[1]自己紹介をお願いします
NTTコミュニケーションズのデザインスタジオ「KOEL」でHead of Experience Designという役職に就いています。主に部門全体の成果物に対するクオリティを担保する役割を担っています。
[2]現在の社内での役割についてお教えください
デザインリサーチャーやUXデザイナーの育成を手掛けながら、同時に自分もプロジェクトの一員として加わることも多いです。最近ではビジョンデザインのプロジェクトを手掛けることが多いですね。
ビジョンデザインとは、10年後、20年後の社会のあり方を描き、そこから社会で生まれるニーズを仮説立て、ソリューションを構想し、その社会実装を目指すものです。[3]小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう?
とても大人しくて控えめな子供だったと思います。
周りの人をじっくり観察するようなタイプで、周りの人や景色をジロジロ見てばかりいました。
思うがまま知らないところへ行くのもすごく好きでした。通学途中でわざと知らない小径に入っていって、自分だけの新しい通学路を開拓することを楽しんだりしていました。当時、私は小学校へ行くのにバス通学していたんですが、知らない街をみてみたい気持ちが強くて、乗ったことのない路線のバスの終点まで行って引き返してくるというようなことをしていました。
絵もよく描いていました。
両親ともにグラフィックデザイナーだったこともあって、家の中に画材が多かったし、絵を書いている時はひとりで静かにできたので、親が仕事中などにも、側で絵を書いていることが多かった記憶です。
割と几帳面なところがあって、白いところがあったら「すごく嫌だな」と思ってクレヨンでもしっかり色をつけることにこだわったり、はみださないように細かく絵付けをするタイプでした。
家族で絵を描いたり工作をしたり、美術館へ行くことも多く、美術はいつも身近にあり、大人になったらデザイナーになるんだろうなと思って育ちました。
[4]高校、大学時代はどのような学生でしたか?
高校1年生のときに美大への適合性みたいなのを知りたくて、美大受験の予備校の夏期講習へ通いました。受験の実態を見たい気がしていたのもあり、基礎コースなどではなく、高校3年生や浪人生に混ざって、受験コースを受講してみたのですが、それが楽しかった。丸一日の実習だったのに、あっという間に時間が経った気がするほど夢中になれたので、向いているのかなと思いました。
おかげさまで無事に美大に入れたものの、美大受験がけっこう壮絶だったので、大学ではのんびり羽根を伸ばしていたような気がします(笑)。
その頃授業で出会ったのが、コンピューターの世界でした。それまでのグラフィックデザインは想像力を使って、絵で描いたり、印刷の指示書をつくらなければならなかったりと、仕上がりイメージを頭の中で詳細に描くスキルが必須とされていたと思うのですが、パソコンがあれば印刷前にしっかりプレビューできる。グラフィックデザインのプロセスが大きく変化していた時期だったと思います。
そんな大学2年生のとき授業で出会ったのが「プログラミング実習」でした。自分も実際にコンピューターに触ってみて、パソコン上で動く絵を描いたり、インタラクティブなグラフィックをつくってみたりしました。そのときに、これまでのイメージの作り方とは全く違った、もっと動的な描き方に出会って、「コンピューターを使ったデザインってこういうことか......!」となんとなく腑に落ちたのです。
コンピューターは静止画の世界を、デジタル上に置き換えるものじゃない。「新しい道具を使って、新しい表現ができるものなんだ」ということがわかりました。[5]最初に就職した企業と、その企業を選んだ理由を教えてください
昔から雑誌にときめきを感じていたんですよね。実家で片付けをしていたりすると、古い雑誌が出てきたりするじゃないですか。就職活動のちょっと前に、家で『Olive』という雑誌の創刊号を見つけたことがありました。
そのときのキャッチコピーの言い回しやモデルが身にまとっているファッション、そして広告も含めて、当時時々読んでいた「私の知っている『Olive』」の世界観とは全然違って。
「この時代って、こういう感じだったんだ!」と衝撃を受けました。そのとき雑誌って、ある意味「時代をキャプチャーするタイムカプセル」みたいで面白いなと思ったのです。
それに当時はまだUXデザインという概念がなかったので、自分的にピンとくるデザイン領域がなかった気がします。就職氷河期のど真ん中でもありましたし、もともと好きだったエディトリアルデザインの道へ進もうと、雑誌から教科書まで、幅の広いエディトリアルデザインに関われそうな、株式会社アレフ・ゼロ(現・株式会社コンセント)に入社しました。
入社時は『日経PC21』、その後は『anan』などのエディトリアルデザインを手掛けていました。日本の雑誌ならではの細かい情報を、いかに見やすくページに納めるのかを、週刊誌というスピード感の中で試行錯誤する、厳しい現場だったと思います。それでも、電車に乗ると隣に座っている人が自分の作ったページを読んでいるところに遭遇したり、どこのコンビニにも自分が関わった本が並んでいたり、自分のデザインしたページがテレビに映ったりするようなこともありました。
このとき、自分の手掛けた仕事が社会とつながっているという実感を持つことができて、手触り感のあるインパクトを感じられたのは、かけがえのない経験だったと思います。[6]ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか? その理由についても教えてください
デザインの領域の中でも、今やっているデザインリサーチやビジョンデザイン的なことをやるようになった最初の大きなきっかけは、ノキアのインハウスデザインの部署に入ったことだったと思います。ノキアはデザインリサーチの領域で前衛的だったし、きっちりと行動を観察してデザインの提案をする組織で、尊敬する先輩も、アイデア豊富な同僚も多くて、とても刺激的な職場でした。
その文化の中でインタラクションデザイナーとして働きながら、幅の広いUX・UIデザインの文脈での、自分の強みみたいなものを発見することができたと思います。チームで仕事をしていく中で、自分が力を発揮できる役割や、成果物のクオリティーが上げられるタスクが見えてきた部分もありました。
自分的には、デザインリサーチからのコンセプト創出の部分と、ストーリーテリングに強みを見出して、その後のキャリアでもそこを軸にしてきたと思います。
その上に、デザインリサーチに出会う前に培ったビジュアル・コニュニケーションや、エディトリアル・デザインで学んだ情報整理術を活用して、自分らしい領域を探してきた気がしています。[7]専門的スキルは主にどこで獲得したのですか?
絵をきちんと描く、道具を適切に使うといった実技的なスキル全般は美大受験で培ったと思います。デッサンのノウハウや、きちんと色をつけるといったような、基礎的な部分です。
もっと今の仕事につながる「まずやってみる」というような実験的な制作は、イギリスのロンドンにある美術系大学院大学のロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)に留学して身についたと思っています。
インタラクション・デザインというコースに入学し、「インタラクションの正体を学びとるぞ!」と思っていたのですが、実際イギリスへ行ってみると、そもそも学校のあり方からしてまったく違っていて、待っているだけでは何も教えてくれないですし、「これをやりなさい」という課題もありませんでした。その代わり、やりたいことがあれば教えてくれますし、専門家につないでくれたりします。そこで、わからないことは知見者に聞いてみる姿勢が身に付いて、それが今のデザインリサーチのスキルの基盤になっていると思います。知りたいことを知ってそうな人を探すこと、知りたいことを知るための質問の仕方など、いつも考えていました。
その後の仕事の中で、色々な関係者を説得しなければならない、プロダクトのデザインに携わることで、制作物に対して、理由付けや付随するストーリーを考え、しっかり「売り」となるポイントを打ち出すことも習得できました。
なので、専門的スキルは、人生すべての経験の積み重ねみたいなものだと思ってます。[8]リーダーシップやマネージメントに関する経験やスキルは、いつ、どこで獲得したのでしょう?
デザイナーとしての経験がついてきた頃から、プロジェクトをリードするようになったときだと思います。プロジェクト全体に対して、自分が方向性を示して、チームみんなで何かを成し遂げなきゃならない。わからないことに直面しても、なんとかするしかない。それがプロジェクトリードです。
そのときに活きたのは、RCA時代に培った「まずやってみる」マインドや、見せ方・伝え方へのこだわりでした。プレゼン相手に合わせて説明を変えたり、しっかり理由付けをストーリー仕立てで伝えたりする。その経験のおかげで、マネジメントをすることになったときも本当に助けられました。
また、マネジメントに取り組もうとして、人間関係でうまくいかなかったこともあります。そのときは人生の先輩であり、デザイナーとしての先輩である父に相談することもありました。
意見が食い違ったとき、相手を変えようとするのも違うし、逆に自分のクリエイティビティを曲げて相手に寄せようとしすぎると自分が摩耗してしまう。一つのプロジェクトを成し遂げるとき、自分という人間がみんなを完璧に「動かす」なんてできません。
今では「プロジェクトのゴールを描き、そのクオリティを確実に担保すること」を見据えてプロジェクトをマネジメントするようにしています。[9]キャリア形成上の転機があったとすれば、それはいつのことですか?
イギリスのRCAを卒業したときですね。日本に帰国するかどうするかを考えたタイミングです。
イギリスのほうがデザインについての視野が広い気がしたので、ロンドンで働きたいと思いました。体験のデザインもデザインリサーチも活発化してきた時期で、日本ではまだそうした動きが出てきていませんでした。私は職人的に美しいものを作り込むというよりも、デザインの力を使って意味のあるモノを作りたかったし、戦略のような大枠から考えたかった。
でも海外で就職するってすごく大変で、学生ビザの残りでイギリスに滞在できるカウントダウンが始まってしまいました。
現地の会社からすると、デザインの大学院を出たばかりで何の実績もなく、しかも英語はネイティブほど話せるわけでもない、日本から来た私を採用する明確な理由が見当たらない。留学して現地で働く人はそれほど多くないですし、ロールモデルもいなかった。就職活動はとても大変で苦戦しました。
そのとき「私の売りってなんだろう?」とすごく考えましたね。当時、フランスで働いていた友人に言われたのは、「海外で仕事を探すには、人より優れているところが3つ必要だ」ということでした。
そこで必死に考え抜いた結果、
1.インタラクションデザイン(エクスペリエンスデザイン)
2.これまでのグラフィックデザインの経験
3.日本語を話せること
を強みと捉え、それをわかりやすく伝える工夫を重ねていきました。
期限が迫る中、必死に自分の"売り"を探したその頃は「他の人とは違う、私の強みはなんだろう」とアピールポイントに向き合えた貴重な時期だったと思います。[10]強く印象に残っている試練やストレッチの経験について教えてください
キャリア選択において、コンセプトを構想するようなデザインコンサルタント的な仕事と、プロダクトを世の中に出していく事業会社での仕事、どちらの仕事もし続けたいという気持ちをあきらめきれなくて、両方を行き来するデザインライフを送ってきました。
SONYで『PlayStation4』のシステムUIをつくるプロジェクトを手掛けたときは、関わる人数の多さや、影響力の大きさから、大変さを感じたことも多かったです。
はじめてエンジニアと正面からコミュニケーションし、「世の中にリリースするためのコミュニケーション」「実装のためのデザイン」をすることになりました。コンセプトだけで留まるだけのときとはまったく違い、私にとってストレッチとなる経験だったと思います。
その後デザインコンサルティングファームの「Method」に入った時はカルチャーショックが大きかったですね。初めてのコンサルティングファームで、プロジェクトの期間も短かくて。毎回まったく異なる業界に対して、顧客が驚くような提案をものすごいスピードで行わなければならないのは、大きな挑戦でした。
毎回荒波の中を進むような感覚なんですが、そのプロセスを繰り返すうちに成果が出てくるようになって「最後はちゃんとうまくできる」と自信を持てるようになりました。そうしているうちに、やり方のパターンが増えていったような気がします。[11]影響を受けた先輩や、師匠といえるかたはいらっしゃいますか?
様々なプロジェクトを一緒に走りきってくれた同僚や、右も左もわからなかったときに学びにつきあってくれたRCAの同級生です。みんなユニークな視点を持っている方たちばかりで、彼らのような視点を忘れてはいけないと思っています。
RCAへ行ってよかったなと思うのは、多様な視点でものごとを捉える習慣がついたことです。アングルを変えてものごとを見ることで、新しくわかることがあります。いつも心がけているのは、RCAの同級生と久しぶりに話したときに「つまんなくなったな!」なんて思われたくないなということ。日々、いろんな視点を持っていたいですね。
アーティストやデザイナーとしては、一つの表現だけに固執しないで、常に作風を変えて新しい表現の境地を開拓している方が好きです。やっぱり、新しいことに挑戦するのはエネルギーが必要だし、繰り返しの快適さに身を委ねないストイックさに魅力を感じます。[12]座右の銘や、独自の哲学などをお持ちですか?
「やってみる!」
常にやってみることを心がけています。
やらない理由っていくらでも捻出できると思うんですね。だけど、そうじゃなくてまずやってみる。小学生のとき知らないバスに乗って終点まで行ったり、とにかく外国に住みたいとイギリスのRCAへ留学してみたり。それもすべて「やってみよう!」と思ったからです。
やらないと一生後悔しちゃいそうなんですよね。年老いたときに「一度は外国に住んでみたかったなぁ」なんて思っちゃいそうで。
嫌だったらやめればいい!くらいの気持ちで、とりあえずやってみるようにしています。
例えば私の場合、アメリカでの暮らしは合っていなくて、2年で辞めて、イギリスに戻ったりもしました。
「とにかくやってみる」というステップを乗り超えると、できることがデザインの成果物の幅にも広がるし、さらに他の選択肢へも広がる。今では、生活や仕事のフィールドも、世界にまで広がった気分です。
やってみることを重ねていけば、例えば「来月からシンガポールで仕事をしてくれない?」なんて言われてもすぐに飛んでいける。それって、自分のキャリアが世界中のジョブマーケットまで広がることになると思うのです。人生の可能性が広がった気がして楽しいです。[13]感動し、影響を受けた本や映画などがあれば教えてください
「これ!」というものはありません。
その根底には、一つのものだけに影響を受けたくないという思いがあります。多角的な視点を持って、いつも多様なアングルでものごとを見ていたい。何かをバイブルとして自分の軸にすることはないです。[14]Head of Experience Designとして今後必要なスキルや資質についてはどのようにお考えでしょうか
メンバーを育てる視点ですね。「KOEL」はデザイン経験の少ない方もいらっしゃるので、そういう方にどのようにデザインにまつわる体験を促し、実際のプロジェクトを経験していただくか。メンバーのみなさんに、いかに経験を重ねていただくかを大事にしていきたいと思っています。[15]ご自身の今後のキャリアビジョンについて教えてください
日常生活を幸せにするデザインを、これからも手掛けていきたいですね。
「当たり前の日を幸せにする」というのことを自分の中では大切にしています。日常のちょっとした幸せが続けば、本当に毎日が幸せになると思う。特別な人だけが感じる幸せではなく、街に生きるみんなの当たり前の毎日が、ちょっといいな、と思えるような仕事を続けていきたい。
「KOEL」に入ったのも、インフラという、すべての人の暮らしに関わるインクルーシブな領域です。それがより良くなったら、みんなの暮らしがちょっとでもよくなるのであれば、デザインの力で社会貢献ができるのではないかと思います。[16]若い方々へメッセージ、アドバイスをお願いします
移り変わりの早い世の中なので、5年後、10年、自分がどういうスキルを持っていたいのかを考えながらキャリア形成するといいのかなと思っています。
先ほどもお伝えした通り、自分の"売り"って何だろう、といろんなタイミングで考えることがすごく大事です。
得意なことって、自分にとって当たり前のようにできちゃうことなんですよね。でもふと周りを見渡すと、他の人は苦戦していたりして。それをすごく頑張っていたわけじゃないのに、気付けばできていること。そういうことを客観的に見つけるようにして、自分の得意を見つけてみるといいんじゃないでしょうか。
どんな付加価値をつければ、自分のやりたいことを仕事にできるのかを節目節目に考えるのも良いと思います。
例えば私の場合、大晦日に毎年振り返りをしています。毎年3つの目標を立てているんですが、その目標がどれだけ達成できたか、来年はどんなことをできるようになろうか、そんなことを日々考えています。