[11]業界のプロとしての知見はいかがでしょう? やはり必要だとお考えですか?
結論を先に言えば、必要です。「必要なんだ」と思っておくべきです。それくらい「業界のプロとしての知見」には価値があります。
そうお答えした上で、「じゃあ持っていなかったらどうすればいいのか」についてお話したいと思います。実際、私もモルソン・クアーズに来るまで、ビールや飲料の販売事業について知見を持っていませんでしたし、アクセンチュア時代はプロジェクトのたびにクライアントが変わりました。P&Gでもまったく異なるカテゴリーを担当してきました。「その業界の知見」を深く知っていない中、どんな風に切り抜けてきたか、について参考にしてくれればと思うんです。
先の「経営者に必要なスキル」についての質問に、私は「何か1つ、自分のよりどころになるものがあればいい」と答えました。まさにこれで私は「業界知見のなさ」を切り抜けてきたんです。
アクセンチュアで私なりにつかみ取ったスキルの1つに「物事を概念化して問題解決につなげる」というものがありました。コンサルタントという仕事は、このスキルをフル回転させるものだからです。担当のプロジェクトが変われば、お客様も変わる。まったく経験のない業種を担当することもあります。それでも多くのコンサルタントがお客様の経営課題を抽出し、その解決策を提案するところまで持って行けるのは「概念化」のスキルがあるからです。
ところがP&Gに転職すると、すぐに難局に突き当たりました。私の「語学スキルの低さ」がグローバル企業での活動における壁になってしまったのです。当時からP&Gでは「日本人同士であってもビジネス・コミュニケーションは英語で」という風土がありました。外資系のアクセンチュアにいたとはいえ、通常の業務は日本語でこなしていましたので、私には高度な英語力が備わっていませんでした。さあ困った(笑)。会議に出ていても何を話しているのかサッパリわからない(苦笑)。
人によっては、同じ局面に遭遇しても「英語を猛勉強してキャッチアップしました」となるでしょうけれど、私はちょっと違いました。英語の勉強がイヤだったわけではありませんが、「今大事なのは英語を勉強することよりも、自分が持っている能力をすぐにでもこの会社で活かすことだ」と考えたんです。
そこで、英語に堪能な人間を拝み倒して「いったい何を話し合っているか教えてくれ」とお願いしたんです。それさえわかれば、概念化していくことはできる。「問題の根源はここにあるのだから、こういう解決策を講じるべきだ」というような内容を発言していくことが可能になりました。そうして「欠けているもの」を「持っているもの」で補いながら、やってきたのです。
ただし、「こうすべきだ」と自分の意見を主張する時も、英語ではうまく話せませんから、P&Gのルールに従わず、日本語で話したりしましたが(笑)。P&Gは素晴らしい会社です。何語で話しているかよりも、提案の内容の善し悪しを重視してくれて、おかげで「業界知見のなさ」を少しずつ埋めていくことができたんです。
「頑固」な私にしかできない少々強引なやり方を真似してほしいとは言いませんが、1つの事例として受け止めてくれたら嬉しいです。何か自分に欠けているものがあった時は、それを努力で埋めていくことも大切ですが、ビジネスの最前線は個々の成長を待っていてくれません。今自分が持っている違う能力を活用すれば、欠けているものも埋められる......という発想や行動パターンというものを皆さんも心がけてくれるといいな、と思うのです。
モルソン・クアーズに入ったばかりの頃、私にはビール業界についての知見がまったくありませんでしたが、やはり「自分にできること」を駆使することで、この会社に長年いて深い知見を持っている頼もしい幹部や社員にサポートしてもらいました。そうして難局を打開しているプロセスの中で、少しずつ業界知見をキャッチアップしていったんです。
[12]過去に体験した最大の試練やストレッチされたご経験について教えてください
たった今お話ししたP&G時代のエピソードが、私にとっては最大の試練の1つでしたし、同時にキャッチアップにつながる機会だったといえます。でも、振り返ってみればアクセンチュアでも同じような試練がありました。入社時のトレーニングでシカゴに派遣された頃も英語力に難あり、でしたので語学力の高い人間を頼みの綱にして切り抜けていきました。
ですから先のP&Gのエピソードなどは、アクセンチュア時代の切り抜け方を思い出して、再び実行した事例ということになります。語学の才能のある人ならば、2度も同じような強引な真似をしなくて済んだのでしょうけれど、そのへんは私流の処し方ということで、捉えておいてください(笑)。皆さんに参考にしてほしいのは、どんな試練がやってきても、その時自分が持っている能力をフル動員すれば何とかなるんだということです。[13]経営者を志す者には、どのような努力や学びが必要でしょうか?
自分の限界を知ることが大切だと思います。経営者を目指すからには「人一倍たくさん努力して学ばなければ」と考えるのは当然ですが、人間には限界があります。ただがむしゃらに頑張るだけでは、身体も心も悲鳴をあげる。自分はどのくらい睡眠をとらなければベストなパフォーマンスができないか、どの程度の休息が必要なのか、というのは知っておくべきです。
寝食を忘れて仕事に没頭するような経験を幾度かすれば、自分なりの適性が見えてきます。そうなってからは、上手に働き方を自分でデザインし、自分で自分をマネージメントしながら、努力を継続していく。そういう習慣を身につけることが先決だと私は思っています。[14]今までに影響を受けた先輩や師匠といえるかたはいらっしゃいますか?
アクセンチュア、P&G、リーバイ・ストラウス、そしてモルソン・クアーズ、と渡り歩いてきましたが、いずれの会社でも数え上げたらきりがないほど、多くの人に出会い、影響を受けてきました。目上の人ばかりではありません。後輩や部下にあたる人たちにも優秀な人物がたくさんいました。
例えば、マーケティングに直接関わる知識やノウハウについては私に一日の長があったものの、いざそれを発表する場では、私よりもはるかに素晴らしいプレゼンテーションをしてくれる後輩がいたことがあります。彼には「あなたのプレゼン術を教えて」と素直にお願いをしていました。[15]キャリアの成功とは「計画的に努力して成し遂げるもの」でしょうか?
それとも、「偶然や人との出会いなど、運が影響するもの」だとお思いですか?
計画は持つべきだと思います。先にお話ししたように、私は25歳の頃に「45歳で経営者になる」という決意をし、そこから逆算していく形で、「いついつまでにマーケティングをマスターする」というように目標を立て、自分なりの成長計画にしていきました。もちろん、現実の世界では何もかもが計画通りに進むわけではありません。それでも無計画でいるより、自分のプランを持っているほうが実りにつながると思うのです。成長意欲、モチベーションにしても、計画を持っている者のほうが確実に高くなります。
私の場合、自分のことを「パーフェクトに計画を遂行できる人物」だと思ってはいないので(笑)、あらかじめ手を打っておくような計画も立てます。例えば、お会いするたびに刺激を与えてくださるかたと知り合えたら、「年に少なくとも2回はこの人に会おう」というように計画する。
この程度のことなら実行できるし、この人と会うことによって、怠けていた自分に渇をいれて奮いたたせることもできる。ある意味、リマインダー的に人を利用させていただくようなものも含めて計画していくと、予測のつかない偶然のようなものまで、うまくつかみ取っていくことが可能になる気がしています。[16]なぜ起業ではなかったのでしょうか?
私には何事も自分でコントロールしていきたいという習性がありますし、その方が自分という人間が活きてくるとも思っていますので、「起業に向いている」と思ったこともあります。ただ、自分を成長させていこうと考えながら生きていった過程で、マーケティングという魅力ある領域に出会い、そこで成長していくことに夢中になっていたら、素晴らしい巡り合わせに恵まれ、今に至っています。具体的に起業を志す暇もなく、気がついたら今この立場になっていた、というのが本当のところなんです。
ただし、闇雲にぼんやりと流れに身を任せて生きてきたつもりはありません。起業した父は以前から「会社を起こすのなら、30ぐらいまでに成し遂げなければいけない」と言っていました。何もかも自力でやっていかなければいけないのが起業ですから、体力も要る。40歳や50歳になって独力で何かをしようとしても、限界があるはずだ、という理屈です。
そんな父親の口癖を聞いて育った私はといえば、25歳になってから「将来社長になろう」と決めた。30までにはあと数年しかありません。現実的に考えれば難しい。それならば「すべてを独力で」ではなく、「他力にも支えられながら社長になる」というように条件を変えて考えてみました。そうして25歳だった私は「じゃあ、45歳までに目標を達成しよう」と決めたんです。
「すべて独力によって起業する」わけではなくても、それなりの体力や若さは必要。その上限が45歳だと判断した結果でした。ですから、ありがたいことに計画よりも3年早く社長業に就くことはできましたし、多くのかたがたの力があったからこそ達成できたのだと謙虚に受け止めているつもりではありますが、ある意味、自分がかつて望んでいた計画通りにここまで来れたと思っています。[17]特別な信条やモットー、哲学などをお持ちですか?
座右の銘はありません。けれども、長年大切にしている事柄が1つあります。それがインテグリティです。インテグリティ、つまり誠実さをもって人にも仕事にも当たっていく。それが唯一、私という人間を幸せにしてくれるのだと信じています。
人と話す時には相手が誰だろうと「インテグリティであろう」を心がけ、ストレートに気持ちを伝えていく習慣を若い頃から続けてきました。今の私があるのも、そのおかげだと思っているんです。[18]経営者となった今、何を成し遂げたいとお考えでしょうか?
1企業の経営者となった以上は、自社の企業活動を通じて社会に貢献していくのが当然の使命だと思っています。より多くの人に喜ばれる魅力的な商品を市場に出していき、社会を豊かにするのは、当たり前のミッションだと思っています。
しかしそれとは別に、成し遂げたいと思っている事柄があります。人の育成です。自社に利益をもたらす優秀なハイパフォーマーを育てるのは経営者として当たり前のことですが、そういう次元ではなく、「世界に価値を届けられるような日本人を一人でも多く育てたい」と、外資系の世界で長く働くうちに思うようになりました。
ですから、同じ志を持った企業経営陣の結びつきである「GAISHIKEI LEADERS」にも賛同し、参加しています。欧米先進国のビジネスパーソンと比べれば、日本人はまだまだグローバルでの活躍が限られています。私たち日本人だからこそできる貢献は必ずあるはずですし、そういう活躍をしていける人材を育て上げていきたいと望んでいるんです。
では何をすべきかというと、私の持論は「もっと日本や日本人というもののブランドを明確にして発信していくこと」です。例えば「インドの人は数学的な能力に長けている」というブランドイメージがあるからこそ、インド人エンジニアは世界各地で期待され、採用されて、結果として活躍しています。
「アメリカ人は我が強くて、自己主張も強い傾向はあるけれど、総じてコミュニケーション能力が高いのでリーダーに適している」というブランドイメージの浸透によって、米国人にはグローバルリーダーのイメージがついていると思っています。
インドの人すべてが理数系に強いわけではないし、アメリカの人すべてがリーダーシップの持ち主ではないけれども、やはり一定の指標なり価値が世界に知れ渡ることで、活躍のチャンスは広がるのです。
では日本の強みは何なのか? 日本人の多くは何に優れているのか? これを分析するだけではなく、きちんと世界に発信してブランドマーケティングしていく。そういう部分で私に何か役立てることがあれば、喜んで力を尽くしていきたいと思っています。[19]現在のポジションを去る時、どういう経営者として記憶されたいですか?
「あの人と一緒にやれて楽しかったな」という記憶だけでいいです。謙虚な気持ちで言っているのではありません。この先、何十年もモルソン・クアーズという会社には成功していってほしいと望んでいますし、会社が存続していれば私の次の社長、そのまた次の社長というように経営者も交代していくはずです。
それなのに、もしも「矢野が経営している頃が一番良かった」と皆が振り返るようでは困ります。私の後任には私以上の成果を上げてほしいし、そのまた後任にはさらにそれを超えていってほしい。言い換えれば「自分を超える人間が次々に現れる」状態を作り上げることができたら、気持ち良く退任します。「矢野という男がくるとなぜか人が育つ」となれば、その後の私も食いっぱぐれなく生きていけるでしょうし(笑)。[20]20代、30代のビジネスパーソンにメッセージをお願いします
「いま手にしている『その仕事』で目立つくらい勝ってください。」というメッセージを贈りたいと思います。
今の仕事や今のポジション、今受けている処遇などに不満を抱いている人は少なくないと思います。それでもなんでも、とにかく手元にある仕事で勝っていただきたい。「勝つ」というのは、与えられた目標を達成することではありません。まわりの期待値を超える成果へと導くのが「勝つ」ということ。
どんなに小規模なプロジェクトであろうが、地味な職務であろうが、周囲の期待をはるかに超えるほどの成果を出せば、間違いなく目立ちます。どういう勝因によって勝利したのか、その詳細を知らなくても勝って目立てば、その人に多くの目が注がれます。期待が集まります。チャンスが訪れます。
勝ち続けて、目立ち続けることができたら、チャンスのスケールもどんどん大きくなります。そのためにも、まずは「いま手元にある仕事」だと思うわけです。
ただし、一定の期限を設定したほうがいいかもしれません。「ずっと勝ち続けても評価してくれない」ような職場環境も世の中にはあるのも事実です。「いついつまでは頑張ろう。そうして勝ち続けても評価してもらえず、新しいチャンスを得られないのならば、環境を変えよう」と考えていいと思います。
ただ、成功は「勝つ」ことによって得られ、それは、(人を選ぶかもしれませんが)場所を選ばない、ということは覚えておいてほしいと思います。結局、経営者というのは、目の前にある仕事の先にあるものなのです。どのルートで進んでもいいと思います。