[11]業界のプロとしての知見はいかがでしょう? やはり必要だとお考えですか?
あった方がいいと思います。私の場合は、P&Gの中でブラウンの事業を担当した時に「業界知見を持っていないことの苦しさ」を味わいましたが、この時の経験で得た知見が同じ家電業界であるダイソンでは活かすことができたと思っています。
誰もが1つの業界の中だけで生きていくわけではありませんから、「経験も知見もない業界で仕事をする」事態を迎える可能性があります。でも、過剰に恐れることはないと思います。「あった方がいい」に決まっていますが、なかったらなかったで対応することはできる。
私がブラウンに携わった時などもそうでしたが、「業界が違ったとしても、過去の仕事で培ったものを駆使すれば乗り切っていける」と思うのです。ポイントとなるのは、抽象化する能力。異業種で直面した未経験の事柄も、過去の経験を総動員して、そこで学んだ手法や発想に当てはめていくことさえできれば、解決の道筋は見えてくると思います。
[12]過去に体験した最大の試練やストレッチされたご経験について教えてください
おそらく、人よりもかなり多く困難に出会ってきたのではないかと思っていますが、その中でも最大の試練だったことといえば、2つ挙げられます。1つはP&Gに入社して、それまでの青レンジャーではいられなくなった時。もう1つはジレットとの合併後に参加したプロジェクトで50人中50番目の立場になってしまった時です。
常にギャップのある環境にいて、そこで努力をすることによってストレッチしてきた私でしたが、「50番目」の時は、結局最後まで「50番目の男」から脱出できませんでした。「49番目や48番目にさえなれなかった」のです。
もちろん、悔しかったです。けれども、後々になってこの試練がストレッチにつながっていきました。物事を客観的に受け止める能力や、楽観的に前向きに感じ取るメンタリティなどが、当時の経験をきっかけにして伸びたのだと捉えていますので。[13]経営者を志す者には、どのような努力や学びが必要でしょうか?
健康な身体と精神状態を保つこと。これはとても大切です。最高のコンディションを保っていなければ、最高の力など発揮できません。ですから、私はがむしゃらに努力をしている最中でも、眠くなったら寝ました。それでいいんだと思っていました。
努力の仕方について、もう1つ大切だと思っているのが「集中しよう」という意識をしっかりと持つことです。どんな仕事に就いていても、「やるべきこと」はどんどん増えていくはずです。ある意味、そうした複数の「やるべきこと」を同時進行でマルチタスクとして処理できるのが、優秀なビジネスパーソンの条件だと言われてもいます。
しかし、人間はともするとマルチタスクの中で集中力を失っていきます。「あれもこれもやらなければいけない」という気持ちが、1つひとつの仕事の質を落としている場合が多いはずです。そんな状態では「仕事を通じて学び取る」なんてことは難しくなります。
そう考えている私は今も、複数の仕事を進めながら、あえて意識的に自分をコントロールします。たとえば「今から15分だけは、他のタスクを忘れて、これ1つに集中しよう」というように。それが「仕事を通じて学ぶ」ためのコツだと考えています。[14]今までに影響を受けた先輩や師匠といえるかたはいらっしゃいますか?
今までに出会った人すべてに影響を受けたと思っていますが、特に大きな影響を与えてくれた方が2人います。1人はP&G時代の日本のプレジデント。もう1人は今のダイソンでアジア・プレジデントを務めている年下のインド人です。どんな影響を彼から受けているのかというと「現状に満足せず、さらに上を目指していく姿勢」です。
日本のダイソンは好調です。その伸びは世界数十ヵ国で販売を展開しているダイソンのグループ内でもピカイチだと言えます。内外のかたがたに褒めていただき、誇りにも感じています。もちろん、だからといって慢心はしていないつもりもあり、「もっと業績を上げていこう」と肝に銘じています。しかし、それでも人間の気持ちは脆いものです、どこか現状満足に陥ってしまいそうな部分も出てくるかもしれない。
そんな中、香港にいるアジア・プレジデントは「もっと結果を伸ばせるだろ」と尻を叩いてくれます。闇雲に厳しいわけではなく、ここをこうすればこういう成果があるんじゃないのか、というような突っ込みをしてくれる。ギャップのおかげで成長したような私には、彼の存在は本当にありがたい。常に「より高い目標」を私のマインドセットに注入してくれるのです。[15]キャリアの成功とは「計画的に努力して成し遂げるもの」でしょうか?
それとも、「偶然や人との出会いなど、運が影響するもの」だとお思いですか?
私自身がどうだったかというと、圧倒的に後者の部分が大きいと思います。しかし、やはり計画性は不可欠だと考えています。仮に運のおかげでチャンスが巡ってきても、そういう時のための努力というのをそれまで計画的に行っていなければ、チャンスをものにして飛躍することはできません。
ただ、若いかたに知っておいてほしいと思うのは「計画性を持って努力をしたら、それは必ず期待した通りに報われる」のかといえば、そうはいかないということです。「思い通りに報われるかどうか」はわからない。そんな現実があったとしても、それでも努力を続けるかどうか。そこに違いが生まれてくるのだと私は信じています。[16]なぜ起業ではなかったのでしょうか?
考えたこともありません。起業についてはそうだ、というよりも、私の場合は「経営者になるかどうか」も含め、イメージできていませんでした。とにかく目の前にあるギャップを埋めることに集中していたら、ありがたいことに今の状態になっていたんです。[17]特別な信条やモットー、哲学などをお持ちですか?
子どもの頃から読書好きだった私は、今もジャンルにこだわらず色々な本を読んでいますが、その中で知った大好きな言葉というのが2つあります。
1つはナポレオンが口にしていたという言葉。「現実を正しく見て、希望をもって伝える」です。良い事も良くない事も、とにかく正しく見て、正しく理解する。そのうえで、そういう現実に希望を添えて周囲に伝えていく、という意味だと思います。この言葉は、経営者という立場に就いた私にとって、非常に大きなメッセージです。
もう1つは、あるスポーツ選手が言っていたものらしいのですが、「『つらい』とは言わない。『困難』と言おう」という言葉。ナポレオンの言葉同様に、リーダーというものが前向きでいることの大切さを教えてくれます。[18]経営者となった今、何を成し遂げたいとお考えでしょうか?
2番目の質問の答えと同じです。「利益とシェア」、もっと端的に言えば、数字です。経営者の使命は単純明快「この会社を成長させること」なんです。成長を示す絶対的な尺度が数字なんです。ですから、今後もシンプルに数字を上げていくことにこだわっていきます。[19]現在のポジションを去る時、どういう経営者として記憶されたいですか?
「いい人だったな」と思われなくてもかまいません。「将来に向けての動きをスタートさせた人」という記憶を残すことができれば本望です。[20]20代、30代のビジネスパーソンにメッセージをお願いします
「同じ場所に居続けるな」というメッセージを贈りたいです。私の場合はラッキーでした。ダイソンに来る前はP&Gというたった1つの会社しか経験していませんでしたが、何年かおきに必ず大きな変化を経験することができました。会社は同じでも、居場所は常に変わってきたわけです。
居場所が変われば、誰だってそうでしょうけれど苦労をします。もとからその場所に居た人たちとうまくやっていかなければいけないし、その場所で必要とされる知識やノウハウや行動パターンを大至急で手に入れなければギャップを埋められない。
けれども、そういう努力こそが人を成長させるのだということを私は自分の身体で味わってきました。同じ場所に居続けることで初めて手に入る知識や能力もあるでしょうけれど、同時に、居場所を変えずにいるリスクというのも存在します。居心地の好い環境から一歩踏み出すことでしか手に入らない収穫というのもあります。
ですから、もしも私と違い、「居場所を変える」ような経験をしないで済んできた人がいるのなら、自分から転職をしてみたり、というように変化を起こしていくことをお勧めしたいと思います。居場所を変え、初めて味わうギャップと向き合う経験。その価値を知っておいてくれれば、それは必ず経営者になる上で役に立っていくと思います。