「プロ経営者」になる。〜経営者インタビュー〜

画像:中村 史朗 氏

中村 史朗 氏

大阪有線放送の名でスタートしたUSENは創業50年を迎えた歴史ある企業。
日本の音楽エンターテインメントに多大なインパクトを与え続け、
2000年代にはインターネットとの連動などによる華々しい事業拡張で話題を提供し続けていた。
しかし、急速な業績悪化により2010年には経営陣の大幅刷新が行われた。
このとき外部から招かれ社長となったのが中村史朗氏だ。
直前までは同じく危機的局面にあったレインズグループの再建を手がけた人物。
はたして、中村氏とはどのような人なのか?プロ経営者としてどんな思いと頭脳と手腕を振るっているのか? 
ご当人が率直な言葉で質問に答えてくれた。

中村 史朗 氏
株式会社USEN 代表取締役社長 CEO
http://www.usen.com

1971年生まれ。東京大学工学部卒業後、三菱商事に入社。主に原油、LNGなどエネルギー分野に従事した後、渡米留学にてMBAを取得。2004年、ボストン コンサルティング グループに入社。コンサルタントとして約2年半在籍した後、レインズインターナショナルへ。3年の間に同社の専務取締役兼COOのほか、グループ企業であるコスト・イズの取締役、親会社レックス・ホールディングス取締役などを歴任。2010年9月、USENへ顧問として参画し、同年11月に代表取締役社長CEOとなった。2013年1月からはUSENグループ企業・アルメックスの社長にも就任している。


(※現在は退任されています)

[1]自己紹介をお願いします。

私は大学時代に超伝導に関する研究をしていました。エネルギー問題を抱える日本の状況を劇的に変える可能性も持つ、とてもインパクトのある領域ですから、やりがいを持って臨んでいました。卒業後に総合商社に入る道を選んだ理由は、シンプルに「世界を股にかけて、スケールの大きい仕事が出来る」という気持ちから。結果として、石油や天然ガスなど、エネルギー分野のスケールの大きな仕事に関われましたので、醍醐味を感じていました。

しかし同時に「経営とは何なのか?」という命題が自分の中で大きくなっていきました。きちんと学んで、問題解決能力を持つプロフェッショナルになりたいと考え、留学制度に応募し、何度目かの応募でようやく認められ、アメリカへの留学が実現したんです。

ビジネススクールへ入って感じたのは、もっともっと学ばなければいけない、ということ。そうした気持ちを抱きつつ、サマーインターンで出会ったのがボストン コンサルティング グループ(以下、BCG)でした。話を聞けば聞くほど「ここへ行けば、本当のプロフェッショナルになるべく、自分を鍛え上げることが出来る」「本気で経営者を目指すのであれば、今の自分にとってここは最良の場所」という思いが強くなり、転職を決意しました。

三菱商事とBCGには共通点がありました。期限が決められた任務をしっかりこなし、必ず成果を出すことが求められる、という点です。ただし、BCGで要求された期限に対する厳格さ、アウトプットに対する品質の高さは想像をはるかに超えるものでした。すでに32歳を過ぎていた私ですが、それまでの自分の甘さを痛いほど思い知らされる日々。いくつかのプロジェクトを経験し、苦しんだ後、ようやく雲間から日が差し込んできたのですが、ちょうどこの頃から「ようやく一段登れた。経営者になるんだ」という気持ちが高まっていきました。

そして、コンサルティングの仕事を3年ほど経験したタイミングで私の元に届いたのが、レインズインターナショナル(以下、レインズ)で経営幹部を務める、という話でした。コンサルタントのままでは経験できないリアルな経営に携わることを夢見て、この話に乗ることにしたのです。

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コンサルタントと違い、事業会社の経営陣になるということは「自分の後ろには誰もいない」ということ。自らの責任のもと、奮闘し続けなければいけなくなるのだと覚悟はしていました。しかし、現実にレインズの人間になって経営に携わってみると、赤字は続き、人もどんどん辞めていく。入社前はそこまで逼迫しているとは想像できませんでした。それでも、とにかく何とかしなければいけない。何とかするのが自分の役割。そう思い直して、「この会社を潰れさせてなるものか」と、必死になって毎晩2時3時まで働きました。まさに、死に物狂いという姿勢で数年間に渡って修羅場を超えていき、ようやく一段落を迎えた時、やっと自分のこれからを考える余裕ができました。

その頃には専務兼COOとして、実質トップのような立場にいたのですが、そうは言っても「No.2」でしかない。「経営者になるんだ」という私の希望は、やはり全社の責任を一身に負う立場、つまり「No.1」になって初めて本当に実現する、と思い、USENからの話を受けて、この会社の社長になることを決意しました。3年が経過して、経営再生の道が明確に見えるようになり、今は新たな成長の道を社員の皆と模索しているところです。

[2]現在のご自身の役割について教えてください

私が来た時のUSENは危機的状況にありました。自己資本比率が一桁台にまで下落するような財務状態にあったうえ、創業半世紀を迎えようとしていた歴史ある企業は、反面、その歴史ゆえの組織の硬直化にも見舞われていた。強烈なリーダーシップを振るってきたオーナー社長の後を受ける形で私は来たわけですから、変革に向かう道は非常に険しかったといえます。

しかし、コア事業である音楽ビジネスを徹底的に立て直しながら、財務の健全化に取り組んだ成果がようやく現れてきました。ですから、今現在の私の役目は失地回復ではなく、新たな成長の促進です。財務面での改善・改革を続行すると同時に、今まで以上に人を育てることに力を注ぎ、その人材の活性化を実現していく。これが私の今の役割です。

[3]小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう?

負けず嫌いな子どもでした。テストで一番、水泳で一番というように、何でも一番にならないと気が済まない。柔道や剣道もしていましたが、とにかく勝つことにこだわる頑固さを備えていたように思います。頑固な負けず嫌いだったおかげで、忍耐力はこの頃から身についたと思っています。

小学校を出てからは文武両道を旨とする中高一貫校に進み、そこでサッカー部のキャプテンを経験しました。それまで同様、自分に厳しく、努力を怠らない子どもだったと思いますが、キャプテンという責任を持たされたことで、自分とは異なる気質・性質の部員をなんとかしたい、というモチベーションを抱くようにはなりました。ただし、本当の意味でのキャプテンシーやリーダーシップと呼べるほどのものではなかったと思いますが。

[4]高校、大学時代はいかがですか?
リーダーシップの芽生えのようなものはあったのでしょうか?

大学ではテニスサークルに入部しました。初めてテニスという競技をしたのですが、大会で優勝するなど、結構いい線いっていたと思っています。自分で言うのもなんですけどね(笑)。

このサークルでもキャプテンになりましたが、高校時代との大きな違いは、自分自身の頑張り以上に「サークルのため」を考え、皆で強くなることを真剣に目指した点です。もちろん、自分自身が結果を出していなければ発言力、影響力も生まれませんから、自分自身のための努力もしつつ、同時にどうすればチームに貢献できるのかを考えるようになりました。リーダーシップの芽生えがあったとすれば、この時期だったと思います。

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