[11]業界のプロとしての知見はいかがでしょう? やはり必要だとお考えですか?
最初は持っていなくてもいい、と私は思います。ただし、大切なのは「理解したい。理解しよう」という気持ちと姿勢を持ち、実際に行動で示していくことです。どんなに頑張っても、この道何十年というような業界のプロの知見にはすぐに追いつけないかもしれませんが、「理解したい」という姿勢を心から示すことで、そういうエキスパートたちからの信頼を得ることは可能になります。
ミニット・アジア・パシフィックでいえば、靴修理のエキスパートは社内にたくさんいます。この人たちの力を抜きにして経営の仕事は成り立ちませんから、信頼をつかみ取るための当然の姿勢として「理解したい」の気持ちを行動で示すように私はしています。
[12]過去に体験した最大の試練やストレッチされたご経験について教えてください。
どうしても忘れられない試練が3つあります。最初に経験したのは大学時代です。とにかく勉強を一切しなかった人間が、急に勉学の面白さに気づいたわけですから、そう簡単にうまくいくわけもありません。必死で毎晩遅くまで勉強しても、思うように吸収できなくて何度も心が折れそうになりました(苦笑)。
2度目の大きな試練はマザーハウスに入って2年目くらいの頃に経験しました。「面白い」という思いから転職をしたわけだし、多少の苦労は喜びにしか感じなかった、というのも事実ですが、世の中はそんなに甘くありません(笑)。頑張っても、頑張っても結果が出ない時期を迎えてしまい、暗中模索の中で空回りしていた時代でした。
すでに歴史と実績があって経営が安定している企業にいたならば、「既存のしっかりした仕組みのもとで成果を上げていく」努力をすれば報われたはずです。けれども創業期のベンチャーにそもそも「実績ある仕組み」など存在しません。仕組みもセオリーもない中で、戦い方を自分で考えながらもがくしかなかった時代でした。しかし、これが私を大きく成長させてくれた、と今ではありがたく思っています。
3度目の大きな試練は、まさに今です。入社して海外担当の本部長だった頃は、のびのびと仕事をしていたのですが、やはりトップに立つということは、それとはまったく違います。
もちろん、これを乗り越えることが自分をさらに大きくしてくれると信じていますし、乗り越えられたならこの会社をさらに良くしていくことが十分可能なんだ、という確信もありますから、チャレンジできることを喜びとして受け止めています。[13]経営者を志す者には、どのような努力や学びが必要でしょうか?
できるだけ早く経営の仕事に関わること。これが何よりの学びになると思っています。自分自身が体験してみて実感したのが「経営という仕事は非常に特殊だ」ということです。「早すぎる」ことはありません。何らかの方法で経営に関係する立場を手に入れ、経営者の一人として仕事に向き合っていくことができれば、そこから今までにないような学びを得ていけるはずです。
「何らかの方法で、と言われても」と思う人もいるかもしれませんが、不可能ではないはずです。一般的な事業会社にいるのならば、誰よりも早くそういう責任を背負えるように駆け上がっていくこともできるでしょう。「時間がかかる」というのなら、系列子会社への出向を願い出て、そこで経営陣の一角を担えるように努力するような手法もあるはずですし、ベンチャー企業へ転職をするという選択肢もあります。
現場での仕事から学んでいくことも当然重要ですが、それだけでなく「どうすれば経営者的な立場で仕事ができるか」を考えてみて欲しいですね。[14]今までに影響を受けた先輩や師匠といえるかたはいらっしゃいますか?
2人います。1人はマザーハウス社長の山口絵理子さん。「リーダーとはこうあるべきなんだ」ということを身を以て示し、数々の教訓を言葉ではなく行動で私に与えてくれたかたです。時には狂気さえ感じるほどの情熱をもって仕事と向き合っている。その情熱が自分個人のためでなく、会社や会社を取り巻く人たちに向けられている。そして、目を見張るほどの動きの速さが山口さんにはあります。
マザーハウスと出会う寸前まで学者志向だった私は、毎日驚かされていました。動きの速さについて言えば「同じ打率のバッターが2人いるならば、数多く打席に立って、数多くバットを振った者のほうがより多くのヒットを放つことができる」という当たり前のことに気づかせてもらいました。以来、私もこの動きの速さを肝に銘じています。
「最短5分間で靴を磨く」というクイックサービスを全国の店舗で実施するまでに数ヵ月しかかからなかったことが、報道などでも取り上げていただきましたが、これも1つの動きの速さ。もちろん実現できたのは各店舗の社員が前向きに取り組んでくれたからですが、「歴史ある大企業にクイックな動きは無理」などという固定観念をかんじんの経営者が抱いていたら実現できなかったと自負しています。
もう1人、多大な影響を受けたかたはリヴァンプの澤田貴司さんです。世の中にはびっくりするほど頭のキレる経営者もいらっしゃいますし、短時間で経営の問題点を見つけ出して解決策を提示できるようなコンサルタントもいらっしゃいますが、澤田さんは、そうした要素をすべて持っているだけでなく、エンドユーザーとダイレクトに接していくBtoCの現場を知り尽くし、難しい課題を成功に導いてきた実績も持っています。
クリスピー・クリーム・ドーナツしかり、ロッテリアしかり。理屈や理想論だけではどうにもならないこのビジネスで成功をされてきただけに、ハッとするような気づきを現在進行形でもらうことができ、とても勉強になっています。[15]キャリアの成功とは「計画的に努力して成し遂げるもの」でしょうか?
それとも、「偶然や人との出会いなど、運が影響するもの」だとお思いですか?
両方だと思います。チャンスというものの多くは偶然によってもたらされる傾向が強いように感じているものの、そうして巡ってきたチャンスを本当に前進するための機会としてつかみ取るには、一定の力が必要になります。チャンスを真の機会としてモノにしようと思えば、それまでにどれだけ努力して自分を高めてきたかが問われる。結局、運も努力も両方ないと駄目だと私は思うわけです。
今、これほど大きな実績を持ち、他の追随を許さない独自性を持ち、数多くの人が従事している企業でトップに立てるチャンスをもらえた私は、運が良いのだと思っています。ただし、だからといってこのチャンスを今後の私が結果に結びつけることができなければ、「機会をつかみ取った」ことにはなりません。ですから、今こそ私は努力のほどを問われているのだと考えているんです。[16]なぜ起業ではなかったのでしょうか?
実は大学在学中に友人と組んでビジネスプランを練り上げ、会社設立まで実行した経験があります。超小型の衛星を打ち上げ、それを用いて発展途上国の社会問題解決につなげていこう、というプランでした。「それなら起業をしたことがあるんだ」と思われるかもしれませんが、そうとも言えません。
お恥ずかしい話ですが、当時私たちが考えていたプランはキレイにまとまってはいたものの実効性が希薄で、結局ビジネスを実際に始める前に頓挫してしまったんです。その後、創業間もないマザーハウスにいましたので、創業期のベンチャーを体験することはできましたが、これについても「ゼロから会社とビジネスを起ち上げて、動かし始めた」わけではありませんので、「起業を経験した」とは言えないと思っています。
では、起業しなかったことに理由があるのかと問われれば、「どうしても実現したい」と思えるアイデアと巡り逢わなかったから、としか言いようがありません。なにより今の私には起業とは別の「どうしても成し遂げたいこと」があります。それは「誇りの持てる雇用を創り上げること」です。[17]特別な信条やモットー、哲学などをお持ちですか?
格言などを座右の銘にしたりはしていません。ただ、いつも信条として胸に抱いているものが2つあります。1つは「可能性はいつでも誰にでもあるんだ」ということ。高校までろくに勉強をしなかった私でも、UCLAに入学できたし、三菱商事にも入社できた。マザーハウスでは台湾に販売拠点を作るような大仕事をさせてもらえたし、今ではこんなに魅力あるグローバル企業の社長を任せてもらっています。
不可能なことなんてないんだ、と心から思っていますし、そう思いながらこれからのビジネスに結びつけていきたいと思っています。
もう1つは「雇用って素晴らしい」という気持ちです。先の話にも出たように世界中に「誇りの持てる雇用」というのを創造していくことができたら、とずっと心に期しています。
たとえば貧困問題などで注目されてきたバングラデシュには、世界中からさまざまなNGOなども集まり、数々のトライが繰り返された結果、教育事情はきわめて良い状況になってきました。多くの人に教育が行き渡るのは素晴らしいことです。
しかし、まだ問題は解決していません。高度な教育を受け、能力も身につけた彼らのもとに有効な雇用機会が与えられるようにはなっていないからです。世界をより素晴らしいものにしていこうと願うならば、すべての人が誇りを感じられるような職業に就く必要があります。その部分について、ビジネスを実行する立場から何とか貢献していきたい。そう考えています。[18]経営者となった今、何を成し遂げたいとお考えでしょうか?
これも2つあります。そのうちの1つは、先ほどから再三お話ししている「誇りの持てる雇用を生み出す」ことです。もう1つの目標は、この会社を「世界を代表する職人によるエクセレントカンパニー」にすることです。
私は「店員」ではなく、あえて「職人」という呼び方を好んでしているんですが、ミニット・アジア・パシフィックの素晴らしさは、多数の正社員の職人たちによって価値が創り出されているところにあると信じています。ITなど先進技術の進化によって、いわゆる職人が自身の手を動かして何かを生み出していくような場面というのは世界的にも減少しています。これは事実です。
しかし、研鑽と経験を積み重ねた職人にしか達成できない仕事というのはまだまだたくさんあります。ミニット・アジア・パシフィックにも価値ある技術を体現してる職人がたくさんいる。この人たちがいるから可能になるビジネスというのがある。これを一層成長させ、世界でも稀に見るエクセレントカンパニーにしたいんです。
もしもこの願いが成就すれば、最初に挙げた「雇用創成」にもつながります。ですから、以上の2つを今後も徹底的に追求していく気でいます。[19]現在のポジションを去る時、どういう経営者として記憶されたいですか?
お客様や社員をはじめ、あらゆるステークホルダーの皆さんが「迫はこの会社を現場中心の血の通った本当の意味で良い会社にした」と捉えてくれたなら嬉しいです。[20]20代、30代のビジネスパーソンにメッセージをお願いします。
繰り返しになりますが「可能性は誰にでもある」と信じ、前に進んで欲しいと思います。
28歳でこの大きな会社の社長に就任した私のことを「早すぎる」と思って見ている人が世の中にはいるだろう、ということは承知しています。自分でも、まだまだ学ばなければ行けないことがたくさんある、と自覚してもいます。しかし、だからといって自分自身を「早すぎた」と思ってはいません。
先にもメッセージとしてお話しましたが、経営という仕事は特殊です。実際にやってみて初めてわかること、というのがいくつもあります。だからこそ皆さんにも「できる限り早く経営の仕事を手にしてください」と申し上げたわけです。
今、私は嬉しいことにその立場にいます。ストレスを感じてもいますが、早いタイミングでこのチャンスを得たことを100%喜んでいます。今後は多くの若い経営者が生まれていって欲しいと心から願っています。
年齢だけに限らず、とにかくネガティブだと思われている要素を気にすることなく「自分には十分可能性がある」と信じることができれば、そしてその気持ちを行動につなげていくことができれば、必ず今よりも多くのプロ経営者が日本にも生まれてくると思っています。