事業を3回繰り返せばイノベーションが起こせるという考え方があり、弊社もそれを実践しています。写真で培った画像解析・鮮明化技術から出発して、医療現場の患者見守り、介護現場の高齢者見守り、牛舎での和牛の出産見守りという、大きな需要が見込める新市場を開拓することができました。

[3]小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう?

私は栃木県南部の小山市の出身で、田んぼと畑、果物農場に囲まれた農村地帯で、年の近い男3兄弟の次男坊としてのびのびと育ちました。父親は柔道3段で、「男の子は武道にいそしみ、健康で礼儀正しければよい」というシンプルな教育方針で、小学1年生の時に兄弟揃って近くの剣道場に入門させられました。

そこからは完全に剣道漬けの毎日でした。入門したのがたまたま全国でもトップレベルの剣道場で、警視庁出身の先生に厳しく鍛えてもらいました。週6回の稽古漬け生活でめきめきと上達し、小学6年生の時には全国ベスト8になりました。夜に稽古があるので人気のテレビ番組を見られないのは辛かったですが、それを差し引いても余りある楽しさがあり、剣道に夢中になっていました。当時の夢は筑波大学か国士舘大学に入学して、警視庁の警察官になることでした。

裕福な家庭ではなかったので、ゲームやおもちゃは買ってもらえず、家族旅行もなし、洋服は親戚のおさがりばかりでした。ただ1つ、「本だけは好きなだけ買ってよい」というルールがあったので、ゲームを買ってもらえない腹いせにとにかく本を読んでいました。今思えば最高のルールで、このルールを作ってくれた母親に感謝しています。

[4]高校、大学時代はいかがですか?リーダーシップの芽生えのようなものはあったのでしょうか?

中学でも剣道で実績を残したので、高校は剣道の強豪校にスポーツ推薦で入学しました。しかし県内中の有名選手が揃って入学している環境で、チーム代表として大会に出場できずベンチを温める日々でした。剣道では彼らには敵わない、このままでは剣道推薦で大学に行くことは難しいと考え、心機一転勉強に打ち込むようになりました。

最初は自由な雰囲気に憧れて京都大学を志望していましたが、高校2年の時に放送されたドラマ「東京ラブストーリー」を見て東京での生活に憧れ、「おら東京さ出るだ!」と決意しました。そこから猛勉強して、浪人した末、東京大学に合格しました。人生で一番勉強した時期でした。

剣道は高校まででやり切った感があったので、大学では違うスポーツがしたくてアメフト部に入部しました。何かに100%エネルギーを注いでいないと気が済まないたちなので、大学ではアメフト漬けの毎日でした。アメフトが面白いのは「戦略」で勝負が決まるところです。高校時代に活躍した選手を全国から集めた私立大学が相手であっても、経験の浅い初心者集団の東大が戦略と根性で勝てるのです。4年生の時には早稲田、慶應、中央を破り、関東一部リーグで上位に食い込みました。最高の興奮と感動です。この時、戦略で勝つ面白さを知りました。

この頃から漠然と自分はチームプレーヤータイプだとは思っていましたが、リーダーシップについてはあまり意識していなかったと思います。

[5]ご家族やご親戚に経営者はいらっしゃいますか?

経営者と呼べる人は身内にはいませんでした。父は会社員、母は専業主婦で、2人とも実家は農家です。両親からは栃木に残って公務員になることを勧められていました。なので、経営者になった時には両親からすごく驚かれました。

[6]ご自身の性格について教えてください

前向き・人好き・話好きで、組織の中で力を発揮するチームプレーヤータイプです。また、剣道で鍛えられたのだと思いますが、愚直に何かを繰り返したり、試練に耐えるのが得意で、そこが優秀な人たちと戦うときの差別化ポイントになっています。

一方、難しい意思決定を躊躇する、他人に気を遣いすぎる、整理整頓が苦手というのが弱点です。

[7]いつ「経営者になろう」と思われましたか?

マッキンゼーの入社面接で、将来どうなりたいかを聞かれ、思わず「社長になりたいです」と口にしたのが最初だと思います。面接で何か高尚なことを言わなければと思ってつい口が滑った感じだったのですが、なんだかんだ実現しました。(笑)

心から思ったのは、現職に入社する時です。ナインシグマで多くの製造業企業を見ている中で、日本の製造業の良いところや改善すべきところが次第に分かってきて、製造業のリーダーができることはもっとあるのではないかと考えるようになっていました。そんな折に、ノーリツプレシジョンに声を掛けてもらいました。それまで100億円を超える規模の会社をマネージした経験がなかったので正直悩みましたが、和歌山の本社や工場を案内してもらって技術などの説明を受ける中で、この会社は成長させることができそうだ、この会社の経営者をやってみたいと心から思いました。

[8]経営者に必要なメンタリティ、スキル、経験とは何でしょう?

メンタリティとしては、ポジティブさが必須です。経営者になると毎日嬉しくないニュースばかり届きますが、それらを受け止めて意思決定するのが仕事なので、辛いことがあっても落ち込んでいられません。悩んでも仕方ない、と割り切る気持ちが重要です。これまで数多くの経営者にお会いしてきましたが、感情のヒダが人より少ない、つまり鈍感な方が多いと感じています。そういう人だから経営者になったのか、経営者になってからそうなったかはまだ検証中ですが、私自身もここ最近でずいぶん図太くなったような気がします。

また、経営者は孤独です。誰にも褒めてもらえない、誰にも同情してもらえない、誰かの責任を取らなければならない、それでも誰にも愚痴を言えません。バランス感覚なのか、鈍感力なのか、その孤独をマネージする能力も必要です。

スキルとしては、経営者の仕事は意思決定と組織を動かすことの2つに尽きるので、意思決定に必要な問題解決力、組織を動かすために必要なコミュニケーション力です。

[9]他に経営者に必要な資質や能力などありますか?

これまでたくさんの経営者にお会いしましたが、皆が皆、聖人君子ではないですし、100点満点という訳ではありません。しかし、皆さん本当に個性的で、強みが弱みを打ち消してしまうくらいパワフルです。「ポジションが人をつくる」という言葉がありますが、それも然りだと思います。事業承継で突然社長になった方でも、就任した途端に社長らしくなったりするものです。こうあるべきということはなく、モチベーションが高くて健康であれば誰にでも資質はあるのだと思います。

あと、ある投資ファンドの方が言っていたのですが、彼らは投資先の経営者を、地頭の良さ、根性、戦略的思考の3条件を備えた人から選んでいるそうです。学歴×体育会経験者×戦略コンサル経験者というのがベストだとか。体育会経験者というのは逃げない信頼感があるのだそうです。私個人としても納得感はあるので、これも1つの切り口かもしれません。

[10]これらのスキルなどをどこで手に入れたのでしょうか?

メンタルの部分は、楽観的な性格に救われています。これは持って生まれたものだと思うので両親に感謝です。

スキルの部分は、やはりマッキンゼーでの6年間です。入社と同時に自分を全否定されるところから始まり、悩み抜きながら完全OJTで様々なスキルを学びます。マッキンゼーには数多くの教えがありますが、最たるものが、「イシューは何か?」をまず考える思考の癖です。イシューがなければ何もしなくてよいですし、イシューが見つかればそれを解決する、あるいは誰かが解決するのをサポートするのが経営者の役割です。イシューを特定できた時点で、問題の半分は解決したと言えます。

また、やっていて良かったと実感しているのが、人に教えるということです。私は週末に社会人大学で、経営戦略やマーケティング、論理的思考などを教えているのですが、人に教えるためにその数倍、数十倍の量をインプットすることになり、それまでの人生で断片的に学んでいたスキルが自分の中で整理されて、自分の技として定着したと感じています。社内でも「ノーリツアカデミー」という私が講義をする場を設けていて、既に20講義程実施していますが、その都度会社や社員のニーズに合わせて講義を設計することで、私自身学ぶことが多いです。ですので、セミナーや講演会、大学での講義などは、頼まれれば可能な限り引き受けるようにしています。

[11]業界のプロとしての知見はいかがでしょう? やはり必要だとお考えですか?

私のように社外から派遣される経営者は、業界知識がない場合が多いと思います。私もイメージング業界について全く知りませんでしたが、それでとても困ったということはありません。もちろん、入社してからは猛勉強でしたが、知識は後からでも十分にキャッチアップできます。逆に「知識が思考の邪魔をする」という言葉がある通り、業界の知識がないことで、ゼロベースで考えることができるメリットもあります。

[12]過去に体験した最大の試練やストレッチされたご経験について教えてください

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冒頭の自己紹介でも少しお話しましたが、マッキンゼーでの6年間です。マッキンゼーは非常に厳しい会社で、求められる水準が高く、Up or Outが徹底されています。私はパフォーマンスがあまりにも悪く、Below Average(平均以下)評価を2度も受けてしまい、3年目に遂に「あなたにはもう仕事がありません。3か月以内に、次のキャリアを探してください」とクビを宣告されました。それなりに良い大学を出て、それなりの社会人のつもりだったので、かなり大きなショックを受けて、会社のビルの裏で泣きながら「クビになった」と父親に電話したあの日のことは今でも鮮明に記憶に残っています。

次の仕事が決まっていよいよ退職準備をしていたときに「星野をクビにするならうちのチームで使いたい」と言ってくれたマネージャーがいたためクビを撤回されました。マッキンゼーは会社として好きでしたし、成長する場として最高ですのでそのまま残ることにしました。私を拾ってくれたマネージャーには今でも感謝しています。

その後は「一度クビになったんだから、もう失うものはない」と吹っ切れたのか、ものすごく気が楽になり、劇的にパフォーマンスが上がって良い評価をもらえるようになりました。臨死体験した人がその後長く生きる、そんなイメージです。振り返ってみると、それまでは上司の目を気にしたり、空気を読もうとして慎重になり過ぎていたのが、吹っ切れたことで思い切り動けるようになったのが良かったのだと思います。これは私の中でブレイクスルー体験でした。

最後は起業するために自分から退職を申し出ましたが、その時にはもう少し残ってほしいと引き止めてもらえたのは嬉しかったです。クビ宣告から3年、克服できたという充実感・達成感がありました。

[13]経営者を志す者には、どのような努力や学びが必要でしょうか?

経営者はなりたくてなれるものではないので、十分条件はありませんが、必要条件は2つあると思います。

1つは、中長期的な目標を立てて、早め早めに動いておくことです。人生は短く、歳をとるほど時間はあっという間に過ぎます。30歳の人にとっては40歳の自分はなかなかイメージできませんが、40歳の人にとって30歳はつい最近のことです。人間は過去のことは近く感じますが、将来のことは遠いことだと認識してしまい、時間があると勘違いしてしまいます。それが結構な落とし穴で、計画を立てないと時間はあっという間に過ぎてしまい、気づいたころには手遅れになってしまいます。そうなると、後悔してもしきれないですし、その自分を正当化せざるを得なくなります。人生は短いということを前提に、今後自分がどう生きたいのかを考えるべきです。リアルに検討するためには、5年単位で目標を立てるのが良いのではないでしょうか。

2つ目は、与えられた環境で最大限努力することです。私は昔の自分にとって全く想像できないような人生を歩んでいますが、それは置かれた環境下で最大限の努力をしてきたので、それを見ていた誰かが必要な時に手を差し伸べてくれたおかげだと思います。物事には偶然と必然がありますが、偶然の部分はアンコントローラブルです。ですので、自分の努力によって少しでも良い方向に向かえるよう、今いる環境で最大限の努力をすることで必然を高めることが大切です。

[14]今までに影響を受けた先輩や師匠といえるかたはいらっしゃいますか?

20代の頃から常にロールモデルを設定して、「あの人のようになりたい」と考えながら生きてきました。大学の先輩だったり、会社の先輩だったりと様々ですが、出会いの中でその時の自分に合うロールモデルを探してきました。私はTTP(=徹底的にパクる)という言葉が好きで、まずはロールモデルのマネをしてみるところから始めます。マネしてみることで、「自分にはこれはできないな」とか「自分ならここはこうするな」など気づきがあり、自分の個性を認識できますし、すごく効率的に成長できます。まずは誰でもいいので、目指すべき姿を具体的に思い描くことが重要だと思います。

[15]キャリアの成功とは「計画的に努力して成し遂げるもの」でしょうか?それとも、「偶然や人との出会いなど、運が影響するもの」だとお思いですか?

すごく奥深い質問だと思います。

私は今、昔の自分には全く想像できなかった人生を歩んでいるので、偶然や人との出会いが人生を大きく変えることは否定できません。鉱山技術者をしていた20年前、たまたま参加した大学関係の集まりで、翌日マッキンゼーに入社するという人と出会いました。その時初めてマッキンゼーのことを知り、彼の話を聞いたところ面白そうだったので帰ってすぐにエントリーしました。マッキンゼー入社は私のターニングポイントで、これがなかったら今の私はありません。他にも、あの時・あの人に出会っていなければ今の自分はない、と思う瞬間はいくつもあります。

その一方で、努力という面では、常に与えられた環境で全力を尽くしてきました。手が抜けない性格もありますが、マッキンゼーの「コンフォートゾーンから抜け出せ」という教えから、常に成長曲線が鋭角に上がっていないと不安で仕方がなくなるので、いかなる時も全力モードで頑張ってきました。そして、その様子を誰かが見ていて必要な時に手を差し伸べてくれる。そんなことを繰り返しています。

ですので、この質問に対する回答は、「必然と偶然、両方ある」だと思います。

[16]なぜ起業ではなかったのでしょうか?

私は34歳の時にナインシグマを起業しているので、起業の面白さや大変さも理解しています。

やはりゼロから何かを作りあげるというのは起業の醍醐味です。私の場合は、オープン・イノベーションという新しい概念が日本で広がっていく様子は本当に痺れました。一方で大変さという面では、起業してかなり無理をしていたためか、2年で体を壊してしまいました。手術をして、しばらく入院して治療することになり、私自身も大変でしたが、家族にもかなり精神面で負担をかけてしまいました。その時に、もう自分だけの体ではないということを痛感しました。

なので、起業はおなか一杯、しばらくはいいや、というのが正直なところです。もちろん企業再建も責任重大ですし、非常に大変な仕事です。しかし、起業と比べればまだ大変さの比率が低いように思います。

ただ、もうしばらくして70歳をこえたころ、人生の最後にもう一度だけ好きなことで楽しく起業してみるのもいいな、とは思っていたりします。もちろん、無理はしない前提ですが。

[17]特別な信条やモットー、哲学などをお持ちですか?

「死ぬこと以外はかすり傷」という言葉がとても好きです。今の会社に来て知った言葉で、当時は社長就任2年目で一番悩んでいた時期だったので、この言葉にずいぶんと救われました。私は歴史が好きでよく歴史小説を読むのですが、昔は自分が失敗すると一族郎党皆殺しでしたが、今の時代、たとえ失敗しても次のチャンスがありますし、命までは取られません。最近もコロナウイルスで一時期大きな影響を受けたり、大変なことも多いので、そんな時はこの言葉を自分に言い聞かせています。本当にいい言葉だと思い、ことあるごとに娘にも言っているので、かなりうっとおしがられています。

[18]経営者となった今、何を成し遂げたいとお考えでしょうか?

会社について、自分自身について、それぞれあります。

まず会社については、今の変革を完遂して自走できる会社にすることです。社長就任から5年が経ち、いよいよ変革フェーズから、成長フェーズに入ろうとしています。ここでしっかり成長させていこうと思っていますし、できるという手応えもあります。

自分自身については、この会社が自走するのを見届けたのちは、経営者として新たなフィールドを探そうと思っています。そして、長期的に日本を良くすることに貢献したいと思っています。今までは自分のことで手一杯で、そんな目線で物事を考えたことはありませんでしたが、子供も大きくなり、自分もそれなりの歳になり、自分でも不思議なのですが、急に日本人としてのアイデンティティが芽生えてきました。日本を強くして、子供や孫の世代が誇りに思える国にしたいと思っています。

[19]現在のポジションを去る時、どういう経営者として記憶されたいですか?

再建を任された者の宿命なのですが、会社がしっかりと自走できる状態になったら私の役割は終了です。次の成長をリードする人材にバトンタッチして、私自身はここを去ることになります。

理想としては、数年後に社員の皆が「あんな苦しい時があったな」と今の苦労を笑い話にできる時が来て、その中で少しでも私のことを覚えてくれていれば充分です。その頃私は他の戦場で新たな戦いに明け暮れているはずです。

[20]20代、30代のビジネスパーソンにメッセージをお願いします

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経営者は人生をかけて挑戦するに値する仕事です。多くの人の人生に責任を負うというプレッシャーの中で働くことになり、簡単な仕事ではありません。しかし、成功した時の興奮は何物にも代え難いものがあるので、やりがいのある仕事だと思います。

今の日本は圧倒的に経営者不足で、今後それはさらに顕著になるでしょう。ファンドの投資案件も過去10年で急速に増えており、将来経営者になりたいと考えている人にとっては、今後チャンスが増えていくと思います。

また、私自身学生時代のアメフト部で、全国からトップレベルの学生を推薦で集めた私立の強豪校を相手に、戦略を武器に打ち勝った経験があります。この時に、戦略次第で勝てるということを知りました。弊社が畜産ICTという誰も予想していない領域で事業を始めたのも、戦略です。非常に多くの問い合わせをいただき、さらなる事業拡大が期待される中で社員の士気も高まりました。戦略次第で会社は大きく変わり、不可能を可能にすることもできます。日本にはまだまだ戦略次第で大きく変えられるであろう会社は数多くあります。

今後チャンスを得て、会社を変えていける経営者になれるためにも、若い時から意識して、プロフェッショナルとして戦えるところに身を置いて経験を積むことが大切です。特に経営者の仕事は意思決定と組織を動かすことなので、問題解決スキルとコミュニケーションスキルは重点的に高めるのが望ましいと考えています。

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