[1]自己紹介をお願いします。
私は大学卒業後に第一生命保険へ入社しました。ここでは、私は保険の商品開発に配属されました。経験を豊富に積んだ社員がさらに専門性を持って行うような業務が、新人の私にとって最初の仕事でした。商品開発といっても保険商品はモノではありません。規程(約款)と保険数理で成り立っています。それを開発していくわけですから、ロジックや数理と常に向き合う仕事です。アクチュアリー(保険数理人)やMOF担(当時の大蔵省担当)などの専門家集団の中、新人の私には厳しい環境でしたが徹底的に鍛えられました。次に配属されたフィールドは、環境が180度異なる、まさに現場。総勢400人ほどの営業職員さんが働く支社での業務です。そしてここで、商品開発とは違う種類の試練を体験することになりました。
当時は、ちょうどFP(ファイナンシャル・プランナー)の専門知識を保険営業に活用していくことが潮流になっていた時期でもあり、私の役目はそうした知識を多くの営業スタッフに発信し、営業活動につなげていくことにありました。ロジック畑で育った私は、当初その知識を整理して伝えていきました。例えば、企業経営者のようなお客様に保険を勧める際、どういった知識を提供すれば有効なのか、という話をロジカルに組み立てて伝達したわけです。
しかし、理解し納得してくれたスタッフは、約400人いる内のせいぜい1割程度でした。残る多くの人には、まったく響かなかったのです。そこで知っている知識を伝えるのではなく知識を試したいと思ってもらうように話したらどうかを考えました。私はよく言うのですが、「話を聞いているうちに、鼻の穴が大きくなる」ように話をしないと人は動かない。この目の前の営業職員さん達は、理性よりも感性、論理よりも直感で物事を判断すると考えた私は、皆との接し方、コミュニケーションのあり方を変えました。
具体的に言えば、より直観的に母性に訴えるようにしたのです。理屈で納得をしてもらうよりも、「松島くんはいい子だし、力になってあげなくちゃ」「私もこんな息子がほしかった」と思ってもらう(笑)。一人ひとりの職員さんを母親のように声をかけました。でも小手先ではダメです。彼女たちは人間関係のプロ。理屈や損得なく一緒に汗を流し真剣に向き合い、心の底から成果を喜びあう。このように接していくと、嬉しいことに成果がどんどん上がっていったのです。こうしてロジック中心の経験と、人間同士向き合うなかで大きな力を生み出す経験の両面を、社会に出て早々に獲得できたことは、私にとって非常に大きかったと思っています。
しかし入社から5年が経過すると、私は「外の世界が見てみたい」「違う世界で自分を試してみたい」という願望を抱くようになりました。そんな傾向が強まっている時、同僚がA.T.カーニー主催の交流イベントに誘ってくれたのです。そしてそこで出会ったパートナーに気に入ってもらい、面接を受けたところ合格となり、私の最初の転職が決まりました。
しかし、この新しい職場でも大変苦労しました。考えてみれば当然のことです。それまで保険のことしか知らず、たとえば当時保険会社では期間収益があまり意識されていなかったんですね。なので私は営業利益と粗利の区別がついてなかった(笑)。そんな人間が、名だたる企業の経営陣と向き合うわけですから、並大抵の勉強ではついていけません。「これはえらい所に来てしまった。戻るわけにはいかない、もう這いつくばってでもやるしかない」と思いました。わからないことがあれば、とにかく調べに調べ、あちこちに電話をかけては生の情報を収集し、クライアントにも助けてもらいながら、泥だらけになりながらついていきました。
あるとき私の採用に関わったパートナーに「いったい私のような人間をなぜ採用したんですか?」と尋ねてみたところ、「君と話をしていると不思議なくらい自然に懐に入ってくる感覚があったからだ」と教えてくれました。大いに納得をしました。たしかに生保の現場で泥にまみれて培ったそのスキルは、自分の得意技になっていた、と。それからは、この得意技に助けられながら、必死にロジックなどのコンサルティングの流儀を身に付けていくことで難関を打破していったところ、2年ほど経過した頃には自分なりの仕事の「型」のようなものができあがっていたのです。早いタイミングでマネジャーにまでなれたのも、この自分流の型のおかげだと思っています。
やがて、また私は違うフィールドで戦うことを望むようになります。自分自身の強み「型」がどこまで通用するかに興味があったので、一定の成果得るとまた別のフィールドでもこの強みが通用するか、どこまで通用するか、確認したくなったのです。この時私が考えた事は「コンサルティングという仕事の醍醐味はわかってきたから、どうせならばテッペンのステージでも通用するかやってみたい」。これがマッキンゼー・アンド・カンパニー(以下、マッキンゼー)からの誘いを受けた理由です。A.T.カーニーの時と同様にインタビューでは高評価だったようで、採用が決まりました。私は昔からインタビューが得意だったんです(笑)。
さて、今度の転職は異業種からではありません。前と違って多少は楽だったのではないか、と思われるかも知れませんが、そんなことはありません。マッキンゼーには明確に問題解決の仕組みが確立されていて、私のように無手勝流で戦ってきたスタイルは異端だったのです。私が担当するプロジェクトにやってきたメンバーたちの戸惑う様子が毎回ひしひしと伝わってきたものです。「やりにくそうだな」という気持ちにもなり、初めのうちは私自身も戸惑いました。
しかし、私流の「型」を容認してくれるパートナーの存在もあって、次第にためらわずに自分の色を出していくようになっていったんです。結果、マッキンゼーでも自分の強みで勝負し、長期に亘るインパクトの大きな仕事を開拓・発展させることができました。マッキンゼーでも、自分の強みが通用し差別化できたことは、大きな自信となりました。
こうして2つのファームでコンサルティングの仕事を経験すると、今度は別の世界に行きたい気持ちが高まり、投資の世界に足を踏み入れました。正直、日々の激務に疲れていたのと、早くフィナンシャルセキュリティ(最低限食っていけるだけの財)を確保したいという願望もあってのことですが、MKSパートナーズや丸の内キャピタルで体験した仕事からは新鮮な喜びを得ることが出来ました。企業経営の支援をする、というのがコンサルタントの基本ならば、投資する側というのはもっとダイレクトに「この会社をどうするか」に関わるのが使命です。当然、責任は重大ですが、醍醐味もまた格別だったのです。
ただし、投資業務には必ずついて回るジレンマがあります。投資を成功させるためのグリーディ(貪欲さ)と、株式という絶対的権力を保持する者のインテグリティ(誠実さ)の、バランスをどう保つかかです。日本でファンド事業が伸び悩み、その業としての存在価値が明確に見いだせない状況に私としてもフラストレーションがたまっていました。投資業も5、6年を迎える頃、出会ったのがNKリレーションズでした。
キャピタルゲインによって収益を上げていくことを目的とするのではなく、投資を通じてグループを形成し、ともにグループ会社として成長していくことを目指す。これがNKリレーションズのビジネスモデルです。MKSパートナーズ時代の元同僚がこの会社に先に加わり、「シンプルだがやりがいがある」と教えてくれて、私の気持ちは動いたんです。聞けば、「業績は4期連続赤字でイバラの道」ということでしたが、「シンプルに力を試せる」ということに迷わずイエスと返事をして、今に至っています。