画像:稲積 憲 氏

稲積 憲 氏

2014年2月、NHN PlayArtは稲積憲氏の社長就任を発表した。2013年4月から同社トップを務めてきた加藤雅樹氏との2トップによる経営体制を明確化。既存事業であるゲーム分野を加藤氏がリードし、コミックやBtoB事業などの新規事業分野を稲積氏がリードしていく中で、同社の新たな成長を目指すこととなった。
もともと大手モノ作り企業でキャリア形成をスタートした稲積氏は、その後、戦略系コンサルティングファームや再生支援企業を経て現在のポジションにいる。はたして、どのようなきっかけから経営のプロを目指そうと思ったのか?そして今、どういった考え方のもとで気鋭の成長企業を率いているのか?
いつもの20の質問を通じて語ってもらった。

稲積 憲 氏
NHN PlayArt 株式会社
代表取締役社長
http://www.nhn-playart.com/

1974年、神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業後、リコーに入社。最前線での営業職などに従事した後、海外販社50社の経営アセスメントに携わった。その後、ソニーに転じ、経営企画業務を担った後、29歳でローランド・ベルガーに入社。戦略策定案件や変革実行局面での常駐業務、経営再生案件などに携わった。2006年、本格的に経営の仕事に携わるべく、アリックスパートナーズへ転職。支援先であるライブドアにおいて執行役員に就任し、経営再建を担った。そしてライブドアがNHNグループ入りした後NHN Japanに入社し、執行役員 経営企画室長のほかマーケティング・BPR等の部門責任者を兼任し、同社の経営を担った。2013年、NHN JapanがLINEとNHN PlayArtに分割されると、NHN PlayArtの取締役COOに就任。翌2014年2月、代表取締役社長に就任し、共同代表である加藤雅樹氏とともに、グループ約1,300名の同社を率いている。


※現在は退任されトランスコスモス(株)/上席常務執行役員に就任されています。

[1]自己紹介をお願いします

私は大学時代、就職活動の最初の時点で投資銀行の債券ディーリング部門でインターンを経験しました。ところが、どうも仕事をしているという実感がわかなかった。数字をいろいろと動かす業務を見聞きする中で味わったのは「なんだかフワフワしていて落ち着かないな」という感覚。

製造業に長年就いていた父親の影響もあってか「仕事というのはもっと人間臭くて、泥臭いもの」というイメージがあり、そうした印象とマッチしなかったんだと思います。そんな私でしたから、モノ作りをし、海外で成長性があり、且つ海外部門の採用人数の少ない会社を探しました。リコーから内定をいただくと迷わず入社を決めました。

1990年代の終わり頃のリコーといえば、企業向けの複写機、複合機の製造販売がメイン事業です。私はまず国内販売子会社の1つに配属され、そこで1年間、飛び込み中心の新規開拓営業の仕事に就きました。次の1年間は同じく子会社でロジスティクス関連の業務を担当したのですが、こうして過ごした最初の2年間、本社の外側で仕事をしたことが、私にとっては非常に有意義な経験となりました。本丸とは離れた場所にいたおかげで、自分の会社の業務がどんな風にまわっているのかを、客観視することができたんです。

駆け出しの若手社員ではありましたが、当時の私なりに「この業務をこういう風に変えれば、もっと良くなるのに」といった思いがたくさん湧き、それらをレポートにまとめて提出しました。会社の方向付けには経営者の果たす役割が大きいと感じ、このころから「海外」よりも「経営」というテーマに興味を持つようになりました。

海外本部では約50社におよぶ海外販社の経営アセスメントに携わりました。経営全体が良い仕組みで動いているかを診てアドバイスや改善の支援をする業務で、ますます経営という仕事に魅力を感じるようになりました。そうなると「今の自分に不足しているもの」に目が行きます。

とりわけ、数字が重要な意味を持ってくるような局面での経験値が圧倒的に不足していると感じました。そこで、これらを学べて実践できるような部門への異動を打診し続けたのですが、そう簡単に受け容れられるものでもありません。「それならば外の企業でチャンスを探そう」と考えたときに、ソニーの経営企画管理部門が公募している新聞広告を見て応募、転職をすることにしました。

リコーでの4年間と同じように、ソニーで過ごした3年間も非常に価値あるものでした。管理会計を中心とした事業・数値分析、事業ごとのリソース配分、組織横断機能の整理など、想像していたこと以上の経験が出来ました。ところが、それだけで十分とはいえません。「仕組みも数字も見えるようになったけれど、当の自分は何も生み出せない存在じゃないか」という気持ちが徐々に強くなっていったわけです。

この頃には、はっきりと「いずれは経営者になる」と決めていましたので、「自分はどんな企業のどんな局面での経営に向いているのだろう」という自問自答も繰り返していました。

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企業の成長過程には2つの重要な局面があると思います。1つはスタートアップ。何もなかったところから事業を起こして、経営を安定軌道にまで乗せていく局面です。もう1つは成熟期や転換期といえるタイミング。いったん成長のピークを迎えた企業が、その実績を生かしながらも、新たなステップへと進んでいく局面です。

私自身が向いているのは後者のほうだと、なんとなく思っていた頃、当時ローランド・ベルガーにいらした水留さん(水留浩一氏。ローランド・ベルガー日本代表〜企業再生支援機構常務〜日本航空副社長〜ワールド専務〜現スシロー社長)の企業再生に関わる著書を読んで「ここだ。ここで勉強させてもらおう」と決意。転職を決めました。

ローランド・ベルガーで過ごした3年半の内、後半の多くの時間は地方企業の再生案件などに費やし、私はとてもやりがいを感じました。まさに「やりたかったこと」を経験し、成長している実感も得ることが出来たからです。それでも戦略系コンサルティングファームにいれば、同じような案件を必ず続けて担当できるとは限りません。

コンサルタントとしての幅を広げていくような成長よりも、経営再生の最前線で汗を流していく仕事に集中したい。そう考えている中、アリックスパートナーズが日本オフィスを開設しました。アリックスはソニー時代に見た小さな記事で気になっていた会社であり、更にローランド・ベルガーの日本代表を辞していた西浦さん(西浦裕二氏。現アクサ生命会長)がアリックスパートナーズの日本代表に就任されたこともあり、直接相談し、入社させてもらいました。

再生を目指す企業の内部に入り込み、経営を自らも傭兵となって建て直していく立場となったわけです。そうして1年半が経過したころ、同僚だった石坂さん(LDH社長~デロイトトーマツ アンカーマネジメント代表取締役)がライブドアの持ち株会社の社長となり、私もライブドアの経営再建プロジェクトに参画することになりました。

出澤社長(現LINE社長)を中心に、ライブドアに残ったメンバーの"ライブドア愛"のパワーにより、成果は順調に上がりました。特に資本異動前の期は3つの主要事業が全て大幅に成長し、「再生の本質は成長にあり」との思いを持ちました。

ライブドアのNHN Japanへの売却が決定して、この案件はクローズしたのですが、NHNの多くの方から「一緒にやろう」と言っていただき、また韓国でインターネットのトップ企業である点に大きなサービスを作ることができる可能性を感じ、NHN Japanに入社しました。

経営企画室長などを務め、日本でのNHNグループの成長を目指す過程では、様々な経験をしました。グループ3社の統合、ゲーム事業の採算向上とリブランド、LINEの爆発的成功などなど、ダイナミックな展開が数多くありました。そして2013年、発展的な意味での企業分割を実施することとなり、会社は2つに分かれました。LINEと後のNHN PlayArtの2つです。当時、私が担当していた部門・部下やプロジェクトの多くがゲーム寄りだったこともあり、私はNHN PlayArtを選択。そうして現在に至っています。

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