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プロ経営者インタビュー

伊藤 嘉明 氏

[2]現在のご自身の役割について教えてください

2012年の会社設立以来、ハイアールアジアでは組織や人員の移行を進めていました。そして、それが一定水準で整備され、いよいよ勝負の時となったタイミングで私は来ました。

日本およびASEAN地域で製造・販売・企画担当者が6500名が在籍するチャレンジ集団のトップを任され、10社の関連企業のPLも委ねられました。果たすべき役割は単純明快、事業の黒字化とブランド価値の向上です。

[3]小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう?

バンコクにある日本人学校へ通うごく普通の子どもだったと思います。成績も普通でした。英語と美術と体育だけは成績も良かったですし、自分でも好きでしたが、時間があれば野球ばかりしている子どもでした。

[4]高校、大学時代はいかがですか?

リーダーシップの芽生えのようなものはあったのでしょうか?

高校からはバンコクにあるインターナショナルスクールに通いました。すぐに思い出す事柄は2つ。1つはあいかわらず野球に夢中だったのと、モテたい一心でバンドを組んでいたこと(笑)。もう1つの忘れられない思い出は、得意だったはずの英語がネイティブから見れば幼稚園児レベルでしかなかったことを思い知らされたことです。

米国の大学に進学した後は、学生寮で生活していたわけですが、毎晩のように英語によるディベートを同級生たち相手に挑んでいき、「俺はおとなしくしている『壁の花』とは違うんだ」という気概でいました。

リーダーシップについては、あまりピンときませんね。野球チームでサブキャプテンを任されたり、自然と人の輪の中心にいることが多かったような気もしますが、当時は特に強く意識していなかったと思います。

[5]ご家族やご親戚に経営者はいらっしゃいますか?

父はタイでモータリゼーションを起こした経営者でした。それもあって、私はバンコクで生まれ育ちました。自動車への愛着も父からの影響あってのことかもしれませんが、何より影響を受けたのは経営者としての姿でした。

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小さい頃、正月も休まない父を見て「経営者って忙しいんだな」と認識をもっていました。ともかく厳格な人でしたから「怖い」という気持ちもありました(笑)。しかし、私も成長して、父の様子を少しは冷静に観察できるようになると、驚くほど周りの人をフォローし、サポートしていることがわかってきました。そこまでやるのが経営者なんだ、と教えられたつもりでいます。

また、父が語りかけてくれた言葉のいくつもが、今の私を支えてくれています。たとえば、あらゆる人をフォローしているのに、父がいつも孤独な様子でいるのに気づき、問いかけてみると「山と同じ。上へ行けば行くほど、空気は薄くなる。孤独なのは当たり前だ。それがわかっていても上るのが経営者なんだ」という答えが返ってきました。忘れられない言葉の1つです。

[6]ご自身の性格について教えてください

もともとは優柔不断な子どもでした。いや、実を言えば今でもそういう面があります。レストランに行っても、なかなかメニューを決められなかったり(笑)。ただし、そうして今も残っている優柔不断さは、ごくプライベートな場面だけ。それ以外の局面では、優柔不断とならないように無理矢理に性格を変えました。たぶん高校生くらいの頃から、そうしていきました。理由は「強く生き抜いていくため」。「なにくそ」です。

私はハイアールアジアの社長就任時、社員の皆に5つのキーワードをこれからの指標として伝えました。「Change(変革に慣れろ)」「Speed(Roughly Right)」「Bad news first(悪いニュースを最初に伝える)」「Ownership , Leadership(責任感やリーダーシップを全員が意識していく)」「Performance Culture」です。

この中にあるRoughly Rightを自分にも言い聞かせ、「100%でなく、60%程度の正解・正確さだったとしても、信念を貫き、スピードを持って前に推進する」ように心がけています。そうすることで、仮に間違っていたとしても、ほかよりも早く取り組んでいる分、修正する時間もあり、結果的にはより的確に対応することが可能になります。このようにブレずに信念を貫き通すようにしています。

[7]いつ「経営者になろう」と思われましたか?

父の影響もありましたから、かなり早い時期からだったと思います。ただ、「経営者になりたい」という気持ちよりも「アジアの現状を何とかしたい。良くする方向で貢献したい」という気持ちが強烈に胸の内にありました。

見方によれば、子ども時代バンコクにいた私は「有力経営者のお坊っちゃま」だったかもしれません。車で送り迎えをされたりしているけれども、車窓から街中を見ると、当たり前のように裸足で物乞いをしている同年代の子どもがいたりする。「おかしい。この格差はなんだ? 何とかしなきゃ」と、子ども心にも思っていました。「アジアの多くの人たちは、もっともっと豊かにならなければいけない。そこに貢献したい」と、今に至るまで思い続けています。

[8]経営者に必要なメンタリティ、スキル、経験とは何でしょう?

少し前の質問でもお答えしたように、ブレないこと、信念を貫き通すことが経営者には不可欠だと考えています。そのためには強いメンタリティも必要ですし、苦難を切り抜けるためのさまざまなスキルや経験も問われてくると思います。

私の場合、「不可能と言われていることを可能にする」ことに燃える気質を持っていましたから、変革が求められている事業や使命の矢面に立つことが多くありました。そう簡単にうまくいくはずがありません。しかし、うまくいかない中、それでも信念を曲げずに突き進めるかどうか。その力こそが必要だと考えています。

[9]他に経営者に必要な資質や能力などありますか?

前の質問への回答にもつながりますが、孤独な境遇や人から嫌われることを厭わない姿勢です。「信念を貫く」と口で言うのは簡単ですが、いざ本当にそうしてみれば、実行するのがいかに難しいかわかります。逆風にさらされたり、人から嫌われたりすることなど珍しくありません。それでもなお、貫き通せるかどうか。

もちろん「これで本当に正しいのか」を常に考えていくことは必要ですが、そのうえでなお「これが正しい」と信じ、貫いていけるかどうか。それこそが重要な資質。もちろん「単なる嫌われ者」で終わるか、「初志貫徹の変革者」になれるかは、結果で判断されます。結果を導くだけのスキルやパワーも必要です。

[10]これらのスキルなどをどこで手に入れたのでしょうか?

冒頭の自己紹介でも話しましたが、これまで在籍してきたすべての会社で、「無理」といわれている局面に立ち、そうした周囲の声をひっくり返してきました。そういう闘いの中で、私は力をつけてきたのだと思います。ただし、もとをただせば15〜16歳の頃が出発点だった気がします。

タイのインターナショナルスクールに通っていたとき、英語がうまく話せずにいた数人の生徒を外国人の先生が冗談で「スシ・ボーイ」と呼び、つたない英語を揶揄された状況。そこで闘志に火がついて逆境をはねのけていく人生がスタートしたと思っていますし、その連続が私を育ててくれたのだと感じています。

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