[1]自己紹介をお願いします
新卒で総合商社のニチメン(現・双日)に入社しました。配属は電子情報本部で、カーエレクトロニクスの米国への輸出業務を担当し、入社して2年半後に米国の3大自動車メーカー・BIG3(GM、フォード、クライスラー)の担当としてシカゴに駐在しました。
私がニチメンに入社したのは、学生時代から起業を志していて、一度大きな資本のもとで何ができるのか試してみたかったからでした。そのため、入社1年目の時からビジネスアイデアを提案し続けていました。ある時、会社の論文大会にビジネスアイデアの事業企画の論文を出したところ、社長賞を受賞しました。プリペイドカードビジネスだったのですが、賞金5万円をいただいて「これで起業できるぞ!」と喜んでいましたが、「論文と事業は違う」と言われてしまい結局事業化できませんでした。
その後も本部にビジネスアイデアを何度も提案するも通らず、上司から「10年早い」と言われてしまいます。その言葉が頭に残り、10年間は我慢することに決め、その間に事業化に繋げる方策を考えました。上司は優秀で良い人ばかりでしたが、若手のアイデアで事業を始めるなんてことは組織人として働いている限り困難でした。そこで、トップに直訴してしまおうと、入社10年目の4月1日に社長に社内郵便で事業計画書を送りました。
社長は若手の話を聞きたい方だったので、10分ほど直接お話する機会をいただけました。その後社長から本部長に話がいき、本部は大騒ぎになりましたが最終的に現行の電子情報本部の仕事をする傍らであれば事業をしても良いということになりました。アシスタントを1人つけてもらい、2人だけで事業を始めました。
この時始めた事業は、内外価格差で収益を上げる卸売ビジネスでした。しかし海外から仕入れた製品には不良品が多く、すぐに事業存続の危機に直面します。本部の反対を押し切って始めた新事業、失敗すればもう会社にいることはできません。とにかく何とかしなければと、歯を食いしばって必死に手を尽くしていました。その様子を見た競合の日本メーカーが、彼らの現地工場から製品を提供してくれると申し出てくれました。
今思えば彼らにとっては一ビジネスとしてメリットあってのことですが、この申し出はありがたく事業を建て直すことができました。その後、円高の後押しもあって、事業は軌道に乗り収益を上げることができました。これがきっかけでニチメンの副社長に気に入っていただき、新しいビジネスアイデアがあれば話を聞いていただけるようになりました。
その後、社内起業でEC事業を展開するニチメンメディアを創業し、社長に就任しました。同社はその後ベンチャーキャピタルの出資を受けたことでニチメングループから外れ、社名をスタイライフに改めました。私もスタイライフの社長を続けるためにニチメンを退職しました。スタイライフは現在の楽天ファッションです。
その後上場を果たしますが、TOBによって他社の傘下となったことで社長を退任しました。以降はハイマックス(現・豆腐の盛田屋)、AXES、エンジェリーベなどで経営者を経験し、RIZAPグループからの招聘で、同社が買収したマルコの社長に就任しました。その後、持株会社体制に移行してMRKホールディングスを設立し、現在に至ります。
これまでに6社で延べ25年間社長を経験しました。経営者としては新事業の創出、企業再建を得意としています。
[2]現在のご自身の役割について教えてください
マルコの社長に就任した時に一番初めに与えられたミッションは、会社を黒字化させることでした。
当時のマルコは大赤字でキャッシュフローも回っていない状況で、本当にそんな会社を再建できるのか恐々としましたが、3か月間現場に赴き、ヒト・モノ・カネを見て回った後で「この会社は再建できる」と確信しました。理由は、ヒトとモノが素晴らしかったからです。通常会社が赤字の時にはボーナスも昇給もなく、従業員のモチベーションが著しく低下しています。企業再建を見極める上で、モチベーションが回復した時に能力を発揮できる会社であるかは非常に重要です。
マルコでは、お客様から「体型が変わったことで気持ちが前向きになった」「人生が変わった」など感謝の手紙を何百通もいただいていました。クレームであれば怒りを原動力に手紙を書きたくなるものですが、感謝の気持ちというのは手紙にするには相当な思いが必要です。これだけ多くの感謝を集める会社であれば存続できると思いました。
また、社員も皆優秀でした。まず、過去に上場を果たしていますし、実際に会社が黒字化した後には、昨年「最も女性が活躍する会社」を表彰する『Forbes JAPAN WOMEN AWARD 2021』の企業部門/従業員規模1,000名以上の部で8位にランクインし、更に今年『Forbes JAPAN WOEMN AWARD 2022』の企業総合部門/従業員規模1,001名以上の部で7位にランクアップしています。
この会社の問題はお金だけだと判断し、社長就任の翌年には増資を実施しました。成長投資を行い、社員に給与として還元したことでモチベーションも高まり、わずか1年で黒字化させることができました。
現在、既存事業は社員が自走して、順調に成長させてくれています。ですので、今の私のミッションは新規事業を軌道に乗せ、経営基盤を安定させることです。私は新規事業の立ち上げと拡大は大得意で、ここ3年で立ち上げた2つの新規事業が10億円規模に成長しています。
1つはドクター監修の「オリジナルサプリメント」で、もう1つはオーダーメイドインソールの「オーソティックス」です。オーソティクスはアメリカ発のサービスで、最初は日本の一代理店としてマルコのお客様に案内したことで認知され、からだに良いことが評判になったおかげで男性にも売れています。この2事業はいずれも対面カウンセリングが必要なサービスなので、コロナの影響を大きく受けましたが、それでも成長し続けています。いずれコロナが収束すれば、20億円規模まで成長できるとみています。[3]小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう?
わんぱく小僧、ガキ大将そのものでした。中学生まで野球をやっていたのと、この世代には珍しく、父の影響で10歳からゴルフをはじめました。ゴルフは今でも大得意です。[4]高校、大学時代はいかがですか?リーダーシップの芽生えのようなものはあったのでしょうか?
高校ではハンドボール部に所属し、ごく普通の高校生活を送っていました。
大学1年生の時はテニスやスキーなどサークルを謳歌する一般的な生活を送っていましたが、2年生の時にビジネスを始めました。学生ツアーの企画や、当時(80年代前半)レンタルレコードが流行っていたことに着目してそのモデルを応用してレンタルビデオ屋を始めました。当時は先駆けでしたが、TSUTAYAさん等の大手が参入したことで一気に負けてしまいます。どれだけビデオを揃えられるか資本力がものを言うビジネスでは、大きな資本の前ではとてもではないが敵いません。その時に「一度大きな資本のもとでビジネスをしてみたい」と思い、冒頭自己紹介でお話したニチメン入社に繋がりました。
[5]ご家族やご親戚に経営者はいらっしゃいますか?
父親がもともと官僚でしたが、退職して町工場の経営者に転じた人でした。当時官僚を辞めるのは珍しく、よほど経営にチャレンジしたかったのだと思います。他にも、叔父など親戚に何名か経営者がいたので、そういう血筋だったのだと思います。[6]ご自身の性格について教えてください
何事にも積極的で、絶対に失敗したくない負けん気が強い性格です。少し根暗な部分もありますが、明るくあるよう努めています。[7]いつ「経営者になろう」と思われましたか?
昔から漠然と将来は経営者になるものだと思っていました。中学生の時に「義務教育が終わったら高校に行かずに商売がしたい」と両親に言い、当時経営者をしていた父親は大喜びでしたが、母親に反対されて高校に進学しました。商社に入社したのも、学生起業の経験からビジネスをしっかり勉強したい、大資本でビジネスをしたいという思いがあり、起業が前提にありました。
当時持っていた大きな夢として、大学の先輩でもありニチメンの先輩でもあるダイエーの中内功さん、同じくニチメン出身のORIXの宮内義彦さんが球団(ホークス、バッファローズ)を所有していたので、3人目のニチメン出身の球団オーナーを目指していました。(笑)
ニチメンでは社内起業も経験させていただき、本当に勉強させていただきました。しかしグループ会社の社長になっても、企業で働いている限り個人は組織の中で動かなければなりません。本当に好きなことがしたければ独立しなければならないことを感じました。[8]経営者に必要なメンタリティ、スキル、経験とは何でしょう?
まず、強靭な精神力が必要です。私自身経営者になって何度も打ちのめされましたし、ニチメンメディア時代には倒産寸前に追い込まれました。当時(2000年前後)は金融機関による貸し渋り、貸し剥がしが社会問題になっていた時代で、ニチメンメディアも貸し渋りされ倒産しかけてしまいます。親会社のニチメンに交渉して、ニチメンは貸出を了承してくれたものの、ニチメン側の銀行が反対したことで結局借りることができませんでした。会社をつぶしてしまうかもしれない・・・と放心状態になり、半日位は何も考えられなくなりました。
何とか気を取り直して策を練る中で、当時まだ黎明期だったベンチャーキャピタルという存在を知りました。ビジネスモデルが優れていれば投資をしてくれる組織だと聞いて「これだ!」と思い、ベンチャーキャピタル10社を回ってプレゼンテーションを行いました。最終的には10社すべてから投資を受けることができ、なんとか倒産の危機を脱しました。その後、会社をスタイライフに改めて一気に上場まで駆け上がることができました。最後まで諦めず、そしてどんなに苦しくても社員にはそれを見せない、強靭な精神力は必要です。
必要な経験としては、経営判断の積み重ねです。経営者の仕事とは「判断すること」であり、多種多様なケースの判断を重ねることで判断力を培っていくものです。私自身6社で経営者をしながら、色々な状況を判断してきました。100回しか判断したことがない人と、1万回判断した人とでは全然違います。経験を重ねるには、できるだけ若い時に経営者になることです。私の若い時は終身雇用が根付いていて、失敗したらもう大手企業に戻ることはできず、経営者に挑戦するには大きな決断が必要でした。その点今は失敗をしても取り返しやすい時代になったので、挑戦のハードルが下がったと思います。[9]他に経営者に必要な資質や能力などありますか?
松下幸之助さんが言う「素直な心」です。とりあえず話を聞いてみること、吸収しようとする姿勢が大切です。[10]これらのスキルなどをどこで手に入れたのでしょうか?
起業する前の20代の時は、経営者の自伝本を読み漁りました。自伝本には何十年にわたる経営者たちの経験が凝縮されていて、学びが多く、それをわずか1週間で読むことができます。ただしあくまでも知識として扱いつつ、実践経験を重ねることに尽きます。私は稲盛和夫さんの本はごまんと読みましたし、稲盛さんが主宰する盛和塾にも入塾しました。しかし稲盛さんからも「ここに来なくても良い、帰って実践しなさい」とも言われました(笑)。[11]業界のプロとしての知見はいかがでしょう? やはり必要だとお考えですか?
あるに越したことはありませんが、勉強すればカバーできます。経営者の仕事はあくまで経営することなので、扱う商品についてはその時々勉強すれば良いと考えています。[12]過去に体験した最大の試練やストレッチされたご経験について教えてください
スタイライフが上場後1年でTOBを受け、会社を去ることになった経験です。創業して育て上げた会社を離れることは本当に辛く、なかなか立ち直れずにいましたが、ある時「吾唯知足」(われただ足るを知る)という言葉を知りました。京都の龍安寺のつくばい(手水鉢)に書かれている有名な禅の教えで、「満足することを知っている人は、貧しくとも幸せであり、満足することを知らない人は、たとえお金持ちであったとしても不幸である」といった意味です。この言葉を知った時、何を腐っているんだと怒られたように感じました。経営者としての意識を取り戻しましたし、盛和塾で猛勉強もして、再び経営者として歩み出すことが出来ました。[13]経営者を志す者には、どのような努力や学びが必要でしょうか?
好奇心と素直な心を持って、前向きに挑戦することです。ノーリツプレシジョンの星野社長が「死ぬこと以外はかすり傷」とおっしゃっていましたが、たとえ失敗したって何度でもやり直すことはできます。そう考えて、悩みすぎず行動を起こすことが大事です。[14]今までに影響を受けた先輩や師匠といえるかたはいらっしゃいますか?
盛和塾の恩師、稲盛和夫さんです。『世のため人のため』という考え方を、盛和塾で稲盛さんに徹底的に叩き込まれました。言葉にすると高邁な表現なので「所詮綺麗ごとだ」と思う人もいるかもしれないですし、私も若い時はそう思っていました。しかし、この歳になって真実だと思うようになりました。世のためになるからこそ需要が生まれるのであって、言い換えると「需要とは世のため、人のためのことをする」という至極まっとうなことなのです。[15]キャリアの成功とは「計画的に努力して成し遂げるもの」でしょうか?それとも、「偶然や人との出会いなど、運が影響するもの」だとお思いですか?
前者であってほしいものですが、現実的には後者の影響は絶大です。私自身も若い時から努力を重ねましたが、それだけでは必ずしも物事はうまくいかないことを痛感しました。特に東京では人と人との繋がりが作りやすいと思います。出会いを無駄にしないためにも、素直な心で吸収しようとする姿勢を持ち続けることは大事です。[16]なぜ起業ではなかったのでしょうか?
過去に起業しましたし、再び起業したいという気持ちもまだあります。しかし、この歳で今から世のため人のためになる会社をゼロから育て上げられるかというとクエスチョンです。もしアメリカであれば、投資家が多いので、過去の実績さえあれば資金調達のハードルも高くありません。起業を繰り返すシリアルアントレプレナーも多いです。しかし、今の日本では資金調達のハードルもまだまだ高く、なかなかそうはいきません。
また、大きな組織の方が世の中への影響も大きく、世のため人のためになりやすい面もあります。今の会社でできることを頑張っていきたいと思っています。[17]特別な信条やモットー、哲学などをお持ちですか?
まず、これまでもお話している『世のため人のため』です。いかに世のためになるか、人のためになるかを物事の判断基準にしています。もう一つは、『諦めなければ奇跡は起こる』です。幼少期から両親、恩師、先輩たちから「成功するには諦めてはいけない」ことを何度も教わりました。実際に私自身諦めなかったことで奇跡を2回経験しました。一度目はニチメンで初めて手掛けた新規事業が上手くいかなかった時に、歯を食いしばって耐え続けたからこそ競合企業が救いの手を出してくれ、成功できたこと。二度目は、スタイライフで銀行の貸し渋りで倒産寸前になったところをベンチャーキャピタルの投資によって救われ、そのまま上場を果たしました。
[18]経営者となった今、何を成し遂げたいとお考えでしょうか?
これは今模索中です。最終的に成し遂げたいことは、世の中のため人のためになることですが、経営者が成し遂げるべきことは、その時々の会社の状況で変わります。マルコにきた当初は「会社を黒字化させること」でした。しばらく会社を見て回った時に「なぜこんなにお客様に感謝される会社が潰れかかっているんだ」「絶対に潰してはいけない」と思い、必死に働き1年で黒字化させることができました。今現在、成し遂げるべきことは新事業を軌道に乗せることで、安定した経営基盤をつくることです。[19]現在のポジションを去る時、どういう経営者として記憶されたいですか?
倒産寸前の今の会社を建て直せたことは誇りです。私の事を「あの人が会社を建て直してくれた」と、忘れないでいてくれたら嬉しいと思います。[20]20代、30代のビジネスパーソンにメッセージをお願いします
人生には限りがあるので、若い時に今しかできないことに挑戦するべきです。私が20代、30代の頃は終身雇用の時代だったので、万が一起業に失敗したら、二度と元の様な大企業には戻ることはできませんでした。今は必ずしもそんなことはありません。元いた会社に再雇用してもらえることもありますし、失敗した経験を評価して雇ってくれる会社もあるかもしれません。ただし、失敗が許されるのは若いうちです。是非若い時に今しかできないことに挑戦してください。