[1]自己紹介をお願いします
現在、株式会社タネトシカケという自身のマーケティング支援会社を通じて複数の企業のマーケティングや経営の支援をしています。
マーケティングに携わるようになってから25年以上が経ち、外部からもマーケターとして少しずつ認識されるようになりましたが、もともと新卒入社したミツカンでは営業職からスタートしました。5年後にマーケティング部門へ異動したことがきっかけとなり、以来現在まで、マーケティングの分野での仕事を続けています。
ミツカンを離れた後は食品マーケティングのコンサルティングを行ったり、日系ファンド投資先の企業で代表取締役社長を務めたりし、2017年からの6年間は米系PEファンド投資先のおやつカンパニーでマーケティング本部長を務めました。
2023年8月から現職ですが、はなまるを含めて複数の企業や学校で社外取締役や顧問を務めたり、教鞭を執ったりと、兼業で仕事をしています。
[2]現在の社内での役割について教えてください
はなまるでは、新たに組織を作って部下を抱えるということをせず、必要に応じてさまざまな部門やプレーヤーと私が直接対話をしながらプロジェクトを進める形でマーケティング戦略に取り組んでいます。
時代や人々の価値観が大きく変化し、人口も減っていく中で、今後継続的に成長していくための新しいはなまるブランドのあり方を皆さんと描くことが私のミッションです。
ただ、これまで複数の会社でマーケティング責任者を経験してきて分かったのは、マーケターとして"勝てる絵"を描くことは大事だけれど、みんなでPDCAを回していくことで「勝てるカタチにする」のが今の時代に合っているということです。正論を振りかざすだけでは必ずしも会社は動かず、皆さんがそれに同調してくれたり、納得してくれたり、協力してくれて初めてアウトプットできるし、質も高くなる。
やはり私自身が一人の人間として皆さんと話をして、真剣にお付き合いをしていくことがとても大事だと思ったので、はなまるでは組織を抱えないというちょっと珍しいスタイルでやらせてもらっています。[3]小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう?
小学校低学年のころはどちらかというと引っ込み思案で、神経質なところがある子どもでしたね。
私自身は宿題をきちんとやってくるタイプでしたが、「やってません」と堂々と手を挙げる子をうらやましく思っていたことをよく覚えているんです。そういうクラスメイトがたくましく見えて、自分もそうなろうと、わざと宿題を忘れてみたことも。
一方で体を動かすことも好きでした。小学校中学年でバスケに出会い、中学を卒業するまではバスケにのめりこむことになりました。
中学時代は、神奈川県ではまずまずのバスケ強豪校だったこともあって、部活のために学校に行く、学校に着いた瞬間にもうお腹が減ってる、といった典型的な運動部男子でした(笑)。[4]高校、大学時代はどのような学生でしたか?
高校は法政大学の附属高校でした。足首の怪我によりバスケは断念したものの、体を動かすことは変わらず好きでしたので、近所にあったジムに通い詰めて、そこで出会った大人たちと話をすることを楽しんでいました。学校が終わったらまっすぐ家に帰るというタイプではなく、クラスの友達とよく遊びに出かけていましたね。
大学はそのまま内部進学で法政大学へ進みました。入学したのが経営学部なので、「当時から経営やマーケティングに興味があったんだな」と思われがちなんですが、当時はマーケティングの「マ」の字も知りませんでした。
ただ、大学時代のアルバイトの経験は、今振り返ってみれば、その後のキャリアに大きな影響を与えたと思っています。
渋谷の中心地にあるとてもにぎわうレストランの厨房スタッフとして働いたんですが、ひっきりなしに注文が入るのを、どうやって効率的に調理するか、滞りなく料理を出すにはどうすればいいかということを頭の中で考えることがとても楽しかったんですね。
「盛り付けをこう変えてみたら、もっとお客様に喜んでもらえるんじゃないか」と工夫してみるとか、何かを考えて、やってみる・出してみるということが好きでしたね。[5]ご自身の専門性をいつごろ決められたのでしょうか。それは何故でしょうか。
マーケティングに携わったのは、新卒入社したミツカンでの部署異動がきっかけでした。自ら志望したわけではなく、急な辞令によるものだったんです。
最初は、それまで従事していた営業との違いに戸惑うこともありましたが、当時私と同じように営業からマーケティングに来た先輩からかけられた言葉をよく覚えています。
「営業は自分が主体となって売るが、マーケティングは、人を使って売らなければならない。だから難しいけど、それができるようになったら、もっとスケールの大きい仕事になるよ」って。
確かにそうだなと素直に思い、どうせなら今までと違う視点も学んで、できるようになって損はないなと考え方が切り替わり、マーケティングの仕事をちゃんと直視するようになりました。
営業職時代は、中間流通企業に売った時点で売上になるので、それで終わりというところがありましたが、マーケティングはそこで止まらずに、エンドユーザーがどうやったら買いたいと思ってくれるか、どうやったら食べてくれるかということにフォーカスしなければなりません。マーケティングに出会ってから少しずつそういった視点を持つようになりましたね。[6]専門的なスキルをどこで獲得されたのでしょうか。
私はマーケティングについてあらかじめ学んだり、セオリーを知ることなく、いきなり実践から始めているんです。体で覚えた、という感覚なのですが、後から振り返ると、ミツカンでのべ10年以上、どっぷりマーケティングをやらせてもらったのが今の私の資産になっています。
それに加えて、ミツカンは当時としては珍しくいわゆるブランドマネージャー制を取っていて、前オーナーはブランドやマーケティングを重視される方でした。報告の場でもロジカルさが求められたので、数字を使ってロジカルにものを考えたり、建設的に論理を組み立てたりするスキルも、すごく身についたと思います。
ただ、一方で、「この考え方は我流だから、どこかおかしいところはないだろうか」という不安な思いもずっとあったんです。なので、グロービス経営大学院へ行って理論も学びました。最初はマーケティングに関する科目だけを受講していましたが、最終的にMBAも取得するに至りました。[7]リーダーシップやマネージメントに関する経験やスキルはどこで獲得されたのでしょうか。
経営やマネージメントに意識が向くようになったのは、やはりミツカン時代です。
自分が担当するブランドのP/Lを見て、売上を上げてコストを下げ、利益を出していくという視点を養ったのですが、よくよく考えると「これって経営だよな」と気付いたんですね。ブランドを会社に見立てると、ブランドマネージャーを務めるマーケターは社長だな、と。
そこから経営やマネージメントに興味を持つようになり、みりん・たれのブランドマネージャーを歴任したあと、関東エリアの営業管理を行う役職に就き、再びマーケティングに戻り食酢の統括をしました。
その後個人事業や、社長、CMOなど、さまざまな場所でチームを動かす経験も重ねてきました。[8]キャリアの転機があったとすればそれはどこでしょうか。
ミツカン時代に自分が関わった商品がおかげさまでよく売れたのですが、その直後から、転職のお誘いの声がかかるようになった時期がひとつの転機だと言えると思います。
それまでは普通のサラリーマンとして、自分で仕事を選んだり、私個人に仕事を頼まれたりすることはないと思い込んでいたので、スカウトメールがいくつも届いたことにとても驚きました。
そういうことができるのは、本当に能力のある一部の人のみであって、絶対に自分には無理だと思っていたんですが、「マーケティングは経営にも近いし、これを突き詰めていけば、ひょっとすると仕事って自分でも選んだりできるのかな」と思うようになりました。
実際にミツカンを出て転職するのはそこから約10年後なのですが、キャリアへの意識を転換する機会にはなりましたね。[9]試練やストレッチされた経験をお教えください。
自分の中でとても印象深いのは、2014年に日系PEファンドの投資先に移ったときですね。ファンドは会社を買ったり売ったり、上場させたりするので、自分の決断が会社の所有権に関係してくるわけです。ファンドが、その会社を売却する目的で買ったのだとすると、自分のハンドルの切り方が会社のあり方に大きく影響することが当たり前ですよね。
ですから、とてもダイナミックな経営感を味わいながら、重大な責任も感じつつ仕事をしたことは、マーケティングの考え方や、組織を作るということに対してのシビアさにつながりました。
ミツカンにいたころは大きな動かない岩の上に乗せてもらっていたとすると、ファンドでの仕事は、「岩そのものを動かす人」になったようなイメージです。マーケティングは岩を動かすための手段であって、岩を動かすために何を考えて、どんな作戦立てて、どう社員を育成するかということを一つひとつ問われている感覚があり、独立的な発想が養われていったと思います。[10]影響を受けた師匠や先輩はいらっしゃいますか。
現在ファミリーマートでCMOを務めていらっしゃる、足立 光さんですね。マーケティング関連で出会い、現在はたまにお酒をご一緒する、マーケティング界隈の先輩です。
ビジネスの進め方や働き方について、ポイントを押さえたり、先を見据えた動き方をより重視する点で大きく影響を受けました。
現在私が実践しているパラレルワークでの働き方も、足立さんに相談をして、さまざまなアドバイスを頂いた結果なんです。[11]座右の銘や哲学をお持ちですか。
これといった言葉はありませんが、あえて言うなら、「継続は力なり」ということに尽きます。何事も、すぐ辞めてしまったら咲く花も咲きません。マーケティングでは「いきなり当たる」ことはまれで、生活者の気持ちを動かすには、ある程度の時間がいる。やはり一定の忍耐をもって、ぶれずに続けることは必須だと思います。
周りを見ていても、うまくいっている人は「やり続けている人」が多いです。絶対にできる、やれると思っている人が、最後にはやはり花を咲かせている印象がありますね。[12]感動した、非常にためになった本や映画などがあればお教えください。
強烈に影響を受けた、と言えるほどのものはありませんが、例えば『マネーボール』などは学ぶところが多かったなと印象に残っています。アメリカの野球チームのゼネラルマネージャーが、経営危機に瀕した球団を再建する物語ですが、直感や印象ではなく、データを客観的に見てロジカルに判断することによるアウトプットの大切さがよくわかりました。
一口にデータといっても、産業やカテゴリー、状況などによってその信憑性の度合いは違うものですが、スポーツなど一定の条件での行動・結果の履歴はかなり信憑性が高いのだなと思いました。データの活用度合は、環境や視点などで使い分けるべきだと感じさせてくれましたね。[13]CMOの将来性と今後期待される役割についてどうお考えですか?
世間一般でもよく言われていることかもしれませんが、昨今、人の考え方や価値観がとても多様化しています。そんな中でも、ある程度の効率を考えて何をやっていくかを決めなければなりませんから、マーケターが果たす役割は重要です。その時々の状況に合わせて何をしていくことがベターか、という道筋を描いたり、それをリードしていく存在として、マーケティングが果たす役割は大きいと思います。
さらに言うと人口が減少傾向にある中で、限られたパイを取り合わなければならないという未来が見えていますから、戦略的に、効率的にビジネスを考えるプロセスは必須になります。
その旗振り役として、マーケティングはもっと台頭していいと思いますし、CMOというポストはますます重要になるでしょう。企業側も、そういう人材をもっと使ってみたり、受け入れてみたりということをぜひ積極的にやってみてほしいと思っています。[14]今後のご自身のキャリアビジョンについてお教えください。
昨年はなまるに参画したとき、パラレルワークのスタイルを取りました。それはなぜかというと、マーケティングってすごくロジカルな考え方と、トレンドを押さえ続ける力が必要だから、というのが理由のひとつなんです。
若いころは自然とリアルタイムでトレンドを理解できても、50歳を超えてくると、よっぽど意識していない限りどうしてもずれていってしまうんですよね。パラレルで仕事をした方がインプット量は絶対に増えますから、自分が劣化しないためにもそういった働き方を選びました。
そしてマーケティングでは、周りと同じことをやっていたら埋もれてしまい、独自性がなければお客さまは手に取ってくれません。良い・悪いは別としても、周りと違うことをやって、まず理解してもらうことが次のアクションにつながるわけです。ただ、日々その業界のことを考え尽くしている企業の中だけでは、そんなに新しい発想は浮かんでこない。
だからこそ全く異なる業界とポートフォリオを組んだ方が、新しいインプットができますし、実際のビジネスで協業することもできます。
単純に、いろんな人と会って話をすることって大事ですし、楽しいですしね。アイデアがわく源泉になるし、ビジネスのネットワークを築くという意味でも、パラレルでやっていきたいと考えています。[15]最後に若い方々にメッセージ・アドバイスをお願いします。
マーケティングに限ったことではありませんが、やっぱり自分の人生って自分で決めていいと思うんです。私自身も昔は「そんなことはできるはずがない」と思っていたんですが、うまくいくかどうかなんてやってみなきゃ分からない。
もちろんリスクもたくさんありますが、「やらない人にはリターンは絶対にない」ということだけは間違いありません。今はいろんな働き方もありますし、私が若かったころよりよっぽど挑戦しやすい時代です。だからこそ余計に、そんなに難しく考えず、やってみたいと思うことはどんどんやってほしいです。
もしだめなら自分のPDCAを回せばいいんです。そのぐらいに構えて、自分の気持ちを大事にして、ぜひ一歩を踏み出してほしいです。