「プロ経営者」になる。〜経営者インタビュー〜

画像:上沢 仁 氏

上沢 仁 氏

医療界におけるビッグデータ活用の時代が今まさに開花しようとしているが、日本医療データセンター(JMDC)は2002年の設立時より、この領域をリードしてきた存在。
次代のヘルスケアを担う集団として一躍注目と期待を集めている。そして2014年、このJMDCの新社長に就任したのが上沢仁氏だ。
農林中金、マッキンゼーなどを経て、同社の経営者となった上沢氏はどのようなビジョンを持って、この注目領域での躍進を成し遂げようとしているのか?経営者としてのこだわりや価値観は?
いつもの20の質問を通じて、語ってもらった。

上沢 仁 氏
株式会社 日本医療データセンター
代表取締役社長
http://www.jmdc.co.jp/

1969年、広島県生まれ。慶応義塾大学経済学部を卒業後、農林中央金庫に入社。約12年間の在籍期間中、東京、ニューヨーク、ロンドンにて主に資金為替業務を担当。その後、米国カーネギーメロン大学のビジネススクールにてMBAを取得。2004年、マッキンゼー・アンド・カンパニーへ参画すると、ヘルスケア業界でエンゲージメントマネジャーとして多様なプロジェクトに携わった。その後、医療データのグローバル企業であるIMSヘルスにて新規事業立ち上げに携わった後の2014年7月、日本医療データセンターへ副社長として入社。同年10月、社長に就任した。

[1]自己紹介をお願いします

これを読んでくださる方は若い人が多いとのことで、私のキャリアの前半を中心に紹介します。

私が大学を卒業する時、経営者になりたいという思いは単なる憧れレベルのものでした。社会全体を見渡す広い視野を得られそうという、今となっては浅はかな理由で銀行業を志望したものの、1992年当時の大手銀行というのはバブル時代を経た特有の社風があって、個人的にはどうしても馴染める気がしませんでした。

結局、大学で環境経済学と農業経済学を専攻していたこともあって、農林中央金庫に入りました。農林水産業の発展を使命とした銀行ですが、国内有数の機関投資家という側面もあります。配属されたのは東京本店のトレーディング部門でした。そして、東京本店、ニューヨーク支店、ロンドン支店をローテーションしながら、10年間この業務を続けました。

トレーダー時代は激しい毎日でした。特に若いころに担当したある商品は、全て銀行同士の相対取引だったのですが、東京市場を動かせるほど大規模に取引していたのは農林中金を含めて5行程度しかいません。お互いの行動はすぐに察知されるので、値動きはMBAの授業で習うようなランダムウォークではなく、情報戦と心理戦で勝負が決まります。

相対取引は申し込まれたら断ることができないルールです。売りたいのに買わされる、買いたいのに売らされるといった相対取引を1日に100回くらい繰り返します。最初は他行からボコボコにされる毎日で、相対取引が怖くてしょうがなかったですが、やがて他行に反撃できるようになり、そうこうするうちに、市場関係者の投票による東京市場のベストチームに選ばれるまでになりました。

この経験は経営職を目指す上では最短距離ではなかったかもしれませんが、おかげで「攻める時」「攻められても我慢する時」「あきらめて逃げる時」といった戦術判断力や、心理戦での捨て身の大勝負といった極意が少しは磨けたような気がします。これはたぶん、他の経営者はなかなか持っていない私の財産です。

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ただ、私は専門的な能力を深く深く極めていくことより、もっと全方位的な能力を使う経営職の仕事に魅力を感じるようになっていました。当時、カルロス・ゴーン氏が日産のV字回復を実現させましたが、文句なしにすごいと感じました。

そのため、マネジメント力を磨きたいという思いが強まり、米国のカーネギーメロン大学で2004年にMBAを取得しました。コンピューターサイエンスやロボティクスに強みのある学校で、意思決定やマーケティング戦略も定量的にアプローチする授業が充実しています。私は文系ながらデータをいじるのは昔から好きで、専攻したデータマイニングやディープラーニングはとても楽しかったです。

MBA卒業後に入ったマッキンゼーでは、ヘルスケア業界を担当しました。そこでは、なるべくオペレーション改善や組織改善プロジェクトを担当するようにしました。この頃には、将来は事業会社の経営者をやりたいという思いが明確になっており、これらのプロジェクト経験が役立つと考えたからです。

戦略コンサルティング会社では事業戦略やマーケティング戦略といったプロジェクトが人気なのですが、私の思いとしては、それらは少数の頭の良い人がロジカルに考えれば何とかなる領域なのに対し、オペレーションや組織の改善はもっと人間くさくて感情的な領域であり、大勢の人を巻き込んで動かすには現場経験の積み重ねが重要でした。

マッキンゼーで5年勤めるうち、いよいよ事業会社で経営者を目指したいとの思いが強まり、IMSジャパンに転職しました。IMSは幾種類もの医療データを扱う医療データのデパートみたいな会社で、米国を本社として全世界で3000億円くらいの売上規模です。ここでは新規事業を担当しました。1年目は体力の限界まで働き続けるかんじで何とか事業がテイクオフし、2年目以降は事業拡大のピッチが上がっていきました。新規事業の立ち上げというのは苦しいながらも楽しい仕事です。事業戦略の立案から、マーケティング、顧客営業、プロセスデザイン、人を雇って組織拡大まで全部手掛けることができたのは幸運でした。

そして、IMSで5年勤める頃には、事業も安定成長フェーズに移行して一段落した状況となりました。そんなタイミングで日本医療データセンター(JMDC)との話があり、迷うことなく即断し、現在に至っているわけです。

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