「プロ経営者」になる。〜経営者インタビュー〜

画像:岩下 充志 氏

岩下 充志 氏

本格上陸からわずか数年で、日本でもユーザー数を増やし、定着・浸透したFacebook。このソーシャルメディアの代名詞が日本でもいよいよ次の成長段階を迎えているという。
そして、その成長の牽引役としてトップに選ばれたのが岩下充志氏だ。電通、BCG、マクドナルドというように多彩な経歴を持つ岩下氏とはどんな人物なのか? どんな経営を志す人なのか?
当のご本人が飾らずストレートに答えてくれた。

岩下 充志 氏
Facebook Japan 代表取締役
http://www.facebook.com/FacebookJapan

1968年、長崎県生まれ。東京大学教養学部卒業後、電通に入社。米国CBS(コロンビア大学ビジネススクール)にてMBA取得後、2002年よりボストン コンサルティング グループへ。5年間の在籍中にマネージャー職を務めた後、2007年日本マクドナルドに入社。執行役員CMOとなって同社のマーケティング展開を担った。2010年にはブランド・コンサルティングのインターブランドジャパン社長に就任。そして、2013年5月よりFacebook Japanへ。


(※現在は退任されています)

[1]自己紹介をお願いします。

私は電通での約10年近くが社会人としての出発点なのですが、「そもそもなぜ電通に?」と尋ねられても、あまり立派な答えはなくて「楽しそうじゃないか。それにモテそうだ」という程度の動機でした(笑)。ところが入社早々に営業部門に配属されると、いきなり大きな案件の担当になりました。当時、オープンしたばかりのハウステンボスです。日本中で話題になるほど注目されたこのテーマパークは、広告においても大きな資金を投じていたのですが、いきなりそのプロジェクトの担当者というわけです。私が長崎の佐世保出身だったから、というのが大きかったようですが(笑)、ともあれ電通時代には早くから大きな仕事を経験し、広告営業マンとして足腰を鍛えてもらったと思っています。

大企業をはじめとするクライアント企業の経営者のかたがたにもお世話になったのですが、あるとき、懇意にしていただいていた流通業界大手の常務さんに声をかけられました。経営上の相談事があったようなのですが、声をかけてみてから私がどこの人間なのかを思い出したらしく「あ、でも岩下君は電通の人だったね。それじゃあ、あれだね......」と言われ、話はそこまでで終わってしまったんです。これが大きな分岐点になりました。広告という領域、あるいは営業という仕事においては、それなりに自信も持ち始めていましたが、「そうか。自分には経営に関わる事柄について何も知識がない。このままじゃいけない」と強く思い、それが私をビジネススクールへの派遣制度に向かわせたんです。

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CBSへ入学したのは32歳の時。帰ってくる時には34歳になっていました。帰国後、経営計画室という部門に配属となり、留学の成果を活かしていくチャンスをもらったのですが、年齢のこともあって焦りを感じていました。本当に経営のことを吸収するにはスタートが遅かった。もっと集中的に自分を鍛えなければ後悔する、と思いましたし、今動かないと動けなくなる年齢にさしかかっているような気持ちもあったのです。それで留学中から声をかけてもらってもいたボストン コンサルティング グループ(BCG)への転職を決めました。

こういう理由で転職したわけですから、最初から「ここ(BCG)は道場だ」と思っていました。言い換えれば「しっかり鍛えてくれる道場だ」と思ったからBCGへ行ったわけです。約5年いましたが、土日の両方を休んだのは5回くらいしかありませんでした。お客様の経営課題に深く入り込み、その解決策を探り、実行していく、という鍛錬を短期間で濃密に重ねていくうち、マネージャー職になったのですが、「その上の位置」、つまりパートナーになることを目指そうとはしませんでした。「コンサルタントとして経営に関わる」のではなく「自分で経営の仕事をする」ことに強く惹かれるようになっていたんです。

ちょうどそのタイミングで「マクドナルドが人を探している」と聞き、門をたたきました。運良くトップの原田泳幸さんと同郷だったこともあったのでしょう、希望通り入社をはたし、CMOとしてマーケティング領域の仕事を任せてもらえることになったのです。

経営陣の一翼を担う仕事はもちろん初めてでしたが、すんなり入っていけました。原田さんには本当にいろいろと学ばせていただきました。それでも意見の対立はあります。「だったら自分がトップになればいいじゃないか?」と考えるようになりました。そうして、次のインターブランドジャパンの社長という仕事へと移りました。

成果を上げた自負もあり、不満といえるようなものは抱いていなかったのですが、「Facebookがジャパンの新しいトップを探している」という話を聞き、大いに魅力を感じたのです。「きっと自分よりもずっとすごい人が就任するんだろうな」と思いつつ、手を挙げてみたら選ばれてしまった(笑)。だったら本気でこの新しい場でやってみようと決意し、今に至っています。

[2]現在のご自身の役割について教えてください

あまり知られていないようですが、Facebook Japanのメンバーは数十人規模。Googleの日本法人がおそらく千人規模であることと比べてもわかる通り、まだまだ成長途上にある小さなチームです。それでも第2の成長段階を迎え、ビジネスを大きくしていく局面に入りました。私が今回招かれたのも、この第2の成長局面をリードする役割としてなのです。

そもそもFacebookは、グローバルの各エリアで常に2段階の成長プロセスを踏んできました。初期段階は、そのエリアで圧倒的なユーザー数を獲得するのが目標。2つめの成長段階の目標はというと、マネタイズを確立すること。日本は今、ようやくその段階に入ったところなんです。マネタイズを進めていくうえで大きな部分を占めるのがマーケティングです。広告のあり方やメディアとのコラボレーションなど、様々な可能性を模索しながら、日本というエリアでどうすれば収益を強化できるか考え、実行して、結果につなげていく。それが私に課された役割であり、責任です。

[3]小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう?

神童でしたね......というのは冗談ですが(笑)、成績は良かったです。では勉強熱心な子だったのかというと、そうではないんです。そもそも両親が教師でして、父親が数学で母親が英語の先生。しかも、家に子どもを集めて勉強を教える塾のようなこともしていましたし、そこで勉強していた2つ年上の姉になついて一緒にいるうちに、いつの間にか上の学年で習うようなことまで覚えていた。そうした「門前の小僧」的な環境がいいように作用したのだと思います。ですから勉強、勉強とガリガリやっていたわけではなく、運動も好きでリレーの選手をしたり、中学・高校とバレー部で一所懸命励んだりもしていました。結果的に「勉強ができて運動もできる子」と捉えられ、友だちのお母さんがたには非常に評判のいい子でしたよ(笑)。

[4]高校、大学時代はいかがですか?
リーダーシップの芽生えのようなものはあったのでしょうか?

高校や大学の頃に何かリーダーシップにつながるような経験をしたのか、というと、特にそういうことはありませんでした。大学の頃はバブルの時代ですし、企画系のサークルをやっていたりはしましたが、だからといって特別にリーダー的な役割をはたしていたわけでもありませんでした。勉強もそこそこしたし、遊びもまあ普通に楽しんでいた学生、というところでしょうね。

ただ、私は大学在学中にいろいろ変遷がありまして、もともとは東大の理科2類に入学したのですが、入ってみてから「文系がいい」と心変わりをして教養学部に移りました。なぜ教養学部だったのかというと、国際関係論や地域研究(アメリカ科、ロシア科等)といった国際色豊かなところに魅かれたからです。アメリカ科で学ぶと、アメリカに「行って生活してみたい」という考えが強くなり、奨学金を得て(アメリカの学費は高いですから)1年間のアメリカ留学を実現し、帰国してから就職をしました。今思えば、この時期に留学していたおかげで英語は話せるようになりましたから、その後に役立ってはいます。

[5]ご家族やご親戚に経営者はいらっしゃいますか?

先に申し上げたように両親は教師でしたし、親戚を見渡しても経営者はいませんでした。

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