[11]業界のプロとしての知見はいかがでしょう? やはり必要だとお考えですか?
経営者を支える参謀としてなら別ですが、経営者としてなら「あった方がいい」というレベルではなく、「持っていなければダメだ」と思っています。その業界・企業についての一定の知識がなければ正しい決断が出来ないからです。だから、その業界に根付いている慣習や独自の価値観、あるいはその会社が歩んできた歴史などというものを軽んじている経営者は、一時的には華々しい革新や成功をすることが出来ても、結局しっかりと根付くことが出来ず、革新的な経営戦略もその経営者自身も結局短命に終わってしまいます。
「業界のプロ」としての知識は働いた年数ではありません。だからないのであれば、できるかぎり集中して吸収すればよいのです。では、自分がどうだったかといえば、CMOとして20世紀フォックスに入社した当時は、この産業の業界知見を持ってはいませんでした。ですから、当然「このままじゃダメだ」と自分に強く言い聞かせ、学習・吸収していったんです。経営者になるまでに数年あったことも自分にとっては幸いでした。
その一方で、「業界のプロとして十分な知見」があれば、それだけで経営者が務まるかというと、それについても私は「違う」と考えています。私が考える理想の経営者とは「業界のプロ」であり「経営のプロ」である存在。「大事なことをきちんと維持するプロ」であり、同時に「時代に合わせて経営を変革するプロ」である存在です。「守るべきところ」と「攻めるべきところ」のどちらが欠けても良くない。「攻めるべきところ」を見つけるためには、他業種や他企業の良いところを知る「経営のプロ」である必要があります。
[12]過去に体験した最大の試練やストレッチされたご経験について教えてください
最初の自己紹介のところで話をした日本コカ・コーラでの様々な経験が、私にとっては試練であり、成長につながるチャンスだったと思っています。実は日本コカ・コーラ時代にはかなりピンチな状態に何度も追い込まれたことがあるのですが、とりわけ大きな試練だったのが、低予算のブランドを任された時です。
それまでライフスタイルの調査プロジェクトである程度評価され、ちやほやされていた私は、どこか天狗になっていたのだと思います。ところがあまり成果が出ないうちに、あっという間に閑職のような立場に置かれていた。そして気づいたんです。「俺は自分で思っていたほど優秀でも何でもなかったんだ」と。けれども、この時、自分以外の誰かのせいにして「よそで活躍してやる」というような選択をせず、もがき苦しんだことが、いろいろな意味で成長につながりました。
簡単に諦めないタフさ、というものもこの時に手に入れたと思っています。性格についての質問への答えで「自分はこう思うけど、他の考えを持っている人もいるはずと捉えることがよくある」と言いました。でも、よくよく考えてみたら、この性格は、日本コカ・コーラ時代のこの時の経験によって、より色濃くなったような気がしています。なにしろあの当時は何を説明しても最初は全て否定されるような勢いでしたから。。[13]経営者を志す者には、どのような努力や学びが必要でしょうか?
前の質問への答えにもつながってくるのですが、私自身は「自分に言い訳できないくらい、とことんやらないと脱出できない」状況に何度も身を置いて育ってきました。当時は好きでそうしたわけではなかったものの、今になって振り返ってみると、この経験のおかげで凝縮した成長というようなものを手に入れられた気がしています。
誰にも責任転嫁できない状況で、とことん考え抜き、そのプランを行動し、出された結果に責任を負っていく......こういう経験をするのは、サラリーマンの場合、難しいかもしれませんが、その気にさえなれば自分をこういう状況に近いところまで追い込んでいく手だてはあると思うんです。
そしてなぜうまくいったのか、なぜうまくいかなかったのかという理由をきちんと考える。他人が企画したプランをうまく実行することより、自分で考え、実行し、結果責任をとることのほうが、成功しても失敗しても最良の学びにつながると思います。[14]今までに影響を受けた先輩や師匠といえるかたはいらっしゃいますか?
本当に沢山の人から影響を受けていますが、その中でも特に影響を受けた恩師が5人います。
1人は一橋大学の竹内弘高先生(現 ハーバード大学経営大学院教授)。特に日本人として海外の人間と対等に仕事をすることの素晴らしさを教えていただきました。さらには神戸大学の石井淳蔵先生(現 流通科学大学学長)からはマーケティングという学問の面白さを、そして一橋大学の伊丹敬之先生(現 名誉教授)と当時一橋大学の学長だった阿部謹也先生(現 名誉教授)からは、物事の原理や構造を見つけることの面白さを教えていただき、大変感謝しています。
そして5人目が中学・高校の恩師、酒井敏正先生です。バレーボール部の顧問をされていた先生なのですが、とにかくチームプレイとフェアプレイの重要性を何度も口にしていました。当時は、さほど意識していなかったものの、自分がリーダーと呼ばれるポジションになってから気づいたんです。私自身がこの2つをメンバーに向けて強く発信し続けていることに。遅すぎるかもしれませんが、その時、心から感謝をしました。
恩師のほかに、私にはどうしても挙げておきたい存在があります。何度もお話をした日本コカ・コーラの炭酸飲料担当の時の上司と同僚たちです。先が見えずもがき苦しんでいたあの時期に、ロジカルなプレゼンテーションとはどういうものか、そしてチームプレーがどれだけ大事かを教えてくれ、支えてくれたこの方たちがいなければ、私はどうなっていたかわかりません。[15]キャリアの成功とは「計画的に努力して成し遂げるもの」でしょうか?
それとも、「偶然や人との出会いなど、運が影響するもの」だとお思いですか?
私の場合は、偶然やいろいろな人との出会いによるところが非常に大きいと思います。ここまでなんとかやってくることが出来たのは、いろいろな人に支えていただき、助けていただいたおかげであり、自分ひとりの力ではとても到達することが出来なかったと思います。そもそも「自分のキャリアプラン」など考えたことはありませんでした。だから何一つ計画的でありません。
ただし「計画」は持っていませんでしたが、「意志」は持っていたのかもしれません。「意志」とは何か、といえば単純なものです。「マーケティングが好きだ」「マーケティングで結果を出したい」......そういう気持ちのことです。私の場合、こういう意志を持ち続けていたことで、結果的に幸運や偶然を引き寄せることもできたのかもしれません。私のこういう経験が、皆さんの参考になるかどうかはわかりませんが、将来何が起こるかなんて誰にもわかりませんから、キャリアについては「細かく計画する」よりも「意志を持ち続ける」ことのほうが大切なのではないかと思います。[16]なぜ起業ではなかったのでしょうか?
ビジネスそのものより、マーケティングに興味があったからですかね。マーケティングの根幹の課題の1つであるブランディングは、「今ある既存ブランドのコンセプト(=本質)は何か」をさぐり、「それをどう消費者に伝え」、「どう成長させていくか」を考えることです。
マーケティングが大好きで、「新しいことを起業すること」よりも、「既存のブランドをどう成長させるか」のほうに興味関心が強かったからではないかと思います。ビジネス全般やマネジメントに興味が出てきたのは、経営の一翼を担うようになったつい最近のことです。[17]特別な信条やモットー、哲学などをお持ちですか?
信条は3つあります。
1つは「自分と同じ人間は一人もいない」です。過去の経験にせよ、そこで培われた価値観にせよ、家族や生活環境にせよ「まったく同じ人」など、この世にはいません。つまり、自分と人は「必ず違う」ということ。だからこそ、できるかぎり話を聞かせてもらって相手の考えを知ろうとするし、自分が説明するときには、出来る限り意味がぶれない言葉を選び、わかりやすい実例を挙げて説明するようにしています。
2つめは「チームプレイに徹する」です。私は「どんなに素晴らしくとも個人プレーは認めないよ」と常々周りに言っています。同時に「チームの中で自分がどう動くべきかを考えろ」というのを口癖のように言っています。皆がそういう気構えに徹して行動すれば、チームが機能して動き出します。優秀な個人のスタンドプレーよりも、結束したチームのほうが絶対に強い。それが私の信念なんです。
3つめは「公平に扱う」です。人間ですから、相性のいい人もあまり良くない人もいます。でもチームで何かを成し遂げようという局面では、個人の好き嫌いで判断すべきではありません。チームプレイで結果をもたらすためには、誰に対しても公平かつフェアに評価し、接していく必要があると考えています。[18]経営者となった今、何を成し遂げたいとお考えでしょうか?
成し遂げたいことは4つあります。
1つは、この先10年を見据えて、組織とビジネスモデルをトランスフォーメーションさせること。今のビジネスをきちんと守りつつ、新しい環境でも十分に成長と利益を享受できる組織に転換させることです。
2つめはこの会社を、20世紀フォックスの社員、そして一緒に働き協力してくれるメンバーが、胸を張って誇れる会社にすることです。
3つめは業界をリードする会社の1つとして、映像配信という新しいマーケットを豊かで芳醇なものに成長させていくことです。単に20世紀フォックスだけが業績を伸ばすのではなく、マーケット全体を健全に成長させ、エンターテインメント産業全体を活性化させ、結果的にお客様の生活をより豊かにしていくことです。
そして4つめは、日本のエンターテインメント産業の一員として、日本にいる優秀なクリエイターを世界の表舞台に送り出していくこと。今、私がいるポジションならば、それが可能なはずだと思っています。日本のエンターテインメント業界には素晴らしい才能もった人がたくさんいます。でも世界に出て行くチャンスは非常に少ない。だから今いるこの立場で、世の中に貢献していくことができるとすれば、こうした才能を世界中の人に届けていくことだと考えているんです。[19]現在のポジションを去る時、どういう経営者として記憶されたいですか?
「悪くなかったんじゃない?」とか「案外良かったね」くらいでかまいません(笑)。[20]20代、30代のビジネスパーソンにメッセージをお願いします
メッセージは3つです。
1つめは「何でもいいから、のめり込むくらい熱中してください」です。私の場合は、マーケティングがそれでしたけれど、別に何でもいいと思うんです。1つの領域なり、職種なりに没頭して、「これ以上できません」というくらい集中して経験を積み重ねていけば、それが強みになりますし、これを応用することで他の問題にも取り組んでいけるようになると思います。
2つめは「行動の前後に必ず考える習慣を身につけてください」です。特に「行動の後」というのが盲点だと思います。人はたいてい行動を起こす前には、あれこれ考えるものですが、ひとたび行動を起こして、結果が出てしまうと、あまり考えることなくやり過ごしてしまいます。
でも例えば「これって、なぜうまくいかなかったんだろう」とか「あの時、こうしておいたことが後々成功につながったのかもしれない」というように、行動の後でしか分析できないこと、考え抜けないことというのがあります。そこに次につながるヒントが豊富に隠されていたりします。ですから、行動の前と後に考えることを習慣化させることを強くお勧めします。
3つめは「英語は、やっておきましょう」です。日本市場の将来は、少子化などの要素があっても、やり方によって豊かなマーケットにしていくことは可能だと信じています。しかし、成長するのであれ縮小するのであれビジネスの世界はグローバル単位で動き始めています。
どういう会社にいても、日本のオフィスとアジアのオフィスとが連携して動く機会はどんどん増えます。アジア・パシフィックが一体となって大きなチャレンジをすることもあるでしょうし、全世界とつながってビジネスをすることも珍しいことではなくなり始めています。特定の企業がそういう傾向にあるのではなく、あらゆる企業がそうなり始めているわけです。
その中で、最も有効に用いられる言語が英語であることは間違いありません。今の20代・30代の方が経営者になるころには、今以上にビジネスのグローバル化が進行しているはずです。そこまでわかっていれば、英語をマスターしない理由などどこにもないはずです。
私からのメッセージはこの3つです。どれも今すぐチャレンジできることだと思うので、ぜひ前向きに取り組んでほしいと願っています。